君を守る.
もう,どんな風にも晒さない.
もう何度も何度も,叔父さんに抱かれたもの.
傷ついて,
フレイ殿下に強姦されたあなたの妃はまだ生きていますか?
もう,これ以上はないほどに傷ついて,
マリ君,私に文字の読み書きを教えて.
文字なんか覚えなくてもいい,強くならなくてもいい.
ただ,そばにいてくれるだけでいい…….
「意外だわ.」
夜,停車した馬車の幌の中で明日香に文字を書き取らせながら,カリンは言った.
「アスカって意外に勉強家なのね.」
明日香は不器用そうにペンを走らせていたが,つと顔を上げて笑った.
「そう? でも私,意外に成績はよかったのよ.」
学校に行かせて貰っているのに,悪い成績など取れるわけがない.
明日香が文字を習い始めてから,13日目のことである.
少女は合間合間を見つけては,精力的に勉学に勤しんだ.
すると,サイラが口を挟む.
「アスカ.ここの文字,間違えている.」
少年の指差す部分を見て,漆黒の髪の少女は微笑んだ.
「あ,本当だ.」
思わず見とれてしまう柔らかな笑み.
堅く閉ざした心の奥に,少女はこんな笑顔を隠し持っていたのだ.
「もう,女の子にしか見えないわね…….」
初めて会ったときは,少年のようにしか見えなかったのに.
「髪が伸びたからでしょ?」
すると明日香はにこっと微笑みながら問い返す.
この世界に来てからは,明日香は一度も髪を切っていない.
それに今はちゃんとカリンと同じような服装に身を包んでいる.
カリンは軽く頭を振った,金の髪がきらきらと揺れる.
「ううん.髪を短くしても男装しても,今はもう少女にしか見えない.」
この少女の美しさを最初から見抜いていたのならば,自分のいとこはなかなかの審美眼だ.
しかし当のいとこは少女が文字や国のことを勉強するのに,妙に非協力的である.
眠れない夜は一人で星を見る.
両親が死んでからの,少女の習慣だ.
皆が寝静まった夜,明日香は隣で眠るカリンが寝息を立てているのを確認してから,馬車の幌から抜け出た.
そっと幌から顔を出すと,案の定ブレオが馬車にもたれて眠っている.
ブレオを起こさないように,明日香はそろそろと外へ出る.
するといきなり後ろから声を掛けられる,彼は嘘寝をしていたのだ.
「アスカ.そっちじゃない,あっちだ.」
びくっと肩を震わせて振り返ると,ブレオは冷やかすように笑った.
「陛下があっちでぼんやりしている,どうせならあっちへ行け.」
朝まで帰ってこなくていいぞというブレオの声にあいまいにうなづきつつ,少女は馬車からこそこそと離れる.
少し行くと,空一面の星の光を浴びて少年の銀の髪が光り輝いているのを見つけた.
その後姿を見つめると,胸が締め付けられるように苦しい.
君が居ないと寂しい.
君を閉じ込めて,私だけのものにしたいよ.
私は今,この後姿に声を掛けてその隣に座ることができる…….
それが泣きたいくらいに嬉しい.
好きで,好きで,こんなにも好きで,これほどまでに人を好きになるなんて…….
「……マリ君.」
少し震えた声で呼びかけると,少年は優しく微笑んで振り返った.
「今日当たり,抜け出してくると思った.」
少年の見せる笑顔だけで胸がいっぱいになる.
少年の立つ傍らにちょこんと腰をかけると,少年も腰を降ろした.
少年の隣は暖かい.
「マリ君.私ね,自分の名前を書けるようになったよ.」
少し俯き加減に話しはじめる.
隣に座る少年の体温を感じるだけで,心がふわふわと浮き立つ.
「アスカ・カンバラ・ツティオって…….」
すると肩を抱かれてこめかみにキスを贈られた.
少年の方を見つめると,今度は唇にしっかりと口付けられる.
「アスカは何もしなくていいよ…….」
少年は,とろけてしまうほどに優しい.
「傍にいてくれるだけで,嬉しいから.」
途端に不安になる,少年が自分が勉強するのをどこか不機嫌そうに眺めているのを知っているからだ.
「マリ君は,……私が勉強するのは,いや?」
揺れる,足元から心がぐらぐらと揺れる.
「……なら,止めるから,」
嫌われたくない,失いたくない,この光を.
少年はみるみるうちに泣きそうな顔になってしまう少女の顔を見つめた.
「いや,そうじゃなくて……,これ以上何もがんばらなくてもいいと言いたいんだ.」
マリ君の意思にそぐわないのなら,私は…….
その瞬間,気付いた.
これでは叔父の言いなりになっていた頃と同じではないか!?
少年の目の前で,少女の顔色がさっと青ざめる.
自分の体の上を這いずり回る叔父の手の感触.
もっと抵抗すればよかったのだ,いっそ逃げ出せばよかったのだ!
「……アスカ?」
少年が心配そうな顔をして少女の頬を撫でた.
「やっ!」
少女は思わず,少年の手を払いのけてしまう.
少年が驚いた,次に傷ついた顔をした.
私,私はマリ君と向き合いたい…….
向き合うって決めたじゃない!
「私,マリ君が反対しても勉強するね.」
少年の青の瞳をしっかりと見つめて言う.
「あなたと同じ世界が見たいから.」
王様であるマリ君の隣に居たいから.
マリの隣に居たいのなら強くなりなさい.
強く,強くなる.
少年を遠くに感じるのなら,自分から近づいてゆけばいい.
「アスカ…….」
銀の髪の少年は戸惑う.
少女の唐突な変化についてゆけない.
潤んだ漆黒の瞳で,こちらに微笑みかけて,
「……好き,大好きなの.」
いきなりの少女の告白に,少年は顔を真っ赤にした.
そのしっとりと濡れる瞳を連れ去って,自分だけのものにしたくなる.
少女がこんな眼差しを向けるのは自分だけだということも,少女が自分に対して心を開いてくれつつあることも,ちゃんと分かっている.
「アスカ,」
それでも,これほどまでに愛しい…….
「そんな顔,私以外には見せないでね.」
少女の涙がこぼれそうになる瞳にそっと口付けた.