水底呼声 -suitei kosei-

戻る | 続き | 目次

  6−2  

ライクシードは,カリヴァニア王国国王の親書を読んでいた.
何度目を通しても,信じられない内容だ.
それは向かい合って座る兄と父も同じで,三人は昨日から困惑するばかりである.
テーブルの上には,金貨や美しい色の布や,今にも羽ばたきそうな鳥の木彫りなどが並べられている.
「染色技術は,呪われた王国の方が上だな.」
布を広げて,バウスは皮肉げに口もとをゆがめた.
「どうすれば,ここまで深い色が出せるのか.見事なものだ.」
父は贈りものに触ると呪われると思いこんで,手をつけていない.
それどころか,使者たちも怖がっている.
なので昨日は,ライクシードとバウスだけで彼らと対面した.
彼らの名前は,柏原翔(かしはら しょう)と白井百合(しらい ゆり).
年は翔が十九歳で,百合が十八歳だ.
そして,先に神聖公国へやって来たみゆの知人だと言う.
さらに彼女は恋人とともにいるはずだと告げられて,ライクシードの顔は引きつった.
兄の気づかうような視線を感じたが,まさか,
「平気です,知っていましたから.それに,彼らが知らない恋人の名前も,知っています.」
とは答えられなかった.
ライクシードは親書から目を上げて,鳥の像を調べている兄の顔を見る.
視線に気づいて,彼は口を開いた.
「カリヴァニア王国の魔物たちは,ただの迷信だ.」
ライクシードはうなずく.
もはや兄の説を否定する材料はない.
「昨日,使者たちが話したように,俺たちと同じ人間が住んでいるのだろう.そして似たような社会を築いている.」
贈りものの中には,街の名前や人口などを記した地図も含まれていた.
地図によると,カリヴァニア王国は三方を海に囲まれた半島である.
また神聖公国に比べて国土はせまく,穀物の取れ高も人の数もずっと少ない.
「そんなこと,ありえない.」
父は兄の言葉を受け入れたくないらしく,苦い顔をして首を振った.
つい半月ほど前ならば,ライクシードもそう答えただろう.
五年ほど前に,バウスはライクシードを連れて,ある二体の石像を調べた.
禁足の森の中の,呪われた王国へ続く洞くつの両脇にある石像だ.
大昔に神聖公国に侵入した魔物たちが,神の怒りによって石化したと言われている.
像に触れば,魔物が夢にしのびこんでくるだの,女性は妊娠できなくなるだの,さまざまな迷信があった.
「これは人間が作ったものだ.加工の跡が残っている.」
誰も触らない像にべたべたと触って,兄はにやりと笑う.
「それに神の目が届かない森の中なのに,神が魔物を倒したなんて矛盾しているじゃないか.」
だから魔物が石化したものだというのは,作り話だ.
しかし念のため,セシリアには触らないように注意しておこうと兄は言った.
つまりバウスはそのときから,呪われた王国に関する伝説すべてに疑問を抱いていたのだ.
ライクシードは,そこまで考えがおよばなかった.
「ライク,カリヴァニア王国国王の望みは何だと思う?」
金貨をなめるように眺めながら,兄は問いかける.
「神の許しを得て,呪いから逃れることですね.」
親書には,そう書かれている.
許してほしい,助けてほしい,そのためならば何でもすると.
「そう素直に,俺は信じきれないな.」
兄は先ほどの父と同じように,苦い顔をして首を振った.
「彼の目的は神聖公国を手に入れることだ.それ以外にはありえない.」
兄は父を役立たずな国王だと言って軽く扱うが,しぐさが似ているところは結局,親子なのだ.
「ラセンブラ帝国,スンダン王国,水の国,そしてバンゴール自治区.皆,この国の豊かな土地をほしがっている.」
結界は人やものの通り抜けを許さないが,視界や音をさえぎることはない.
神聖公国の豊かさを,周辺諸国はよく知っているのだ.
スンダン王国は,何度も軍隊で国境を侵そうとしている.
もちろん結界をくぐり抜けることはできないが,だからといって安心することもできない.
国境には,神聖公国で一番の精鋭部隊を常駐させている.
また水の国には湖や川が多く,川がたびたび氾濫するらしい.
国境には難民があふれて,いつも恨めしそうにこちらを眺めている.
「ではこの親書は,わなだと思うのですか?」
すると兄は,珍しく弱気な発言をした.
「いや,それも自信がない.」
親書は誠実な謝罪文であり,それ以外の何物でもない.
どれだけ探しても,行間から悪意が感じられないのだ.
そして贈りものにも,毒が塗ってあったり害虫が仕込んであったりはしない.
さらに使者の翔と百合は,暗殺者でなければ外交官ですらない.
ライクシードとバウスの質問に,正直に答えるだけだ.
「しかし,わなではないとしても,カリヴァニア王国国王の行動は納得できない.」
親書には,みゆのことは書かれていない.
だが使者たちは,彼女と協力するように頼まれたと言う.
「彼はなぜ,ミユに親書と贈りものをたくさなかった? なぜ彼女だけ先に,神聖公国へ行かせた?」
問いを投げかけてから,兄は口を閉ざした.
父は話についていけずに,ぼんやりとしている.
ライクシードは兄と同じように,みずからの思考の海に沈んだ.
みゆはカリヴァニア王国を救うために,この国へやって来た.
ならばなぜ,ライクシードに事情を話してくれなかった.
説明しても,信じてもらえないと考えたのか?
確かに,にわかには受け入れることはできなかっただろう.
ましてや彼女は一人きりで,親書すら持たなかった.
――いや,ちがう.
答に行き当たったとたん,ライクシードは雷にうたれたような気持ちになった.
自分が,神聖公国へ来たばかりのみゆを剣で脅したからだ.
それで彼女はおびえて,慎重になってしまった.
「もしも親書が,何らかの計略の一部ならば,」
ひじをテーブルにつき手を額に当てた兄が,独り言のように話し始める.
「動かない方がいい.使者たちには,さっさとお帰り願おう.そして計略でないとしても,」
兄の瞳に,国を背負う者の強い光が宿る.
「俺たちには関係ない,勝手に水没すればいい.」
「兄さん!?」
ライクシードはぎょっとした.
「もしも親書を信じるのならば,彼らは私たちと祖先を同じくする人間ですよ!」
知ってしまった以上,見過ごせない.
「じゃぁ,どうするのだ?」
兄は真正面から,ライクシードを見据えた.
「助けるのか? その方法が分かるのか? そもそも本当に水没するのか?」
何も,答えられない.
ライクシードは,むなしく口をあえがせた.
父は二人がけんかをしていると思い,おろおろしている.
「おそらくないと思うが,昨日セシリアが言ったように,カリヴァニア王国国王が勘違いをしている可能性もある.」
少女は,神が恵み以外のものを人間に与えることはないと言った.
兄は頭を抱えて,再び考えこむ.
「作り話だとしても突飛すぎる,大地が海の底に沈むなど.……水難? 水の国のようだ.」
今まで伝説の中にしか存在しなかった,呪われた魔物たちの王国.
図書館館長のナールデンが教えてくれたとおりに,王国の本は大神殿に隠されていた.
本の表紙に書かれた題目は,カリヴァニア王国の成り立ちについて.
一冊だけ,神官長にもセシリアにも黙って抜き取った.
中身は,難解な暗号文だ.
これが解読できれば,何かが分かるのかもしれない.
戻る | 続き | 目次
Copyright (c) 2009 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-