太陽は君のもの!


第四十三章 揺らがない瞳


マリがキュリーを訪ねてゆくと,国境地帯を偵察に行くといってコウリとサイラも出て行ってしまった.
宿に残された明日香とカリンとブレオは,自然に一つの部屋に集まる.
「じゃ,今日は算術ね.」
意外にコウリよりもスパルタ教育者であるカリンが明日香に向かってウインクした.
ブレオは楽しげに笑いながら,見物を決め込む.
こうして空いた時間は,たいてい明日香の勉強にあてられるのだ.

しかし余り勉強に身が入らずに,明日香はカリンに遠慮がちに聞いた.
「ねぇ,ブラッケさんがマリ君のことを嫌っているのは,」
少し上目遣いに,金の髪の美しい少女の顔を見上げる.
「……そのぉ,カリンがマリ君を好きだったせい?」
だからアスカがいるなら大丈夫なのかもしれないと,少年は言ったのか.
正直がっかりである.

少女からの質問に,カリンは苦笑した.
「さぁねぇ.陛下はそう思っているのだろうけど,違うと思う.」
明日香はきょとんとした顔をカリンに向ける.
「陛下はね,先先代の国王だったレンおじい様に一番かわいがられていたし,多分それで嫉妬しているんでしょ.」
先先代の国王レン,このツティオ公国の創始者だ.
「レンおじい様自らが陛下に子馬を買って差し上げたって聞いたときは,私もさすがに妬いたわよ.」
カリンは懐かしげに微笑んだ.

「ふぅん…….」
明日香にはよく分からない感覚だが,きっと特別なことなのだろう.
「それに,先代の国王陛下,つまり陛下のお父様だけど,が王位を継いだのは,将来はその息子であるマリに王位を渡したかったからだとも噂されていたし.」
なんだか聞けば聞くほど,少年を遠くに感じる.
しかしそんな特別な少年が自分に対して,好きだの君が居ないと寂しいだの言っていると思うと,

「ど,どうしたの? アスカ,顔が赤いわよ!?」
カリンに指摘されて,少女は真っ赤な顔で慌てふためいた.
「いや,あの,恐れ多いというか,もったいないと申しましょうか,」
カリンとブレオの視線を避けて,明日香はごまかすように窓の外に眼をやる.
窓の外では,真昼の太陽がのんきに輝いていた.
こんなところで小学生のような算数をやっていて,いったいいつになったら自分は少年に追いつくのだろうか……?

ふいに少女は,宿の外の町の風景に眼を奪われた.
がたっと椅子から立ち上がり,窓に顔を擦りつける.
人ごみの中に,キュリーよりもさらに意外な人物を発見したのだ.
不思議そうな顔で少女を見つめるカリンとブレオの前で,明日香はいきなり走って部屋から出ていった.
「アスカ!?」
慌ててブレオとカリンが少女を追いかける.
一体,何だというのだ?

宿屋の主人が驚くのにも構わずに,乱暴にドアを開けて明日香は表に飛び出した.
「待って!」
街の雑踏の中,目当ての人物の後姿に向かって呼びかける.
「マツリさん!」
ハニーブロンドの髪の女性が驚いて振り返った.

明日香の後をついてきたカリンが驚いた視線をマツリに寄越す.
叔父であるサキルの妻であった女性,なぜこのようなところに居るのだ?

「あなたはあのとき王城の庭で会った,女の子……?」
青い顔で震える唇で,マツリは明日香に問いただした.
たった一度顔を合わせただけ,互いに名乗ることさえしなかった.
けれど……,
明日香は優しく微笑んだ.
「はい.私は明日香,マリ君の妻です.」
そうして優しくマツリの腕を取る.
「なぜ,こんなところに?」
不安げに伏せられる瞳に,少女はなぜか懐かしさを覚えた.

「アスカ…….」
見つめ合う二人の女性を眺めて,カリンはなんとなく雰囲気の似ている二人だと思った…….

