どんどんと騎馬の群れが近づいてくる.
「陛下…….」
不安そうに見つめてくる亜麻色の髪の兄弟に,マリは目を向ける.
「条約違反だな.」
澄んだ青の瞳は冷静そのもの.
軍隊が国境を越えるなど,完璧な和平条約違反だ.
キュリーが不敵に口の片端を上げる.
「……ですね.」
マリは自分を見つめるものたちに向かって口を開いた.
「街の住民たちに,軍人の扮装を解くように言ってくれ.」
少年の青の瞳が,強い意志の光を映す.
「決してこちらからは攻撃を仕掛けないでくれ,またそのそぶりも駄目だ.」
「しかし,」
コウリが反論を開始する,しかし少年は最後まで言わせない.
「攻撃はさせない,今から行って指揮官と話し合ってくる.」
腰に帯びた剣を,少年はコウリに渡した.
「戦意がないことを示すことが大事なんだ.」
銀の髪の少年は,雲ひとつ無い晴れ渡る青空のような微笑を見せた.
その瞳に主君の意思がもはや翻ることはないとコウリたちは思い知る.
ならばもう,ただ少年を信じて従うだけだ.
次に少年は,漆黒の髪の少女に向かって手を差し出す.
「アスカ,一緒に行こう.」
「うん!」
差し出された手を少女は元気よく取った.
少女の嬉しそうな様子は,とてもではないがたった二人きりで敵陣に向かうとは思えない.
「無事に帰ってきてよ!」
心配する一同を代表してサイラが叫ぶ.
少年は安心させるよう笑った.
「大丈夫だよ.」
そして少女と二人連れ立って,走る騎馬の集団の方へと歩いてゆく.
たった二人武器も持たずに敵陣へと向かう.
主君の後姿を彼らは黙って見送った.
「アスカ,怖くないかい?」
固く少女の手を握って,少年は問うた.
少女はにこっと微笑む.
「怖いわけないよ.」
あなたは私の太陽だから,私の生きるすべてだから,
「太陽を独り占めしていて,怖いことなんて無い.」
少女の心からの笑顔に,少年も微笑んだ.
「そうだね…….」
この腕の中に君を隠して,何からも守りたいと思っていた.
でも,今は,
「一緒に行こう.」
生きるのも死ぬのも,一緒だ…….
国境を越え,ツティオ公国軍らしき集団を目指して馬をすすめていたカイ帝国軍の兵士たちは,ただ二人佇む少年と少女を発見した.
銀の髪の少年と漆黒の髪の少女が無防備に,彼らを待っている.
明日香とマリの前まで騎馬の群れはやってきて,早々に彼らを囲んでしまった.
その数およそ1000,もちろん逃げることはできない.
指揮官と思わしき立派なひげを蓄えた男が騎乗したまま,彼らの前にやってきた.
「子供がなぜこのような場所に居る!?」
銀の髪の少年は,さりげなく相手を驚かした.
「私の名はマリ・ツティオ,この国の国王です.」
「なっ!?」
男は思わず声を上げてしまう,そして少年たちを囲んでいる兵士たちもどよどよと騒ぎ出す.
「和平条約違反ですよ,すぐに兵を退いて下さい.」
少年は青の瞳でまっすぐに,男を見つめた.
「国王がなぜこんなところに!?」
問いただす男に少年は苦笑して肩を竦めた,たった二人で軍隊に囲まれているとは思えない態度だ.
「我が公国はまだまだ小さい新参国なので.」
男は呆れたように,少年を見やる.
たった17歳の新王だと聞いていたが,ここまでの度胸の持ち主だとは…….
「私の名はライティオです,国王陛下.」
馬から下りて,男は礼儀正しく名乗った.
「カイ帝国第6軍団団長を務めております.国境付近に軍隊の姿を見つけたので兵を率いて参りました.」
いかにも軍人らしい実直な挨拶だ.
そうしてライティオと名乗った男はにやっと笑みを作る.
「しかし我々は軍隊よりも面白いものを捕らえたようですね.」
対する銀の髪の少年は,にこっと柔らかく微笑む.
「勘違いなさっていますよ,あれが軍隊に見えますか?」
少年が指差す方を視線で追いかけると,すっかり武装を解いた民衆がこちらを不安そうな,そして非難がましい目で見つめていた.
「……見えませんね.」
しかも若い女性や年寄り,子供まで居る.
「私たちが騎士である以上,武器を持たないものたちに剣を振り下ろすなどできません.」
ライティオは苦笑した,これこそがこの少年の狙いだと分かったからだ.
