「初めまして,勇者ワーデルの末裔よ…….」
と言って,そのお姉ちゃんはにっこりと微笑んだ.
僕はついつい見とれてしまって,いつの間にか異世界へ連れられてしまったんだ.
この世界で僕はヒーローになる!
……ただし夏休みの間だけね.
風が吹く.
勇者の末裔が治める国に相応しいほどに白い,白亜の王城の中庭に…….
「お,おぉ…….」
渡り廊下を歩いていた一人の老人が感激したように足を止めて言葉を漏らす.
ざざ,ざざ…….
木々が揺れる,風がある一点を中心にして吹いているのだ.
「やっと来たか.」
老人は軽く肩を竦めて微笑んだ.
風は唐突に止んだ.
そしてその場には風のかわりに一人の少年が佇んでいた.
こげ茶色に染めた髪,異国の風変わりな衣装.
大きなリュックを背負って,こちらに気付いて顔をほころばせる.
「バキじいさん!」
年のころは17,少年というよりそろそろ青年と言った方がいいのかもしれない.
「タケル,今年もよくぞ来てくれた.」
タケルと呼ばれた少年は元気よく笑った.
「やっと夏休みになったからね.」
そうして健(たける)はあたりをきょろきょろと見回す.
「リルカは?」
するとバキは顎の白髭をしごきながら難しい顔で答えた.
「姫様は戦場です.」
途端に健の顔が険しくなる.
「俺が来るまで,戦場には出るなって言ったのに…….」
それだけを言うと健は,空に向かってぴゅーいと口笛を吹いた.
すると晴れ渡った空から一羽の銀色に輝く鳥が飛んでくる.
健はバキに向かって笑みを見せた.
「じゃ,会ったばかりだけど.俺,行くね.」
バキは頼もしそうに頷いた.
「姫様を頼みましたよ.」
健は空から飛んできたまるで鷹のような鳥に向かって腕を差し出した.
するとその鳥は嬉しそうに健の腕に留まる.
聡明そうな丸い瞳,甘えるように鳴き声を上げて主人との再会を喜ぶ.
「カッティ.」
健はその鳥の名を呼んだ.
「リルカのところへ行きたいんだ,乗せていってくれ.」
するとカッティの体が膨張する,すぐに人一人を乗せられる程の大きさになった.
首に腕をまわして,身軽に健は鳥の背にまたがる.
健がきちんと腰掛けたのを確かめもせずに,カッティは翼を羽ばたかせ始めた.
すると城の渡り廊下の方から歓声が上がる.
カッティの飛び散る銀の羽越しに,健は手を振った.
途端に廊下に居た4,5人の子供たちが喜んで応える.
「タケル,がんばって!」
「気を付けてね!」
カッティが上昇を開始する.
健は再び子供たちに向かって手を振った.
彼らは魔族との戦争によって親を失った孤児たちだ,この城の養護院に住んでいる.
一気にカッティは上空へと舞い上がった.
健はしっかりとカッティの暖かな首にしがみつく.
下を見下ろすと白亜の宮殿.
ここは日本ではない,そして地球でもない.
ここはカストーニア王国,健にとってはまったくの異世界だ!
「カッティ.」
健が初めてこの世界に来てからずっと,カッティは健の傍に居てくれる.
元はリルカの守護聖獣だったのだ.
「俺,やっと気付いたよ.」
健はカッティの羽毛に顔をうずめた.
「リルカが好きだ,あいつを守りたい…….」
それに応えるように,カッティはスピードを上げた.
中学に入って初めての夏休み,健はリルカに出会った.
「初めまして,勇者ワーデルの末裔よ…….」
街の雑踏の中で,その少女の周りだけが異質だった.
そうして健の手を取り,異世界へと連れて行ったのだ.
城の上空を過ぎ去りいくつもの街と二つの川を越えると,そこは一面の荒れ野だった.
開けたまったいらな平地,所々に小さな泥炭地が点在する他は木一本さえ生えていない.
ここは魔族との国境地帯,常に戦禍にさらされる.
遠くに薄闇がかった暗い森が見える,そして健の足元には戦場が広がっていた.
「リルカ!」
健は戦場の只中にいる女性に向かって叫んだ.
淡い桃色の髪,柔らかな白い顔.
驚きに琥珀色の目を瞠り,上空を仰いだ.
健はカッティの背から飛び降りる.
「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う……,」
リルカを囲む4本足の獣たちとリルカの間に降り立つ.
「炎よ,舞い踊れ!」
途端に健とリルカの周りに火柱が舞い上がる,彼らの周りにいた魔物たちは苦悶の叫びを上げた.
「タケル!」
リルカはその少年の名を呼んだ.
それに応えて,健はにこっと微笑む.
健よりも2歳年長のこの国におけるただ一人だけの王族.
健と同じく勇者ワーデルの血をひく女性.
しかしリルカは健のほうを向いてきっと顔を引き締めた.
「我,ワーデル・カストーニアの名にかけて願う……,」
健と同種の聖魔法の呪文を唱える.
「雷の槌よ!」
瞬間,健の背後に迫っていたうねうねした触手を何本も持つ魔物に幾条もの雷が落ちた.
「タケル!」
すると別方向から大きな斧を持った男がやってきた.
「ファン!」
健は男の名を呼び,しかしすぐに顔を青ざめさせた.
「後ろ!」
凶暴な小型ドラゴンがファンに向かってブレスを吐こうとする.
しかしその矢先,銀色に輝く鳥がドラゴンの左目を突いた!
ぎゃぁああ……!
ドラゴンが叫ぶ,ファンは斧で袈裟懸けにドラゴンを切り裂いた.
「ふぅ…….」
健は安堵のため息を吐いた.
周囲では戦闘は終わりつつある.
魔物たちは森の方へと戻っていく.
健はリルカとファンに向かって笑いかけた.
「おひさしぶり,リルカ,ファン.」
そうして背中のリュックを背負いなおす.
「また夏休みの間,よろしく.」
健の右肩に小さくなったカッティが留まり,羽を休める.
カッティの羽を優しく撫でながら,健は彼らと再会を喜び合った.
ピンク色の髪をしたお姉ちゃんが言うことには,僕のおじいちゃんは異世界の王子様だったらしい.
なんとおばあちゃんとは世界を越えた駆け落ち結婚だったのだ.
「だからタケル君は,私の血縁なのよ.」
そして勇者の末裔である自分には聖なる魔法が使えるという…….
「お願い,タケル君.封印から復活した魔王を倒すのに協力して欲しいの.」
琥珀色の瞳が切実に僕を見つめていた.
僕は一つため息を吐いた.
「分かったよ.」
幸いにして今は夏休みだ.
「ただし夏が終わったら日本へ帰してくれよ.」
この世界で僕はヒーローになる!
……ただし夏休みの間だけね.