太陽は君のもの!


第二十章 昏い夜に


それから4日間,明日香はずっとマリのそばに居た.
少年が忙しく宰相である老人と話しているときも,兵士たちとなにやら相談しているときもただ黙って隣に佇んでいた.
理由は簡単である,何かと少女に迫ってくる青年フレイから身を守るためであった.
それにマリが決して傍から少女を離さないのだ.

「陛下,明日になったら娘は帰ってくるのでしょうな?」
あまり成功しているとは思えない作り笑いをしながら,カイ帝国の皇族は聞いた.
「えぇ,必ず.」
少年は表情を消して,表面だけで微笑んだ.

すると隣では彼の妻に,息子の方が話し掛けていた.
「あのまっすぐな少年が君のことを理解できるとは思わないけど…….」
一言で痛いところを突かれて,少女は言葉を詰まらせる.
するとサイラが替わりに答える.
「そんなこと,あんたには関係ないだろ.」
「私なら,君の傷も過去も許してあげるさ.」
青年の甘い言葉にサイラは怪訝な顔をし,少女は瞳から感情を消した.
そうして感情のこもらない声で答える.
「理解なんて要りません,誰からも…….」

「アスカ.」
うっとおしくまとわりついてくるだけのマツリの父を振り切って,マリは少女の肩を抱いた.
「フレイ殿.明日,姉君に再会できますよ.」
明るい青の瞳で彼を睨みつける.
これでは国王というより,単に嫉妬しているだけの少年だ.
「それでは,今日のところは失礼します.」
そうして亜麻色の髪の少年をお供に,少女を連れて部屋から出て行ってしまう.

残された部屋で,父は息子に聞いた.
「うまくいきそうか,フレイ.」
青年は父親ににっこりと笑って答えた.
「えぇ,私は必ず殺されてみせますよ.」
青年の金の瞳に不可思議な光が灯る.
「国王マリの手にかかってね.」

厚い雲によって月が隠された暗い夜,フレイは漆黒の髪の少女を部屋に迎えた.
少女の漆黒の瞳は闇,どんな闇夜よりも暗く深い.
「待っていたよ,アスカ.」
そうして彼女の肩を抱き,部屋の中へと入れる.
「君は初めて会ったときから,私の暗示にかかってしまったのだよ.」

フレイは何の反応も示さない少女を部屋の簡素なベッドに座らせる.
「さぁ,君の心を潰してしまおう.」
青年は少女の暗い瞳の奥を覗きこんだ.

「神原明日香!」
ふと呼ばれて振り向けば,3年生の教室の窓から廊下に身を乗り出して,一人の男子生徒がこちらを眺めていた.
「先輩,誰ですか?」
明日香は楽しそうに彼女を眺める,1学年上の少年に聞いた.

「佐伯正俊.君,有名だせ,女子空手部にものすごい男前が居るって.」
くるくると瞳を躍らせて,少年は笑う.
思わず明日香は苦笑した.
インターハイにまで出場して,彼女はこの高校の中ではちょっとした有名人である.
「好きだ!」
「へ?」

いきなり廊下で叫んだ少年に,周囲も驚きと好奇の視線を送る.
「というわけで,付き合ってください!」
と言って,窓の枠越しに少年は頭を下げた.
少女はただ驚くばかり…….

眩しいライトに照らされた表彰台から降りると,すぐに先輩たちに囲まれた.
「神原,えらい!」
「明日香,天才!」
県立八条堀高校,女子空手部一同に,明日香はもみくちゃにされる.
このままでは胴上げまでされそうだ.

ふと輪の外を見ると,ジャージに身を包んだ穏やかな表情の中年の女性が微笑んでいた.
「須藤先生!」
少女が呼びかけると,やったねと言った感じでガッツポーズをしてみせる.
それに元気よくピースサインを返して,明日香は笑った.

