夏休み勇者特論


第五話 魔王の素顔


1300年前,魔王ガイエンは勇者ワーデルによって封印された.
それにより他の魔族たちも魔の森だけに押し込められて,世界に平和が訪れたのだ.
その後,ワーデルの弟が魔の森の監視のために,森のすぐそばにカストーニア王国を建国した.
いざ魔王が復活したときにはこの国が防波堤となって世界を守るために…….

「人間……?」
まるで人間の男のような魔王の素顔に健は愕然とした.
漆黒の髪,同じく漆黒の瞳の青年だ.
健と魔王の傍で,他の魔物たちを相手にしていたファンとユーティも驚いた顔を見合わせる.
「タケル……?」
魔王ガイエンは両腕を上げて,恥じるように自らの顔を隠した.

そして身を翻して逃げる.
魔物たちも同じように退却をはじめた.
ただただ呆然と健はそれを見送った.

今まで何も考えずに魔族と戦ってきたのだけど,魔族って魔王って何なのだろう…….

剣を振るい,魔法を唱える.
魔物たちに囲まれながら,リルカは健の存在を感じていた.
今ではただ唯一,自分と同じ勇者ワーデルの血をひく少年.
同じ戦場にいるだけでどれだけ自分の負担が減っているのか,いつかあの少年に教えてあげたい.

ふと魔物たちの動きが鈍る.
そうして徐々に森の方へと逃げ帰ってゆく.
健だ,健が何かやってのけたのだ……!
リルカは一つ息を吐いて,剣を鞘に戻した.

「大丈夫ですか,リルカ姫.」
すぐに金の髪の男がやってきて,リルカに訊ねる.
「大丈夫です,カイザック様.」
リルカはにっこりと微笑んで見せた.
そうしてあたりを見回す,健たちは無事だろうか?

カイザックの視線の先で,リルカは少し離れたところにいる健の姿を捉えた.
肩に銀の鳥を乗せて,ファンとユーティと供にいる.
「リルカ姫!」
いきなり肩を捕まれ,リルカは驚いてカイザックの方を向いた.
「今夜,私の部屋へと来てください.」
「あ…….」
リルカの顔色がさっと青ざめる.

自分はこの男と夫婦になったのだ.
もう後戻りはできない…….

「……はい.」
琥珀色の瞳を伏せて,リルカは無表情に答えた.
「姫,我が王国はあなたを,あなたの中に流れる尊い勇者の血を大切にしますよ.」
この世界では,人間は血によって魔力を受け継ぐ.
そして現在までに魔力を伝えている家系は,俗世ではもはやカストーニア王家のみだ.
「はい,ありがとうございます.」
希少な勇者の血を…….

「なんだよ,それ? なら俺と結婚すればいいじゃないか?」
いきなり横から話に入られてきて,リルカはどきっとした.
こげ茶色の髪,漆黒の瞳の少年,健である.
「俺の方が魔力は上だぜ.」
そうしてリルカの肩の上に置かれたカイザックの手を乱暴に払う.

カイザックは苦笑した.
「君がタケル君だね,噂をいろいろと聞いているよ.」
健は自分より5歳年長の男をきっと睨みつけた.
「あんたさ,人の弱みにつけこんで結婚を強要するなんてすげー嫌なやつだな.」
「タケル!」
真っ青になってリルカは健の発言をたしなめた.

「君こそ夏にしかこの国へ来ないくせに,あまり偉そうに口出ししないでくれるかな?」
カイザックはにっこりと微笑んだ,しかしその口調はあからさまに嵐を含んでいる.
「うるせぇな,今年こそは魔王を必ず倒してやる.」
「あぁ,去年は打ちもらしたらしいね.」
「なっ……,」
健はかっとなってカイザックの胸倉を掴もうとする,しかし二人の間にリルカが割り込んできた.
「止めてよ,タケル.」

リルカの泣きそうな声に,健は腕を引っ込めた.
「……勝手にしろ!」
舌打ちして,健はリルカの前から立ち去った.
カッティが健の後をついていって,ファンとユーティが心配そうにリルカの方を見る.
「姫様,砦に戻りましょう.」
ファンは泣きそうな顔のリルカを促した.

