太陽は君のもの!


第十九章 帝国からの使者


「明日香,パパのこと好きかい?」
大きな背中,暖かい肩,朗らかに笑う顔.
「あら,ママの方が好きよね?」
優しい微笑み,甘い匂い,柔らかい腕.

これは夢だ.
幸福な過去の夢.

「アスカ,私のこと好きだろう?」
まだ少年っぽさが残る声,銀の髪,青い瞳の……,
「……うん,好き…….」
ふっと瞳を開けて眼を覚ますと,うれしそうに微笑む少年と目が合った.

「マリ君!?」
少女は顔を真っ赤にして,ベッドから跳ね起きた.
ベッドの脇では,少年が愉快そうにくすくすと笑い出す.

……信じられない,はめられた.
決して言うつもりはなかったのに…….

「アスカ,おはよう.」
と言って,少年は少女の額に軽く口付けた.
少女の心臓が跳ね上がる,しかしそれは心地のよい動悸だった.
「マリ君,今日は……,」
少年は顔をさっと引き締めて頷いた.
「あぁ,来たらしい.」

コウリたちが王城から旅立ってからちょうど10日後の昨日の夕方遅くに,カイ帝国から使者がやってきたらしい.
昨夜は王都の宿屋に泊まり,そして今日朝一番に国王であるマリと会見するのだ.

彼らの名は,フレイ・イング・カイとアベル・コクラン・カイ.
帝国皇家の人間で,この国へと嫁いできたマツリの弟であり,父であった.
まさかここまで近親者が来るとは,マリは予想していなかった.
しかも皇族の人間が来るとは……!
自国に対する帝国の欲の深さを少年は思い知った.

「……というわけで,アスカは部屋から出ないで.」
少年はまっすぐに少女の漆黒の瞳を見つめて言い渡した.
「うん.」
すると,少女にしては案外素直に頷く.

シキに攫われた日以来,少女は再び少年の衣装に身を包んでいた.
王城に居るときでもきちんと帯剣し,とてもではないが王妃には見えない.
しかしカイ帝国がライアセイトを体内に持つ少女のことをどう考えているのか分からない以上,少女の自衛を咎めることはできなかった.

少年は少女の瞳から視線ははずすと,途端に王の顔になる.
そうしてなんの迷いも無くすたすたと部屋から出てゆくのだ.
……守りたいんだ,君もこの国も.
大丈夫,マリ君ならきっとこの国を守れるよ.
部屋から出てゆく少年の背中を眩しげに少女は見つめた.

「陛下,おはよう.」
廊下を行くと,亜麻色の髪の少年がやってくる.
そうしてともに歩きながら,不安そうにしゃべってきた.
「思ったよりも早く来たね…….」
「あぁ…….」
どれだけ急いで旅をしたとしても,まだコウリもカリン,ヒロカも目的地にはついてはいない.
せめてあと5日ほど時間を稼ぐ必要があった.

扉を開け少年二人が謁見の間に足を踏み入れると,いささかわざとらしい笑顔で中年の男が彼らを迎えた.
彼がマツリの父であるアベルであろう.
裕福さを誇示するかのようにでっぷりと太った男だ.
「おぉ,陛下.お忙しいところ,恐縮でございます.」
マリは青の瞳から表情を消し,表面だけでにっこりと微笑んだ.
このうそつきの笑顔は,ある意味漆黒の髪の少女から教わったといえるのかもしれない.
「ようこそ我が公国へ.しかしあいにくマツリ殿は不在なのです.」

するとおおげさな驚きかたをして,アベルは訊ねる.
「ほほぉ,すると我が娘は今どこへ?」
「サキル叔父上とともに少しばかり旅行に出ておられるのですよ.5日もすれば帰ってきます.」
少年は,いかにも申し訳なさそうに言った.
「それまで,この城で待っていてくれませんか?」

すると今まで黙っていたストロベリーブロンドの髪の青年が,こらえきれずにくすくすと笑いだした.
マツリの弟フレイである.
「何か策でもあるのですか? 陛下.」
試すように,国王である少年に聞いてくる.
「何もございませんよ.フレイ殿.」
しかし少年の答えを無視して,彼は同情的な視線をよこす.
「こんなに幼い肩に国を乗せて,しんどくはありませんか?」
青年の金の瞳が,不可思議な光を放つ.
心の底までも見透かすような瞳だ,しかし少年はその瞳になんの怖れも感じなかった.