その後,明日香にしては珍しく半ば強引にマツリを宿の部屋に招きいれた.
なんとなく二人の間に割り込めないものを感じて,カリンとブレオは部屋の外に出る.
二人が出てゆくと,蜂蜜色の髪の女性は口を開いた.
「お願いがあるのです,アスカさん.」
マツリは胸のポケットから小さなすべすべした光沢の赤い石を取り出す.
「これをアカムに返してください.」
少女の手のひらに落とす,ツティオ公国の直系の王族だけが持つ王家の石.
明日香は驚いて,6歳年長の女性の顔を見つめ返した.

「アカムさんって,マリ君の叔父さんの?」
青とも緑とも言えない瞳,ほとんど話したことはないが穏やかな雰囲気の男性だ.
あぁ,そうか…….
今,すべてがわかったような気がする.
彼女がこの石を持っている理由など聞かなくても分かる.
マリが自分に王家の石を渡したのと同じ理由だ.

「そう.これを返すためだけにこの国へ来たのです.」
明日香に石を手渡すと,マツリの体が不可思議な光に包まれる.
「これで,……やっと死ねる.」
マツリの緑の瞳に炎が揺らめく,そしてその炎は彼女の身体を一気に燃え上がらせた!

「止めてぇ!」
明日香は必死に,炎に包まれるマツリの身体を抱きしめる.
すると少女を避けるように炎は一瞬で消えうせた.
「離して! お願い,死なせて!」
マツリはしがみつく少女を引き剥がそうとする.

ドアの付近では驚いた顔をしてカリンとブレオが二人を見つめている.
明日香は叫んだ.
「死なないで! 諦めないで!」
未来を自分の手で葬り去ることほどの罪悪はないはずだ.
「これ以上,生きていてどうなるのよ!?」
少女の腕に抱かれ,ヒステリックにマツリがわめく.
「私,また結婚が決まったの.」
涙に濡れた瞳が,いっそ挑発するかのような光を放つ.
「今度はエンデ王国のガロード王子と,10歳の子供とよ!」

そうしてマツリは頭を抱えて狂ったように叫びだした.
「もぉ,嫌! 嫌なの! 私を何だと思っているの!?」
「マツリさん!」
暴れるマツリを明日香は負けじと抱きしめる.
これは過去の幻影だ,少し前までの自分自身だ!

「落ち着いて,私の目を見て.」
涙を湛える緑の瞳をしっかりと捕らえて,明日香は言った.
「違うでしょう.あなたがここまで来たのは,石を返すためじゃない.」
一語一語,確かめるように.
そう,きっとこれが正解だ.
「アカムさんに逢いたかったからでしょう.」
マツリの瞳から,つうと静かに涙が零れ落ちた.

「なぜ,あなたはそんなに強くなったの……?」
自分をまっすぐに見つめてくる漆黒の瞳に,マツリは聞いた.
初めて会ったとき,直感した.
同じ傷を持つ少女だと.しかし今は,
「マリ君が私を追いかけてきてくれたから,」
もう揺らがない瞳で,少女は優しく微笑む.
「君が居ないと寂しいと言ってくれたから…….」
優しくマツリを抱きしめて,彼女の涙の止まらない瞳に口付けた.

「一緒に王都へ帰って,アカムさんに会いましょう.」
私にとってのマリ君が,きっとアカムさんだと思うから…….

旅の疲れもあるのだろう,泣きつかれて眠ってしまったマツリをそっとベッドに寝かしつけてから,明日香は部屋を出た.
廊下では難しい顔をして,カリンとブレオが待っていた.
ブレオが口を開く.
「帝国から逃げて来られたのだな.」
「多分…….」
明日香は答えた,薄汚れた服装,ほとんどない旅の荷物.
無事国境を越えて,この町まで辿り着いたのがほとんど奇跡のようにさえ思える.

「どうすればいいのかしらね…….」
カリンはつぶやいた.
マツリの境遇には同情するが,かといってどうすることもできない.
カイ帝国の皇族で,叔父サキルの妻であった女性.

「アカムさんと駆け落ちしちゃ,駄目かしら?」
自信なさ気に明日香が訊ねると,二人はぎょっとして少女の方を見つめた.
「帝国にはしらを切りとおして,二人を逃がしちゃ駄目?」
少女の大胆な提案に,カリンとブレオは顔を見合わせた…….

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