水底呼声 -suitei kosei-

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  『水底呼声』バレンタイン・ホームドラマ  

バレンタインデーに,妹の作ったチョコレート菓子を食べる.
兄として,これ以上の幸福はない.
しかし上記のことには,とても大切な前提条件がある.
その菓子がまともなものならば,という前提条件だ.
バウスは,セシリアお手製のトリュフを,じっと見つめた.
そしてセシリアは,そんな兄の様子を緊張した面持ちで,これまたじっと見つめている.
結論から言おう.
この菓子は,食べたくない.
いくらかわいい妹の手づくりとはいえ,まずいものはまずいのだ.
去年まではセシリアは首都神殿にいたから,食べた振りをすればよかった.
だが今年は,目の前にいる.
しかも,ともに食べてくれるライクシードはいない.
ちなみに弟は去年,セシリアのガトーショコラを食べて,腹を下した.
ついでに言うと,バウスは一口食べただけで吐き出して,残りは捨てた.
バウスとセシリアが,テーブルの上のトリュフをはさんで,じりじりと緊張感を高めあっていると,
「失礼します.」
部屋にスミが入ってきた.
「会議の時間ですので,お迎えに上がりました.」
バウスはすぐさま,いすから立ち上がった.
「分かった.すぐに行く.」
「ええーーーーっ!?」
セシリアが不満の声を上げる.
「菓子は後で食べるから.じゃぁな,セシリア.」
バウスは足早に,部屋を出ようとする.
「待ってよ,兄さま! せっかく作ったのだから,今,食べてよ.」
セシリアは菓子の皿を持って,追いかける.
「殿下,食べなくていいのですか?」
スミが口を挟んだ.
「菓子を食べる程度の時間はありますよ.」
バウスはスミのせりふを恨んだが,スミは親切心で言っているらしい.
「食べてから仕事に行ってよ,兄さま!」
セシリアはぷんぷんと怒りながら,皿を差し出す.
それから,
「そうだ,スミも食べる?」
とたずねた.
「え? いいの?」
「もちろん!」
セシリアはうれしそうに笑った.
そしてバウスが止める間もなく,スミはトリュフを口を含んだ.
とたんに,あまりのまずさに吐き出して,……とはならなかった.
スミは平然とした顔で,うまいよと言った.
「ミユさんより,断然マシだし.」
「本当!?」
「うん.」
セシリアは大喜びだ.
何なんだ?
セシリアの作った菓子は見た目は悪いが,味は大丈夫なのか?
バウスは,あっけに取られる.
去年と今年で,セシリアの料理の腕は,飛躍的に向上したらしい.
バウスは,皿の上のトリュフをひとつつまんだ.
ひょいと食べてみる.
瞬間,天地がひっくり返るほどのまずさに,めまいがした.
ふらりと倒れて,がくんとひざをつく.
「殿下! どうなさったのですか!?」
「兄さま!」
くらくらしながらも,兄としての矜持を保つために,なんとかトリュフをのみこんだ.
お世辞にも,うまいとは言えない.
なぜ,スミはこれに耐えられたのか.
その後,体調を崩したバウスは会議に遅刻し,バウスの代わりにトリュフを完食したスミを,少しだけ認めるようになったという.
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