番外編(暖かい手)


「で,進学する気はまったく無いんだな?」
八条掘高校,体育科教員室で,須藤美佐子は目の前の少女に向かって聞いた.
「はい,先生.担任の先生にも言いましたが,就職するつもりです.」
短い漆黒の髪,しゃれっけのない顔の少女はきっぱりと答えた.
ブレザーの女性用の制服を着ていても,少女らしさよりも少年らしさが勝る中性的な少女である.

神原明日香,17歳.
須藤の顧問する女子空手部のエースである.
格闘技は高校に入って初めてやったというが,昨年度インターハイ準優勝の実績を持っている.
こう言うといかにも才能にあふれた少女のようだが,この神原の場合は違う.
無我夢中で死に物狂いで,戦い方を学ぶ…….

須藤は自分の白髪の目立つようになった髪をぼりぼりと掻いた.
「でも神原は成績も上の方だろ? いいのか,大学に行かなくて?」
須藤の勤めるここ,八条掘高校はまぁまぁの進学校だ.
神原のように就職する生徒は珍しい.
すると神原は無言でにこっと微笑んだ.

須藤はため息を吐く,少女の見せる笑顔がこわばっていることが分かるからだ.
「少し,うぬぼれていたかな…….」
少女のうそつきな笑顔が分かるくらいは親しくなったつもりだ.
「神原にはなつかれていると思っていたのだが.」
しかし,心を開いてくれるほどには親しくはないのだろう.

「わ,私,須藤先生のこと大好きですよ!」
すると神原はあわてて,いきなり愛の告白をする.
「本当ですよ,信じてください.」
まるで見捨てないでと叫んでいるようだ.

「なんだ,神原.熱烈な告白だな.」
すると同僚の高橋博明がからかいの言葉をかける.
神原の顔が露骨に嫌悪の表情を示した.
この子は,……男性を怖がっている.
「神原.」
須藤は教え子の手を握った.

びっくりするほどに冷たく,冷え切っている.
「神原に一度言っておきたいことがあってな.」
須藤はつかみ所のない少女の漆黒の瞳をしっかりと見つめて言った.
「空手が強いのと,本当の意味で強いのとは違うんだ.」
すると神原はきょとんとして須藤の顔を見つめた.

「私,今年こそは優勝しますよ.」
静かな自信をたたえて,神原はかすかに微笑む.
「先生が退職なさる前には必ず優勝をプレゼントします.」
須藤は困ったように,笑みを返した.

この少女が自分には,いや教員の中では自分だけだろう,なついているのがよく分かる.
須藤だってこの生徒がかわいい.
「先生の手,暖かいですね.」
子供のように甘えられて,須藤は苦笑する.
「そりゃな.……でもな,神原.先生の手はみんなのものだ.」
たった一人の生徒だけをひいきにするわけにはいかない.
須藤の言葉に,少女の闇を映す漆黒の瞳がさびしげに揺れる.
「神原は,神原だけの暖かい手を探しなさい.」

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「彼女が私の花嫁だ!」
少女はぺたんと冷たい感触がする床に座り込んだ.
「明日,正式に結婚の儀を行う.」
ただひとつ,自分の手を握る少年の手だけが暖かい.

見知らぬ世界,見知らぬ人々.
ここはどこ?
「さぁ,アスカ.立って皆に挨拶をして.」
「へ?」
しかし少女は呆然とした顔のまま,ただ少年を見返すばかりだ.

「それでは,10年ぶりの再会で積もる話がありますので…….」
と言うと,少年は強引に少女を抱き上げた.
「ひっ……!」
少女は小さく悲鳴を漏らしたが,少年は気づかずに少女をぎゅっと抱きしめる.
少年の暖かな手が少女の背を抱き,細い脚を持ち上げている.

暖かい手,暖かい手って,マリ君は単に私より体温が高いだけなんじゃ……!?
少年の行動に少女は目の回る思いだ.
誰か,誰か助けてって,私いつもマリ君に助けを求めていた.
この場合は,パパ,ママ,助けてって叫ぶべき?

二人の目の前で,荘厳な装飾の大きなドアがするすると開く.
なんだ,自動ドアか,と一瞬少女は安心したが,部屋の外にいる兵士たちが人力で開けているらしい.
少女は不安そうに,少年の顔を見上げた.
意思の強そうな青の瞳がまっすぐに前だけを見ている.

この石あげる,約束のしるし.無くさないで…….
まさか本当に迎えに来るとは…….
ずっと,一生大事にするから.
ちょっと待って,まさか私,今から結婚するの!?

部屋から廊下に出ると,明日香を抱えたままマリはほっと息をついた.
不用意に少年の息がかかって,少女を困惑させる.
「アスカ,いきなりですまないが今から結婚してくれ.」
「はぁあ!?」
少年の発言に,少女は完璧に腰が引けた.
「時間が無くて簡素な式になるが,別にいいか?」

無理無理無理無理,絶対に無理!
だって私バージンじゃないもの!
マリ君,がっかり……ん? がっかり? ……するって!

「いいわけないでしょ! いったい,ここは……,」
すると少年は妥協したかのように言う.
「そうか,ならできる限り豪華にするから……,」

ちっが〜う!
そうゆう意味じゃない!

かみ合わない会話に,少女は思わず叫んだ.
「ちょっと待て! 人の話を聞け!」

神原は,神原だけの暖かい手を探しなさい.
そりゃ,私,マリ君のことを連想したけど…….

「殿下,言っては悪いのですけど殿下の片思いなのでは……?」
思い出の中のお日様の少年.
「そうなのか? アスカ?」
本当はずっとずっと逢いたかった.

あなたのその暖かいまなざしに…….

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