なかなかにしたたかな国王だ,しかし,
「しかし,今ここであなたを捕らえることはできます.」
少年と少女の周りを囲む兵士たちが一斉に剣を抜く.
白刃に囲まれて,しかし二人の少年少女はまったく動揺しなかった.
「怖くないのですか?」
銀の髪の少年は素直に答えた.
「怖いですよ.」
だが,少年の青の瞳には怯えではなく,強い意志の光が輝く.
「しかし,それ以上に守りたいものがあるのです.」
ライティオは少年の顔を見つめた,そして離れたところにいる民衆たちの顔を眺め渡した.
今ここで少したりともこの少年を傷つければ,彼らは勝算などなくても軍隊に向かって襲い掛かってくるだろう.
心を怒りに染めて,手には武器さえ持たずに…….
ライティオは気が抜けたように,ふっと顔を緩めた.
「負けましたよ,陛下.」
そのような民衆に対して軍隊が攻撃を加えたならば,非難はすべてカイ帝国に集中するだろう.
手で合図をして,兵士たちに剣を収めさせる.
「あなたの度胸に負けました.」
度胸や知略や外交手腕,……いや,そのまっすぐで純粋な瞳に負けたのかもしれない.
「私たちは国へ帰りましょう.」
そう言って,ライティオは軽々と馬に飛び乗った.
二人を囲む騎馬の輪が切れてゆく.
やってきたときと違って,今度は静かに去ってゆく.
最後にライティオは少年に向かって言った.
「次はぜひとも戦場でお会いしたいものですな.」
この少年と雌雄を決するのは面白そうだ.
互いに知の限りをつくして,戦ってみたい.
すると今まで黙っていた漆黒の髪の少女がしゃべった.
「多分,それは無理ですよ.」
少女は誇らしげに笑う.
「マリ君が居る限り,この国で戦争はありませんから.」
ライティオはくすっと微笑んだ.
「そうかもしれませんね.」
今回のように,争いの芽を芽吹く前にきっと断ち切ってゆくのだろう.
国境へとカイ帝国軍が帰ってゆく.
いったいどのような奇跡を彼らの主君は起こしたのだろうか.
町の住民たちとともにそれを眺めやりながら,コウリは思った.
隣では金の髪の少女,カリンが安堵したように微笑んでいる.
去りゆくカイ帝国軍を確認した後で,少年は後ろを振り向いた.
コウリ,サイラ,カリン,ブレオ,マツリ,そしてキュリーがこちらを見つめている.
暗示の解けたばかりの兵士たち,町の住民たち,そしてブラッケの姿もある.
少年はもう大丈夫だよと伝えるために,彼らに向かって大きく手を振った.
すると,わっと歓声が上がる.
その反応の大きさに少年はびっくりした.
そうして彼らは少年たちの方へ向かって走り出してくる.
マリ君ならきっと立派な王様になるよ.
少女は眩しそうに少年の横顔を見つめた.
ずっと手を握り締めたまま,少年は自分を手放すつもりは無いらしい.
「ずっと,一生大事にするからね.」
少女は少年の隣でつぶやいた.
10年ぶりに再会したときに,確かにそう言ったよね.
不思議そうな顔をする少年に向かって,漆黒の髪の少女は微笑んだ.
「これからもよろしくね,私の太陽さん!」
そうして少年の頬にかるく口付けた.
「こら! 人前でいちゃいちゃしないの!」
走ってきたカリンに楽しげにからかわれる.
「よくぞご無事で.」
息を切らしながら,コウリは微笑んだ.
「国王陛下,ありがとうございます!」
「陛下!」
名も分からない街の住民たちが,兵士たちがあっという間に少年を囲む.
結局誰一人犠牲にならずに済んだのだ.
雑多な人々に囲まれる少年を見つめていると,少女は頭をぽんと叩かれた.
見上げるとひげを生やした大男,ブレオが少女の頭を撫でている.
そうしてにやっと少女に向かって笑いかけた.
「自慢の夫だろ?」
少女は光り輝く太陽のような笑顔を見せた.
「当然!」
だって,いつだってあなたは私の太陽!
ツティオ公国第3代国王マリに関しては,歴史は多くを語らない.
彼の時代は安寧の時代であり,まったく動乱が起こらなかったからだ.
後世の人々は,彼を平和な楽な時代を統治した運の良いだけの王と評価するだろうか.
しかし彼の死後100年以上が経過した今でも,彼の墓に花が途切れることはない…….
銀色の髪が,お日様のように輝いている.
優しい青の瞳が,お日様のように暖かい.
私をいつか,違う世界へと連れて行ってあげると言ってくれた…….