太陽は君のもの!


第二十六章 夜を抱きしめて


暗い部屋の中で,少女は眼を覚ました.
明かりの消えた部屋の中,枕もとに頭を突っ伏して眠っている少年の銀の髪だけが明るい.
少年を起こさないように,明日香はベッドから静かに立ち上がった.

そっとバルコニーに続く窓の傍まで歩み,音を立てないように窓を開く.
しかし窓をほんの少し開けただけで少女の手は止まってしまう,眠っていたはずの少年の手が少女の手を覆ったからだ.
銀の髪の少年は,少女の手を掴んだままで窓をきちんと閉めた.
そうして窓のガラスに両手をつき,少女を自分の腕の中に閉じ込める.

明日香は表情の無い顔で,少年の青い瞳を見つめた.
眼の高さが少女より少しだけ上である.
マリ君はまだ身長が伸びているのだなと,少女はぼんやりと思った.

「何を考えているの? アスカ.」
少年がぽつりと訊ねる,優しげだが少年の視線は嘘を許さない.
「何も…….」
視線をはずして,少女は答えた.

永遠かと思われる静寂の中,だた二人黙る.
少年は先回りするようにしゃべった.
「アスカ,助けにくるのが間に合わなくて,そして迎えに来るのが遅すぎてごめん…….」
少女の瞳が一瞬だけ見開かれて,そしてまた伏せられる.
「……謝る必要は無いよ,マリ君.」

そうしてぱっと少年の顔を見上げる.
「私はそんな価値のある人間じゃない,マリ君に想われるような女じゃない!」
少女の漆黒の瞳に激情の炎が映る.
「私は汚い! マリ君,見たでしょう!?」
あの暗い部屋の中で男に抱かれながら,開かれた扉の光が縁取るシルエットが少年のものであることに気付いたとき,私は私であることを辞めたくなった.

君は今からヒロカだ.私のいとこのヒロカだ.
たとえ記憶が消え,別人になったとしてもこの身体は汚いままだ!

「アスカ,落ち着いて.」
背中に回される腕の温かさに,涙が出そうになる.
「優しくしないで,私は大丈夫だから!」
どくんと視界が真っ暗になる.
「私,初めてじゃないもの…….」
少年にだけは知られたくないと思っていたことなのに,後から後から口をついて言葉が出てくる.
「もう何度も何度も,叔父さんに抱かれたもの.」

少年の胸に重いものが,ずしんと詰め込まれる.
予想していたこととはいえ,少女の口から言われるとまた違った衝撃を感じる.
少年は顔をこわばらせて,少女を見つめた.
「マリ君,マリ君の石がなぜ,私の体内にあったと思う?」
少女の告白は止まらない,もはや自分では止められない.
「叔母さんが……,」

聞いていられなくて,強引に少年は少女の唇を塞ぐ.
「アスカ,もういいから…….」
そしてしっかりと少女の瞳を見つめて言った.
「一緒にこの国を出て,ガトー国へ行こう.」

ヒロカであるときも言われた科白だ.
「駄目だよ,マリ君は国王でしょう.」
……私は王であることを捨てるつもりだ.
「ガトー国ならきっと,穏やかになんの危険も無く安心して暮らせるさ.気候だって暖かいし……,」
そして少年はふっと微笑む.
「すごくユニークな国王様が居るよ,私の母方のおじい様なんだけど…….」

しかしそれをさえぎるように,少女はきっぱりと告げた.
「辞めて,マリ君.……太陽を独り占めにはできない.」
少年はこの国の国王,みんなの太陽.
街の人々にどれだけ少年が慕われているのか,私はよく知っている.
「もうとっくに,太陽は君のものだよ.」
少年の青い瞳を間近に感じる.
瞳を閉じると,そっと落ちてくる優しい口付け.
互いの気持ちを確かめ合うようなキスを,少女は初めて経験した…….

窓のガラスに少女を押し付けて,少年は何度も何度も唇が痛くなるほどに口付けを贈った.
何度目かのキスで,少女の体がびくっと震える.
少女の震えに合わせて,窓のガラスがかたかたと鳴った.
「……ごめん.」
少年はさっと少女から身体を離す.

すると少女はいきなり少年の身体に抱きついてきた.
強く必死にしがみついてくる.
これほどまでに私にはあなたが必要なのだと…….

少年は少女の身体をそのまま抱き上げた.
痩せた少女はかるがると持ち上がる.
このまま,消えていなくなりそうだ…….

「前にも言ったよ.」
かすかに少女がつぶやく.
「マリ君なら,いいよって.」
漆黒の瞳が今まで見たことのないほどに悲しげに揺れていた.
少年は小さく頷いて,少女をベッドへと連れて行った.

そうして震える少女の身体をしっかりと抱きしめる.
この少女の震えが収まるように,そして冷えた体が少しでも温まるように…….

夜が二人を包み込んでいた.
言葉をひとつでも発してしまえば,何もかもが壊れてしまいそうだった.
このまま夜が明けなければいいと感じた.

無遠慮な朝の光を浴びて少年が目を覚ますと,案の定少女の姿はベッドの中にはなかった.
一人ベッドから起き上がり,少年は奇妙に納得している自分を自覚した.

「で,どうなさるのですか?」
すでに諦めたような表情で聞いてくる亜麻色の髪の青年に,マリは笑ってみせた.
「もちろん,追いかけるよ.コウリ.」
と,青年の予想通りの答えを返す.
「じゃ,今から王都を捜索だね.」
今度は弟の方がしゃべる.

しかし,少年はかぶりを振った.
「いや,探す必要は無い.アスカの行動は予測できるから.」
そうして,少年は妙に自信を持って説明をはじめる.
「おそらくアスカはガトー国へ向かうはずだ.しかしアスカには路銀がない,だから……,」
すると続きは,金の髪の美しい少女が受け持つ.
「交易商人の商隊に雇われて,ガトー国へ行くつもりなのね.」

少年は明るい青の瞳を光らせて頷いた.
「あぁ,だと思う.となると捜索をしても,おそらく見つからないだろう.」
今この瞬間にさえ,どれほどの商隊がこの王都にいるのか.
しかもガトー国とツティオ公国を結ぶ街道は,主だったものだけでも3つある.
その中からたった一人の少女を探し出せるとは思えない.

「だから先回りして,国境の関所で待ち伏せよう.」
いくらツティオ公国とガトー国が親密であれ,国境を越えるには必ず関所を通らなくてはならない.
少年は自分を見つめる3人の幼馴染たちに向かって言った.
「馬で急げば,商隊よりもだいぶはやくに国境に辿り着くはずだ.」

「護衛として働くって,君,女の子でしょ?」
無精ひげを生やした男に上から下までじろじろと見られて,明日香はきっぱりと言い放った.
「剣の腕なら,ある程度は立ちます.」
腰に剣を下げ少年にしか見えない服装に身を包んで,少女は男に相対した.
すると男は意外そうな顔をして,そしてぷっと軽く吹き出す.

「昔,同じ事をあるガキに言われたな.」
笑うと片頬にえくぼができて,途端に愛嬌のある顔になる.
「来な,テストしてやる.」
「ありがとうございます.」
少女はほっとして答えた,いろいろな商隊で立て続けに断られ続けていたからだ.
しかもある商隊では商隊長に身体を触られそうになり,思いっきり殴りつけてしまった.

「俺はここの護衛長でブレオだ.お前は?」
無骨な印象を与える青年は,その印象のままに少女に名を問う.
「神原明日香,17歳.」
まっすぐに男を見つめ,漆黒の髪の少女は答える.

しかし少女はいまだに自分の本名を名乗れないままであった…….

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