夏休み勇者特論


第二話 異国の軍隊


1314年前,世界は闇に覆われた.
大陸北西部に位置する闇の森に,魔物たちが住み始めたのだ.

最初小さな群れをいくつも形成していた魔物たちだったのだが,ある時を境にして意志の統一された集団として人間たちを襲い始めた.
魔物たちを統べるもの,魔王が存在するのだ.

恐ろしい力を持つ魔物たちに人間は為す統べを持たなかった.
しかし救いは唐突に現れる.
それは聖者ともいい,勇者ともいう.
この世界でただ一人,破魔の力を持つ勇者ワーデル…….

「今年でもう,5年目かぁ.」
国境の砦に向かいながら,健はひとりごちた.
毎年,夏休みのたびにこの国へ行くのだ.
隣を歩くリルカが姉のようににこっと微笑む.
不意打ちの笑顔に,思わず健は頬を染め上げた.

「タケルーーー!」
砦の方から大きな声を上げて,一人の少年が走ってやってくる.
明るい赤毛の小柄な少年だ.
「ユーティ!」
すると少年は健に抱きついてきた.
「遅いよ! 間に合わないかと思っていた!」

ユーティのただことではない様子に,健は頭の中に疑問符を躍らせる.
「何が?」
すると横合いから健は,いやリルカは声を掛けられた.
「リルカ姫.」
見ると,金の髪,青の瞳の優男がリルカに向かって微笑みかけていた.

「心配しましたよ,お一人で魔物の群れの中へ飛び込んでいかれるのだから.」
男は優美にリルカの細い手を取った.
その慣れたしぐさに健はぎょっとする.
なんだ,この男は!?
「ご心配をおかけして申し訳ございません,カイザック様.」
手を取られ,困ったようにリルカは微笑んだ.

「おい,な……うぐっ.」
手を取り合う二人に言葉をかけようとした健はいきなり口をふさがれてしまった.
ファンが険しい顔をして健の口を塞いでいるのだ.
そうしてユーティと二人して,健をリルカから離れた場所へと無理やりに引きずってゆく.

砦へと辿り着くと,すぐに健は異変に気付いた.
兵士の数が増えているのだ,しかも砦の周りにはいくつもの簡易テントが張ってある.
去年までに比べて,ゆうに2倍以上はいる.

「なんか人の数が増えてない?」
背の高い青年であるファンと背の低い少年であるユーティに引きずられながら,中肉中背の健は聞いた.
すると不機嫌そうにファンが答える.
「ラーラ王国のやつらだ.」
「ラーラ王国?」
漆黒の瞳をきょとんとさせて,健は聞き返した.
「魔の森を挟んでお隣の国だよ.」
今度はユーティが健に向かって説明をしてやる.

するとファンは唐突に肩を掴んで,まっすぐに健の瞳を見つめてきた.
「先に言っておくが,俺たちは,いやこの国のものはみんなタケルの味方だからな!」
ファンの真剣な表情に,健はますます困惑した.
「ど,どうしたんだ? ファン.」
一瞬,言葉を溜めてから,ファンは言った.
「あの男はラーラ王国第4王子カイザック,……明日,姫様と結婚する男だ.」

砦に戻ると,リルカは自らの婚約者であるカイザックとは別れ,地下の武器庫へと向かった.
武器庫の番人に勇者ワーデルの剣を取りたいと告げると,番人は顔を嬉しそうにほころばせた.
「タケルが来たんですね!」
「えぇ.」
リルカは苦笑して答えた.

明るくて活発な少年は今ではすっかりこの国の人気者だ.
誰よりも濃く勇者ワーデルの血を引く異世界の少年…….

「タケルが来たのなら,」
番人の男は心配顔でリルカの方を見る.
「姫様,結婚しなくても……,」
しかしリルカは悲しげに首を振った.
「今更,ラーラ王国との条約をたがえるわけには参りません.」
そうして淡く微笑んで礼を言う.
「心配してくれてありがとう.」
身軽に身を翻して,リルカはまだまだ何か言いたげな男のもとから立ち去った.

