番外編(洞窟での夜)


さすがに疲れたのか,暗い洞窟の中で少年は眠ってしまったようだ.
少女の隣に腰掛けて,膝を抱きながらこっくりこっくりと少年の頭が揺れている.
10年ぶりに再会したばかりの初恋の少年を,少女は興味深げに眺めた.

先ほどまでは元気よく,この世界のことや自分の国のことを話していたのだが,言葉が途切れがちになったなぁと思って横を見ると,いつの間にか少年は船を漕いでいた.
明日,自分はこの少年と結婚するのだ…….

暗い洞窟の中で,少年の明るい銀の髪だけがほのかに輝いている.
この少年は10年前と全く変わらない.
まっすぐに純粋に成長したのだ,自分とは違って…….

そっと腕を抱き寄せると,そのまま自分の方へ倒れこんできた.
小柄な少年だ,身長だって自分と大差ない.
膝の上に少年の頭を乗せて,少女はぼんやりと少年の無邪気な寝顔を見つめた.

……アスカ.逢いたかった.
私の方こそ,言葉にならないほどに…….

部屋の明かりに照らされて,刃物の銀がてらてらと輝いた.
台所から取ってきた一番小さい包丁を手に,少女は洗面台の前で立ちすくむ.
この銀で自分を殺す…….
情けないことに,包丁を持つ手が震えた.

少女は震える手で,洗面台の蛇口を開き水をたっぷりと張った.
体がかたかたと震える.
刃物を左の手首に合わせるのだが,震えて震えてうまくいかない.
怖い,怖い……!

でも,もう生きていたくない!
死んで両親と同じ場所に逝きたい!

少女はそっと自分の膝の上で眠る少年の銀の髪を梳いた.
他人がこれほどまでに近くにいて,眠れるような自分ではない.
当然,朝まで起きているつもりだ.
ましてやこの少年は,自分がもっとも嫌悪する男という性の持ち主だ.

帰りたいじゃなくて,帰らなくちゃいけないということなら帰さない.

少年の髪を撫でる手が,一瞬止まった.
少女は無表情に少年の顔を見下ろす.
自分を信用して眠っている無防備な少年の首に,少女は両手を当てた.

このまま力を込めれば,この少年は死んでしまうだろうか…….

「異世界への扉は10年に一度だけ,開くんだ.」
知り合ったばかりの外国人の少年は,そう少女に説明をした.
「だから10年後に必ず迎えに行くよ.」
そうして少年は少女に赤い小さな石をくれた.
「この石あげる,約束のしるし.無くさないで…….」
夕日を受けて輝く少年の銀の髪.

カツーン…….
音を立てて,少女の手から刃物が零れ落ちた.
10年後,……本当にあの少年は来るのだろうか?

少女はいまだ震える手で,セーラー服のポケットの中をまさぐった.
そこには少年から貰った,まるでビー球のような赤い石がある.

これだけが唯一の証拠.
あれが夢ではなかったことの…….

「ん…….」
少女の目の前で,銀の髪の少年がかすかに声を上げた.
はっとして少女は少年の首から両手を離す.

馬鹿なことを……,馬鹿なことをするところだった.
体中嫌な汗をかいている,動悸が激しくてめまいを起こしそうだ.
そんな少女の様子には気付かずに,少年は安らかに眠っている.

少年を置いて,少女は静かに立ち上がった.
一人で洞窟の出口へと向かう.
外は意外に明るかった.
東の空が白んできている.

夜が明けるのだ…….
日が昇る,どれだけこの瞬間を自分は待っていたのだろう.

眩しげに太陽を見つめていると,後ろに人の気配を感じた.
振り向くと,銀の髪,青の瞳の少年がそこには立っている.
「おはよう,アスカ.」
そう言って,少年は優しく微笑む.

この少年は自分を迎えに来てくれたのだ.
10年前の約束を違えずに…….

「マリ君,おはよう.」
少女は少年に向かってかすかに微笑んだ.
ここは異世界,地球とは違う世界.

私の方こそ,言葉にならないほどに…….
……ずっとあなたに逢いたかった.

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