毎年,夏はこの世界へやってくる.
親には国内一周貧乏旅行をしていると言い張っている.
さすがにだんだんと言い訳が苦しくなってきているが,まさか異世界で魔物退治をしているとはいえない.
健は砦のなかで,自分にあてがわれた部屋に入った.
窓からの眺望が気持ちよい,健はたいていこの部屋を貸してもらうのだ.
地球から持ってきたリュックを机の上に乱暴に置いて,勇者の剣を壁に立てかける.
そうして健はベッドの上にその身を投げ出した.
「はぁあ…….」
うつ伏せになった健の上を窓から入ってきたカッティがばさばさと飛び回る.
「自覚した途端に振られるとは,俺って…….」
健はごろんとあお向けに寝転んだ.
そして服の中に隠してある首からかけているペンダントを取り出す.
ペンダントのトップには半透明に白くにごった水晶があった.
この水晶の力で異世界へと渡るのだ.
そして健をやきもきさせることに,この水晶の力が使えるのは年に一回だけである.
だから夏休みのたびにここに来る.
毎年,リルカは無事だろうか,誰も怪我をしたりしていないだろうかと,再会を果たす瞬間まで心を痛める.
それなのに,異世界から地球へ帰るのはすごく簡単なのだ.
ただ健が帰りたいと思いさえすればいい,それだけでこの世界は健を拒絶し弾き飛ばしてしまう.
「姫様,いいのですか?」
机の上の地図を眺めながら,少しぼんやりとしていたリルカは慌てて上を向いた.
「え? 何がですか?」
目の前にいる男に向かってリルカは聞いた.
いかにも軍人らしいいかつい体格の壮年の男である.
「やはりここにも,もう一本防衛ラインを引きましょうか?」
リルカは地図のある一点を指して言った.
すると男は肩を竦めて,言い返した.
「違います,明日のご結婚のことです.」
リルカは澄んだ琥珀色の瞳で男を見返してきた.
「イオン将軍,」
そしてにっこりと微笑んでみせる.
「そんなにも心配なさらないでください.」
しかしイオンはむっとした顔を作った.
「いいえ,心配しますよ!」
親子ほどに歳の離れたリルカに向かって叱るように言う.
「だいたい,タケルのことはいいのですか?」
するとリルカの顔がさっと赤くなった.
なんて正直な反応なのだ.
イオンはため息を吐いた.
「結婚以外の条件にできないのですか? 正直,姫様の結婚をこの国のものは誰も望んでいませんよ.」
しかしリルカはきっぱりと答えた.
「ラーラ王国が望んでいるのは,勇者ワーデルの血脈,つまり私自身です.」
琥珀色の瞳を悲しげに曇らせる.
「それ以外のものをこんなつぶれかけた王国には求めないとはっきりと言われました.」
「我が王国をこじき扱いするラーラ王国には我慢できません.」
イオンが言うと,リルカは悲しげに微笑んだ.
「それでもラーラ王国からの援助が必要なのです.」
「タケルがいるでしょう!」
イオンはリルカに向かって強く主張した.
「彼は今年こそ魔王を倒してくれますよ! 去年だってあとちょっとのところで,」
「たとえタケルが今すぐに魔王を倒して魔物たちがいなくなっても,すでに受けてしまった援助は返せないのです.」
強引に将軍の言葉を遮ってリルカは告げた.
「私,結婚します.」
健がふてくされて部屋のベッドでごろごろとしていると,控えめなノックの音が響いた.
「はい! 誰?」
ドアが開いて,亜麻色の髪の女性が入ってくる.
「なんだ,アリアか.」
健はベッドから起き上がりもせずに言った.
するとアリアは腰に手をあてて健に向かって怒り出した.
「なんだ,アリアかですって!? いい身分よね,夏限定の英雄のくせして!」
彼女は健のことをあからさまに嫌っている.
健はアリアの怒った顔しか見たことが無い.
「姫様に何をしたのよ!?」
アリアはリルカの乳兄弟,この場合姉妹なのだが,幼馴染でもある.
「何って,別に…….」
思わず顔を赤らめて,健は言いよどんだ.
まさか再会早々無理やりに唇を奪って泣かせたとはいえない.
「よくも私の姫様を泣かせてくれたわね! だいたいタケルは勝手なのよ! 夏しか来ないくせに,……あんた,存在がでかすぎるのよ!」
そして何も言えない健を無視して,一人でアリアは話を進める.
「まぁ,でもいいわ.とりあえず今は許してあげるわ! あんた,さっさと姫様に結婚を止めるように説得してよ!」
アリアは強引に健をベッドから立ち上がらせた.
「おい,ちょっと待ってくれよ.俺,実はリルカに振られたばっかり,」
正直,あの“大嫌い”はぐさっときた.
「うるさい! もう結婚式は明日に迫っているのよ! こうなったら姫様を攫って逃げてくれてもいいわよ!」
手を引かれ,健はうんざりと答えた.
「そんなのリルカが了承するわけがないだろう…….」
健としてはまったく構わないのだが…….
リルカが自室に戻ると,明日の結婚式の衣装がどんと構えてリルカを待っていた.
富貴なラーラ王国から贈られた見事な衣装に,リルカは重いため息を吐いた.
本当は結婚などしたくない,皆もしなくていいと言っている.
しかしこの国には本当にラーラ王国からの援助が必要なのだ.
3ヶ月程前から,ほとんど毎日のように魔族からの襲撃がある.
そしてそれは異世界からの訪問者,健のせいだった.
いきなりの告白に,強引な恋人のキス.
そして振りほどけない強い腕.
去年まではあんなのじゃなかった,弟のように自分になついてくれていたはずだ.
リルカは再びため息を吐いて,ドレスの前にしゃがみこんだ.
“俺,リルカのことが好きだよ.”
健の言葉を思い出して,リルカの顔がかぁっと赤くなる.
こんこん.
軽くドアをノックする音が聞こえる.
「誰? アリア?」
立ち上がって,リルカは問うた.
ついで,頬をひっぱりつねりしながら,辛気臭い顔を隠そうとする.
すると耳慣れた声がドアの外から聞こえてきた.
「姫様,入っていいですか?」
軽く微笑んでリルカは答えた.
「いいわよ.アリア.」
扉が遠慮がちに開くと,そこにはアリアと健が立っていた.
「タケル!?」
昼間のキスを思い出して,リルカはあからさまに動揺した.
「大丈夫ですよ,姫様! タケルが悪さしないように私がついていますから!」
アリアがぎゅっとリルカの右腕を抱きしめる.
「悪かったな…….」
健はぶすっとして答えた.
そしてリルカに向き直って,照れ隠しに頭を掻きながら健は言った.
「あぁ,そのぉ,」
いきなり健はリルカに向かってお辞儀をした.
「結婚しないで下さい! お願いします!」
虚を突かれて,リルカはただきょとんとした.
思わず微笑みが漏れる.
「ごめんなさい,タケル.」
すると健は顔を上げていたずら小僧のように笑った.
「じゃ,明日,実力行使で結婚を阻止します.」
「え……?」
健の表情になぜかリルカはどきっとしてしまった.
「できるだけかっこよく掻っ攫うので,心の準備だけは整えておいてください,お姫様.」
楽しげに健は微笑んだ.