階段を上がり地上に戻ると,廊下では不機嫌そうな顔をした少年がリルカを待っていた.
異国の顔立ち,そして年々逞しくなる体つき.
「タケル.」
リルカは健に,勇者ワーデルが愛用していたという剣を差し出した.
「はい,あなたの剣よ.」

健は無言で勇者の剣を受け取った.
そしてきっとリルカの方を睨みつける.
「結婚,止めろよ.」
リルカは,健を諭すように微笑んで見せた.
「駄目よ,タケル.」

「ファンとユーティに聞いた,兵を援助してもらうかわりに結婚するんだろ?」
健は使い慣れた剣をもてあそびながら聞いた.
「そんなので結婚していいのかよ?」
するとリルカは澄んだ琥珀色の瞳ではっきりと答える.
「私はこの国の王女だから…….」

胸まで届く柔らかな薄桃色の髪,優しげな,しかし凛とした顔立ち.
健はため息を吐いた.
「俺,何回その台詞を聞いただろう?」
この国のただ一人の王族,ただ一人の生き残り…….

「リルカ,俺,リルカのことが好きだよ.」
健が熱っぽい眼差しで見つめると,リルカは一瞬驚いた顔をしてから,顔を赤く染め上げた.
先ほどまでの近寄りがたい雰囲気があっという間に消えうせる.
「それでも,あいつと結婚する?」
「そ,それは……,」
真っ赤な顔で,健の姉と同じ19歳とは思えない初心な反応だ.

「なぁ,リルカ!?」
リルカの肩を抱いて,健はきつく問いただした.
苦しげに,リルカは視線を逸らす.
耳たぶまで赤くして,リルカは必死に返す言葉を考えた.

初めて出会ったときは,生意気な弟ができたようだった.
いつからだろう,この少年が男になってしまったのは…….

その過剰な反応は男を自惚れさせる…….
「リルカ…….」
リルカの肩をぎゅっと掴み,おもむろに健は唇を合わせようとしてきた.
「え? やだ,待って,」
しかし2歳年下の少年に,リルカは強引に口付けられる.
リルカは離してほしい,と健の胸を拳骨でどんどんと叩いた.

初めて交わす恋人のキスに頭の芯がくらくらする.
足ががくがくと震え,リルカは健に腰を抱かれた.

やっとのことで口付けから開放されると,リルカは真っ赤になって叫んだ.
「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!」
瞳にはうっすらと涙がにじんでいる.
その涙にぎくっとしながらも,健は強気に聞いた.
「リルカ,俺のことが好きだろ!?」
しかしリルカは涙声で叫んだ.
「嫌い,大嫌い!」
そうして健から走って逃げ去る.

思わずため息を吐いて,健はその場に座り込んでしまった.
人の気配を感じて,健はふてくされた声を出した.
「おい,振られたぞ.」
しかし恋する女性の唇をしっかりと堪能してしまった.
すると呆れたような声が上から降ってくる.
「いや,今のはタケルが悪い.」
「そうそう,いきなりあれはないだろう.」

顔を上げると,明るい赤の髪の少年と暗い黒の髪の青年が立っていた.
「こうなったら結婚式当日にどうにかするか?」
ファンはユーティに向かって聞いた.
「そうだよな,あんな男に姫様は渡せないよな.」
当然とばかりにユーティは頷く.

「勘弁してくれよ.」
健は頭を抱え込んだ.
「人の失恋の傷跡に速攻で塩を塗りつける気かよ…….」
同じ気持ちかもしれないと期待していただけに,だいぶ気分が滅入る.

「だから姫様はタケルのことが好きなんだって!」
ファンはいっそ怒ったかのように言った.
「あんなにもあからさまな反応を返されて分からないのか?」
「本当かよ?」
いまだにあの“大嫌い”が耳の中に鳴り響いているような気がする.
健はこげ茶色の髪を掻いた.
「信じられねぇよ…….」
夏休み限定ヒーローはまた一つ,ため息を落とした.

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