腹立たしさに足音高く,健は砦へと戻った.
そこかしこで見かけるラーラ王国の兵士たち.
今までなんとか自国だけで魔族の侵攻を防いでいたのに,なぜ今になって援助など求めたのだ!?

薄桃色の髪,琥珀色の瞳.
まさか誰かのものになってしまうなど考えたことが無かった.
いつだって自分が一番近くにいると思っていた.
たとえ夏季限定ヒーローだとしても…….

ファンとユーティに慰められながら,リルカは砦へと戻った.
すると乳姉妹のアリアが泣きはらした顔でリルカを待っていた.
「姫様!」
そうしてリルカに抱きついてくる.
「ごめんなさい! 姫様の持ち物を取られてしまいました!」

リルカがアリアとともに自分の部屋へと戻ると,そこはがらんとしていた.
服も布団も鏡台も本もアクセサリーも,リルカの持ち物は何一つ残っていなかった.
一瞬思考が働かずに,リルカはぽかんと口を開けた.
「ラーラ王国の兵士たちがやってきて,我が王国の姫になるんだからって……,」
アリアが再び青の瞳を涙に濡らす.
「こんなみすぼらしい物なんかいらないって.」

リルカは両拳を握り締め,ぎゅっと瞳を閉じた.
しかし,次の瞬間には微笑んでみせる.
「いいのよ,アリア……,」
リルカの脳裏に異国の少年の顔がよぎる.
「もうこの部屋には戻らないから……,カイザック様のところへ行きます.」

そうしてリルカは心配するアリア一人を部屋に置いて出て行ってしまった.
意を決して,砦の外に陣を張っているラーラ王国の王子の元へ向かう.
しかしリルカは廊下の途中でもっとも出会いたくなかった少年に出会った.

つんと視線を逸らしてリルカは言った.
「魔王はあなたに会いたがっていたでしょ? タケル.」
いきなりの話題に健は戸惑った.
「あ,あぁ.……なぁ,あいつって,」
しかしリルカは健を無視して通り過ぎようとする.

「おい,リルカ!?」
健は慌てて,行き過ぎるリルカの肩を掴んだ.
するとリルカは唐突にすとんとしゃがみこむ.
俯いて顔を隠し,子供のように小さくしゃがみこむ.

「リルカ,泣いている?」
健は優しく問いかけた,が,リルカから返事は返ってこない.
「なぐさめてあげようか? この胸においで,なんちゃって.」
今度はいたずらめかして聞いてみる,しかしリルカはなんの反応も返さない.
「こんなところで泣いていると,みんなにみられるぞ.」
するとがばっとリルカは立ち上がった.
乱暴に顔を拭ってから,勢いよく振り向いてきっと健を睨みつける.
「タケル,構えて!」
そしてするどく健に向かって拳を打ち込んできた.

パァン!
危うげなく健はリルカの拳を手のひらで受け止めた.
1発,2発,楽しげに健はリルカのパンチを何度も受ける.
「あいつら,むかつく…….」
健に攻撃を加えながら,リルカは押し出すようにうめいた.
「うちの国のことを馬鹿にして!」
琥珀色の瞳が怒りに彩られて,美しく燃え上がる.

すると廊下の角から,一群の兵士たちがやってくる.
健に打ち込むリルカに驚いた顔をしてから,陽気に聞いてくる.
「姫様,ストレス解消ですか?」
「そうよ!」
遠慮無く健に拳をぶつけながら,リルカは答えた.
「さっきの戦場では余り暴れられなかったから!」
すると別の兵士が揶揄するように笑った.
「ラーラ王国の軟弱王子が傍にいたからですか?」
「そのとおりよ!」
きっぱりと答えるリルカに,兵士たちはどっと笑い崩れた.

「結婚,止めろよ.」
笑いながら,しかし瞳は真剣そのもので健は言った.
「駄目よ,約束をたがえることはできない.」
健の胸の前で身軽に身体を回転させて,
「タケル,私はこの国の王女なのよ!」
リルカは健に裏拳を叩き込んだ!

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