水底呼声 -suitei kosei-

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  カーツ村にて  

小さな田舎の村に,旅人がやって来た.
身寄りのない幼い姉弟だと言う.
姉の方は若い娘だということで,村の男たちはこぞって村長の家へ見物に行った.
見物というよりは,のぞき見である.
小さな村では,娯楽は少ない.
恋の相手にいたっては,さらに少ないのだ.
用がないのに家に来る男たちに,村長はあきれて肩をすくめる.
当の娘は,異常に多い来客に気づいていなかった.
鍛冶屋の息子フェンが村長の家を訪れたのは,そんな理由である.
しかしフェンは乗り気ではなく,村長のおいであるザイクだけが鼻息を荒くしていた.
彼は廊下から娘のいる部屋をさりげなく眺めて,口笛を吹く.
そしてフェンに向かって,ヤボったい村娘とは大違いだとささやいた.
確かに長い黒髪も白い肌も,村ではお目にかかれない.
一生懸命に繕いものをする娘に,彼女の弟らしい少年が近づく.
二人が親しげに話すのを見ながら,
「家事を手伝っているということは,ずっと村にいるつもりなのだろうな.」
都合よく解釈して,ザイクの顔がだらしなく緩む.
フェンはあきれた.
いかにも訳ありらしい姉弟が,旅をやめるとは思えない.
だが,ザイクの頭の中ではすでに,
「お嬢さんを俺にください.」
と村長に頭を下げているか,新妻の彼女が,
「おかえりなさい,あなた.ご飯にする,お風呂にする,それとも私?」
とほおを染めているのかもしれない.
そんなことを考えていると,フェンは弟の方と目が合った.
べったりとした闇色の瞳,奥が見通せないような.
くすりと少年が笑った瞬間,ざわりと悪感が走る.
すぐに少年は立ち去ったが,フェンは監視されている気分になり落ちつかない.
ザイクの首根っこをつかむようにして村長邸を辞去した後も,その感覚は続いた.
気持ちの悪い弟.
フェンには,姉よりも弟の方が強く印象に残った.
無論,よい印象ではなく悪い印象である.

翌朝,フェンは工房での作業中に,ザイクの訪問を受けた.
「すまん,今日は仕事がいそがしいんだ.」
村長の家に行くことを断わると,彼は大げさに頭を下げる.
「彼女に話しかけるつもりなんだ!」
「なら,一人の方がいいじゃないか.」
女性を口説くならば.
「彼女は王都から来たんだ.だから頼むよ.」
つまり三年前まで王都に住んでいたフェンに,会話の仲立ちをしてほしいのだ.
「俺みたいなむさい男が,いきなり近づいたら驚かせるだろう?」
「そんなことはないだろ.」
「いや,ある!」
なぜか自信たっぷりに,ザイクは胸を張る.
「でもフェンなら大丈夫だ,美男子だし元都人だし.一生のお願いだ,俺を助けてくれ!」
もはや泣き落としである.
結局フェンは負けて,二日連続で村長の家へ行くことになった.
家へ向かうと,くだんの娘が弟とともに,庭の掃き掃除をしている.
にこにこと笑いあって,楽しそうな様子だが,
「はぁ.」
娘から離れない少年に,フェンは気が重くなる.
どうにかして彼女だけ,こちらに呼べないだろうか.
「フェン,声をかけてくれ.」
ザイクが隣でせっついた.
「分かった.」
仕方ない,弟とも仲よくしゃべってみよう.
覚悟を決めて声を上げようとしたとき,フェンは言い知れぬ不安に襲われた.
――あの子どもに関わってはいけない.
心が,体中が警鐘を鳴らす.
危険だ,近づくな!
「どうしたんだ?」
ザイクが不思議そうな顔をする.
「出直そう.」
情けないことに,フェンの声は震えていた.
「え? なんで?」
そうこうするうちに,黒の少年がフェンたちに気づく.
少年は,含みのある笑みを浮かべた.
「お客様だよ,ミユちゃん.」
弟のせりふに,姉が社交辞令の笑顔を作る.
「おはようございます.村長さんにご用でしょうか?」
彼女の笑顔に,ザイクはあっという間に舞い上がった.
「あ,俺,ザイクっていうんだ! 親せきなんだ,その,村長の!」
興奮するザイクに,娘はけげんな顔をして一歩下がる.
「ご用なんかじゃないけれど,おしゃべりをしたいなぁって,昨日から,」
恋する乙女さながらに,ザイクはもじもじと指を組んだ.
「き,君,とてもかわいいから,」
「村長さんを呼びますね.」
娘は失礼にならない程度の笑顔を張りつかせて,早足で家の中に戻る.
「待って.ちがうんだ,」
ザイクが追いかけようとすると,少年が道をふさぐ.
「駄目だよ,お兄さん.」
少年の笑みは,優越感に満ちていた.
「ミユちゃんは僕のもの.眺めるだけで満足しなよ.」
男としてザイクを挑発する.
彼女は自分のものだと.
「なっ,……んだよ,弟のくせに.」
ザイクは顔を真っ赤にして,少年につかみかかろうとする!
嫌な予感がして,フェンは二人の間に割りこんだ.
「やめろ,ザイク! 子ども相手に大人げない!」
少年は目を丸くして,フェンを見つめ返す.
フェンは悲鳴を上げそうになった.
「かばってくれて,ありがとう.」
しかし少年は,にっこりとほほ笑んで礼を述べる.
「い,いや.今のは,こちらが悪かった.」
面くらって,フェンは腰を抜かした.
ザイクにもたれかかれば,彼はとりあえず支えてくれる.
すると家の中から村長が出てきて,
「あぁ,なんだ.ザイクとフェンじゃないか.」
みゆが怪しい男性がいると騒ぐから,何ごとかと思ったよと笑った.

次の日に,姉弟は村を去った.
村長ら家族にのみあいさつを済ませて,どこかへ旅立ったそうだ.
ザイクはがっくりと肩を落とすが,フェンはほっと胸をなで下ろす.
「おじさん,どうして引き止めてくれなかったのですか?」
ザイクは恨みがましく言う.
村長は肩をすくめた.
「たとえ引き止めたとしても,君に勝ち目はなかったと思うよ.」
「え?」
それは俺が不細工だからですか,とザイクは涙目になってしまう.
フェンは彼の肩をたたいてなぐさめてから,村長に聞いた.
「あの二人は,姉弟ではなかったのですね?」
村長は微笑して,返答を避ける.
「彼らは何者だったのですか?」
ただ者ではあるまい,特にあの“弟”は.
「さぁねぇ.」
村長はのん気に答えた.
「何もたずねなかったのですか? なのに村に滞在させたのですか?」
フェンは責める口調で問う.
彼らが村にとって,危険な人物ではない保障はなかったのだ.
「あの子たちは,助けを求めていた.」
村長の声は穏やかだが,かたくなだった.
「旅のいい休息になっただろう.今朝はいい顔をして旅立っていったよ.」
ふふふと笑う.
フェンは,少年の笑顔を思い返した.
あの笑みは,村長の好意を受ける資格がある人間の笑みなのか?
あの闇色の瞳は…….
フェンはやっと,少年に感じていた警戒心の正体に気づく.
少年の目は王都で働いていたときに,何度か見たことのある種類の目だった.
暗闇に住み,武器を求める者の瞳.
フェンはまじまじと,失恋して落ちこんでいる友人の横顔を眺めた.
あのときかばったのは,少年のためじゃない.
フェンが止めなければ,少年はためらわずにザイクを返り討ちしただろう.
懐に隠した鋭い刃で――.
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