夜,テントの中で隣に眠るエンカの寝息を確かめてから,明日香はこっそりと外へと抜け出した.
眠れない夜は,寝床についていても苦しいだけだ.
空は満天の星空,いつかと同じように星ぼしの光が少女に降り注ぐ.
二人で一緒に見上げた夜空.
もう二度と無い…….
「アスカ……?」
静かに呼びかけられて,少女は振り返る.
「なんだよ,そのいかにもがっかりしたような顔は?」
からかうように笑いながら,しかし口調は優しくブレオは言った.
そうして,どかっと少女の隣に腰を降ろす.
「アスカ,俺とマリの出会いの話とか聞きたいか?」
顎の無精ひげをなでる男の隣にそっと座り込み,少女は小さく頷いた.
「そうそう,子供は素直が一番!」
ブレオは少女に向かって,にかっと笑ってみせる.
するとふいに少女の顔をまじまじと見つめ,今度はこらえきれないといった態で笑い出す.
「なんだよ,そのいかにも見捨てられたような眼は!?」
「え?」
少女がきょとんとすると,ブレオはごつごつとした手で少女の頭をぽんぽんと叩いた.
「お前,結構俺になついているだろ? 分かっているんだぜ.」
そう言って,にやっと笑みを見せる.
「なついていませんよ!」
顔を赤らめて,少女は頭の上に乗っている男の手を取った.
「うそつけ,嫌われたと思って落ち込んでいたんだろ?」
そんなことないと言いそうになって,少女はそれが図星であることに気付く.
ブレオは楽しそうにくつくつと笑い声を立てた.
「マリの昔話,聞きたいだろ?」
顔を赤らめて,明日香は膝の中に顔を隠した.
「……聞きたくないです.」
幼い子供のようにすねた声を出す.
しかしそれには構わずにブレオは話をはじめた.
「あれは,俺がツティオ公国王都で盗賊団の頭をやっていたときのことでな,」
ある夜,王都の端でえらく身なりのいい子供二人に出会った.
いつもどおりに部下たちに命じて少年二人を襲わせたが,子供ながらに剣の腕も魔法の技も立つ.
あっという間に10人ばかりの部下を倒して,銀の髪の少年は言った.
「はじめまして,私の名はマリ・ツティオです.」
ツティオの性に,盗賊たちは耳を疑う.
少年はまっすぐな瞳でブレオを見つめた.
「あなたが頭ですね.どうして盗賊などをやっているのですか?」
「それで金が無いからと言うと,働けばいいという.俺たちみたいな奴らを雇ってくれるところなど無いというと,城で働けばいいと言ったんだ.」
懐かしそうに,ブレオはしゃべった.
決して忘れることのできない出会い,色褪せることのない少年の像.
明日香はおとなしく黙って,自分の知らない少年の昔話に耳を傾けている.
「そうですね,あなたの盗賊の眼から見て,城の警備の甘いところを直してくれませんか?」
少年はにっこりと笑って答えた.
「なんせ我が公国はのんびりとしすぎているので.」
隣では少し年長の亜麻色の髪の少年が驚いた顔をしている.
「もしくは王都の警備担当になりませんか? あなたなら王都のどこらあたりが危ないのか,よく分かっているでしょう.」
「当時12歳のガキがだぜ,なんとも豪胆なことを言いやがる!」
ブレオは本当におかしそうに笑った.
「それで,どうしたんですか?」
明日香は自分の興味を精一杯隠しつつ聞いた.
しかしブレオから見ると,余りその仮面のかぶり方は成功しているとは思えない.
「アスカが聞いた話のとおり,マリを誘拐したのさ!」
ブレオはあっけらかんと答えた.
「けれど,どうしてか俺も仲間たちもあいつに丸め込まれてしまった.」
頭がよく回るかと思えば,妙なところで子供らしさがでてくる,純粋かと思えば,妙に俗っぽいことに興味を持っていたりする.
けれど……,
あの青の瞳にはついていきたくなる,何か大きなものを期待してしまう.
結局ブレオたちはマリを解放し,おとなしく縄についた.
なのにいつの間にか,王国軍の王都警備部に勤めることになっていた.
牢屋に入れられていたのに,なぜか王国軍に入隊する手はずが整っていたのだ.
後で聞いた話だが,マリが自分の目の届く場所で王子誘拐の罪を償うよう,口八丁に周りを言いくるめた結果らしい.
しかしブレオ自身は,軍には入らずに,
「城に押しかけていって,マリの護衛役を2年ばかり務めた,いや無理やりお節介を妬いただけだがな.」
今度は真剣な表情になり,ブレオはしゃべった.
「あいつは王位を狙う叔父に命を狙われていたんだ.」
少女はどきっとした,それはサキルのことだ.
少女の揺れる漆黒の瞳をまっすぐに見つめて,ブレオは言った.
「マリは王の器だ.当時でさえ俺はそう思った.あのサキルとかいう男が王位を継ぐよりも,このガキが王となるべきだと.」
引き込まれるように少女は,ブレオの顔を見つめ返す.
「まさか,こんなにも早くに王位を継承してしまうとは思っていなかったが.」
そうして,ふっと微笑んでブレオは少女に訊ねた.
「マリは王としてうまくやっているかい? 噂ではなかなか評判いいみたいだけど,やっぱり心配でな.」
妙に納得したような表情で少女は口を開いた.
「マリ君は……,」
そうか,この人は父に似ているのではない,父親の表情をして自分を,マリを見ているのだ.
昔話をしたのだって,国王となったマリの話が聞きたかったからに決まっている.
「マリ君は立派な王様ですよ.」
……守りたいんだ,君もこの国も.
漆黒の髪の少女は愛しそうに微笑んだ.
「城の人や王都の人たちにすごく慕われている国王様です.」
その青い瞳の中に,大切なものをたくさん映して…….
自分自身が少年の手から零れ落ちた大切なもののひとつであることを知らずに,少女は告げた…….