水底呼声 -suitei kosei-

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  砂漠の歌姫8  

適当に人の流れに合わせて歩いて,メイシーは城の前庭にたどりついた.
太陽の位置は低いが,外はまだ明るい.
庭には,大広間以上に大勢の人がいた.
帰ってきた兵士たちが,陽気に酒をのんでいる.
門は大きく開かれて,城下街からも人が来ている.
いくにんかの旅芸人たちが,歌ったり踊ったりしていた.
メイシーには,まだなじみの薄い神聖公国の音楽だ.
普段は前庭にはないテーブルやいすが置いてある.
テーブルのそばでは,街の子どもたちが大騒ぎしながら菓子をほおばっていた.
メイシーは,はじの方にあるいすに腰を降ろす.
誰もメイシーを知らないらしく,声をかけなかった.
メイシーは,この城にやってきて一か月半程度だ.
ずっと国境にいた兵士たちが,メイシーを知っているわけがない.
そもそもメイシーの顔を知っているのは,城にいる人たちのみだ.
城下街に住む人でさえ,メイシーの姿かたちを知らない.
よってメイシーとチーキーが入れ替わっても,特に支障はないだろう.
メイシーは悪目立ちするのを避けるために,旅芸人のふりをしてウィッヂの調律を始めた.
結局,メイシーが悪かったのだ.
初夜のときに,妻の勤めを果たすべきだった.
もしくはライクシードに剣を返したときに,私を抱いてと言えばよかった.
いや,彼の寝室にみずから足を運べばよかった.
なのに,何もしなかった.
ライクシードと彼の家族に優しくされるだけで,愛を告げることも請うこともしなかった.
そのつけが,これなのだ.
「自治区の楽器?」
「めずらしいね.」
「君,バンゴール自治区から来たんだろ? 肌の色が,俺たちとはちがう.」
男たちがメイシーの周りに集まってきた.
どうやら逆に,目立ったらしい.
兵士たちはメイシーを旅芸人と思い,興味しんしんでウィッヂに視線を注ぐ.
ちょうどほかの旅芸人たちの曲が途切れた.
一瞬の間,静かになって,
「私の声を風は運ばない.私の想いは届かない.」
メイシーはウィッヂを弾いて,大きな声で歌い出す.
わっと男たちが盛り上がった.
「けれど月が見守ってくれる.あなたに届かなくても,私の想いは死なない.」
失恋の歌は,基本的に受けがいい.
メイシーはそれを,肌で知っている.
つまり,人前で歌い慣れている.
「あなたのまなざしは,乾いた大地をうるおした.」
なぜなら,旅芸人のふりをして街で歌ったことが,何度かあるからだ.
メイシーにそうするように指導したのは,ウィッヂの師匠であるコナーだ.
「雨のような喜びと,悲しみをもたらした.」
もちろんメイシーの身元がばれないように,遠くの街で歌った.
旅芸人のまねには,邸の使用人たち,――特にニアスが協力してくれた.
「あなたに出会ったことは,無意味ではない.」
ニアスはいつも,メイシーの歌に喜んだ.
彼だけでなく,メイシーが歌うと必ず人が集まって聴いてくれる.
「千年,万年,変わらない.銀色の月が輝いている.」
ウィッヂをかき鳴らし終えると,拍手や口笛が巻き起こる.
メイシーはいすから立ち上がって,ウィッヂを抱いたままで軽く頭を下げた.
再び座って,次は大広間で歌う予定だった曲をかなでる.
「水をたたえたオアシスに,碧玉の瞳をぬらし,黒檀の髪を流して.」
今,大広間でライクシードは,チーキーとともにいるのか.
不安のさざなみが,メイシーの心に押し寄せる.
「彼女は私を待っている.」
けれど,彼を愛している.
この気持ちは消えない.
「空を渡る鳥になり,今こそ帰ろう.」
たとえメイシーが姫ではなく旅芸人でも,私を選んでほしい.
チーキーではなく,私を見てほしい.
「彼女のもとへ.」
メイシーには,歌うしか能がない.
マリエみたいに賢くも,セシリアみたいに美しくもない.
だから,せいいっぱいの気持ちをこめて歌う.
メイシーの周りには,どんどん人が増えてくる.
真っ赤な夕日を浴びて,メイシーはより高らかに歌った.
五曲ほど歌ったところで,人々の後ろにライクシードが現れる.
彼は目を丸くしていた.
メイシーはウィッヂの弦をはじいて,歌い始める.
「いとしい人よ.砂漠の一夜の夢でいい.」
途中でウィッヂの演奏はやめて,ライクシードに向かって片手を伸ばす.
「私に触れて,口づけを贈って.」
聴衆たちも気づいて,彼の方を振り返った.
「星が降り注ぎ,ふたりを隠すから.」
多くの視線を浴びて,ライクシードは真っ赤になっていた.
やがて,大またで近寄ってくる.
メイシーは曲を終わらせて,彼にウィッヂを差し出した.
「私の歌はすべて,あなたと神聖公国のものです.」
離婚したくないと言い張るにせよ,身を引くにせよ.
単なる政略結婚でも,彼を愛している.
「私の剣は,君を含め大切な人たちを守るためのものだ.」
ライクシードはウィッヂを受け取って,剣を渡した.
メイシーが剣をつかむと,
「われわれは剣を捨て,平和の歌を取った!」
堂々とした低めの声が,前庭に響いた.
メイシーがびっくりして声のした方を見ると,城の玄関口にバウスが立っている.
背後に,スミを含め親衛隊の騎士たちを従えている.
「今は血を流し,敵を憎むときではない.国王として約束しよう.この歌をけっして絶やさないと.」
どっと歓声が上がった.
兵士たちに,バウスが悠然と手を振ってこたえる.
人々の注目はあっという間に,メイシーからバウスへ移った.
ライクシードは複雑な笑みを浮かべて,メイシーに問う.
「兄さんと示し合わせていた?」
「いいえ.」
メイシーは首を振った.
「なら,なぜ前庭で歌っていたんだ?」
彼は,心配そうにたずねる.
「セイキ族長には,『ロウシーからの手紙を読んで,メイシーは里心がついたようだ.いったん自治区に帰るかもしれない.少しの間,ひとりにしてやってくれ.』と頼まれたのに.」
セイキは,平然とうそをつく人物らしい.
「里心はついていません.」
メイシーは悲しい気持ちでしゃべった.
ライクシードは,ほっとしたように息をつく.
「君を失いたくなくて,城中を捜し回った.まさか前庭で歌っているとは思わなかった.」
「歌ったのは,あなたを愛しているからです.」
気持ちがあふれて,歌になる.
ライクシードが聴いているとか聴いていないとかは関係ない.
彼の気持ちでさえも,関係ないのかもしれない.
メイシーの歌を止められるものはないのだ.
「もう一回,言ってくれ.」
ふいをつかれた表情で,ライクシードは頼む.
「あなたを愛しています.」
彼の顔が,ぱっと明るくなった.
メイシーに向かって両手が伸びたが,なぜか引っこんだ.
そばのいすに,ウィッヂをそっと置く.
楽器を持ったままメイシーを抱いてはいけないと考えたらしい.
「ちょっとぐらい雑に扱っても大丈夫ですよ.ウィッヂも私も,壊れやすいものではありません.」
メイシーは笑った.
「いや,大切にしたいんだ.」
彼は照れたように笑う.
「ならば私も,そうします.」
メイシーはウィッヂの横に,彼の剣を置いた.
ライクシードは両手を広げる.
「私も君を愛している.だから来てくれ.」
「喜んで.」
メイシーは彼の胸に飛びこんだ.
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