主君を馬鹿にするように揶揄する客人に対してサイラはむっとした.
しかし彼の主君は肩を竦めて,青年の発言を流す.
「5日間,お暇でしょう.このサイラが王都を案内しますので,どうぞおくつろぎください.」
「監視の間違いでしょう,陛下.」
フレイは品のある顔に皮肉な笑みを浮かべて,少年の言を訂正した.

互いに笑顔を保つ少年と青年の間に緊迫した空気が流れる.
しかしその緊張は青年によってふいに破られた.
「まぁ,いいでしょう.5日間楽しませてもらいますよ.」

ぼんやりと少年の部屋のバルコニーから,王城の庭を眺めていた明日香はふとした気配に振り返った.
「初めまして,ライアセイトのお妃様.」
突如,背後には見知らぬ男が立っていた.
赤みがかったブロンドの髪,金色の瞳,少女より4つ5つぐらい年上の男だ.
驚きに声も無く少女は,さっと青年から離れる.

しかし青年は少女の細い両手首を掴んで少女の身体を引き寄せた.
「あなたにとって一番怖いことはなんです?」
隠した心の闇を覗き込むような金の瞳に,少女は背筋までぞっと震えた.
「それは,マリ君に知られること……,」
少女の意思を無視して,唇が言葉をつむぐ.
「知られて,嫌われること……,」
何,何を言っているの,私は……!?

口が勝手に動く.
すると青年はにっこりと笑って答えた.
「私お得意の外交術,心の魔法です.」
少女は真っ青な顔で青年を見つめた.
珍しい漆黒の瞳がこれ以上はないほどに見開いて,少女の怯えを如実に表す.
「あなたの夫にはまったく通じませんでしたけど……,」
……あなたはよほど心の弱い方らしい.
そうして唇を,震える少女のそれとあわせようとする.

「そこまで.動かないでください,フレイ殿下.」
ふと横を見ると,さきほど巻いたはずのサイラという名の少年が抜いた刃の切っ先をフレイに向けていた.
「アスカは我が公国の王妃だ.その手を離せ.」
しかしそれ以上に,この少年から殺気を感じる.
楽しそうに少年を見やって,フレイを少女の手首を開放した.
そのままずるずると青い顔をして少女は倒れこむ.

少女を横目で見やって,サイラは油断無く剣を構えた.
見えるところと見えないところ計20人もの監視役から逃れて,このような城の最奥部である王の部屋までやってきた青年.
どれほど剣の腕が,また魔法の技量があるのだろうか…….

しかし青年のほうではことを構える気は無いらしい.
「ちょっとおふざけが過ぎたようですね.剣を収めてください,サイラ殿.」
サイラは警戒を解かずに,敵愾心剥き出しで剣を収めた.
「それから王都の案内はできれば,彼女にお願いしたいのですが,」

「そんなの,」
サイラがかっとして断ろうとしたとき,ばんと乱暴な音がしてドアから彼の主君が現れた.
「お断りしますよ,フレイ殿.」
そうして,すばやく倒れこんでいる漆黒の髪の少女を抱き寄せる.
「彼女じゃないと,5日間も待てないと言ってもですか?」
すると少年はきっぱりと言い切った.
「愛する女性も守れないような男に国は守れません.だから彼女は渡せない.」

「どちらもほしいなんて,それは子供のわがままですよ,陛下.」
おかしそうにフレイは笑った.
「シキからの報告どおりの方なのですね.」
シキの名を出すと少女を抱く王も,その二人を守るように立つ少年もぎくりと顔をこわばらせる.
「まぁ,いいです.彼女のことはとりあえず諦めましょう.」

そう何も少年を相手にしなくてもいいのだ.
堅固な岩を突き崩すには弱いところを叩くに限る…….
そしてこの国の国王の弱点はあまりにも見え透いている.

青い顔をして少年に抱きかかえられている少女を見つめて,フレイは肉食獣の笑みを隠した.

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