先生,先生のおかげですよ.
私,強くなりました,たった半年で全国2位なんてできすぎですよね.
でも,来年は絶対に誰にも負けませんから!

白と黒のしましまが少女の周囲を脅かすように囲んでいた.
幼い少女の手を引く男性が,少女に優しく話し掛ける.
「かわいそうにね,明日香ちゃん.君のパパとママを轢いたトラックの運転手は飲酒運転だったのだよ.」
しかし幼い少女には意味が分からない.
きょとんと男性の顔を見つめている……,少女の漆黒の瞳は無垢そのもの.
「大丈夫だよ,叔父さんのおうちにおいで…….」
男性は安心させるように微笑んだ.

「……駄目!」
フレイの腕の中で少女が震えだす.
「ついていっては,駄目!」
震える少女を抱き寄せて,フレイは聞いた.
「この背中の傷は……?」
少女の細い白い背には,首筋から腰まで2条の刃物で切られた跡が生々しく残っていた.

長い髪を背中に垂らし,セーラー服に身を包む.
机の上に中学指定の鞄を乱暴に放り投げると,ベッドの脇のテーブルからガラスのビンを手に取った.
色とりどりのビー玉がそこには詰まっている.
その中でもひときわ美しく輝く赤い石.
小さな赤い石を手に取り覗き込んで,少女は追憶の少年に想いを馳せた.

マリ君,お願い.
迎えに来て…….
私,もう限界.

そうして少女はおもむろに石を飲み込んだ,しかし苦しげにうめいてすぐに吐き出してしまう.
……どうやったら,もう一度逢えるの!?

ふと,部屋のドアの開く音がした.
振り向くとそこには,彼女の養い親が青い顔をして立っている.
手には包丁を持って…….

「お,叔母さん!?」
どっと音がして,ビー玉のつまったガラス瓶が少女の手から落ちる.
「あなたが,私の夫を誘惑したのよ!」
床に転がるビー玉,しかしそれには構わずに叔母はおおまたで少女に歩み寄る.
「あなたを引き取るまで,あんな人じゃなかったわ!」
そうして少女の長い髪を掴む.

部屋のライトに照らされて叔母の持つ刃物がてらてらと輝く.
しかも叔母の刃が向けられる対象は,自分自身である!
「違う,違う! 叔父さんが無理やり……,」
少女は必死に弁解を始める.
「あなたさえ,いなければ……!」
振りまわされる出羽包丁に,少女は簡単に部屋の壁際に追い詰められた.

「ひぃ…….」
少女は為すすべも無く壁にすがりつく.
一回,二回,灼熱の痛みが背中に走った.
ずるっと少女は壁から崩れ落ちる.

倒れ込む少女に馬乗りになり,叔母は再び少女の背に向けて刃物を振るおうとした.
不意に少女の右手が何かを隠すように握られているのに気付く.
「何!? あの人から何かもらったの!?」
朦朧とする意識の中で,少女は少年から貰った赤い石を飲み下した…….

初めてセーラー服を着たときに,叔父は言った.
「かわいいね,明日香ちゃん.」
そうして少女の頬に口付ける.
少女が怯えた顔をして後ずさると,追いかけてその手を掴む.
「抵抗しないで,抵抗すると叔父さん,明日香ちゃんのこと嫌いになっちゃうよ.」
そのときの叔父の表情が忘れられない…….

「きゃあああああ!」
少女は渾身の力で叫んだ.
「ああ,ああああああああ!」
フレイの腕に抱かれながら…….

「アスカ!」
がんと響いてドアが開かれ,部屋に光が入る.
締め切った部屋の暗闇に,明るい真昼の光が入ってきたのだ.
その光を縁取る銀の影.

少年の姿を認めた瞬間,少女は意識を手放した.
いや,少女は光り輝くものすべてを捨てたのだ.

そのとき少年が見たものは,ベッドに組み敷かれる少女と少女を抱く青年.
思考など何も働かずに,少年は剣を抜いた…….

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