STAND


1989年10月21日,P.M.04:32.
――俺が,死ぬ.

哲学者を気取っているわけではない.
連日の深夜残業で,疲れているわけでもない.
俺の視線の先に居る人物は,いたいけな11歳の俺だった.

「おいっ,俺はどうやって死ぬんだ!?」
電信柱の影に隠れて,ランドセルを背負う俺を見守る背広姿の俺.
「……お父さん,変質者みたい.」
隣に立つ少女は,未来からやってきたという俺の娘.
某有名ネコ型ロボットのように,机の引き出しの中から飛び出してきた.
……たった一人で残業をしていた俺は,本気で腰を抜かした.
「うるさい! 俺が死んだら,俺もお前も居なくなるんだぞ!」
自分の台詞ながら,意味不明だ.
平成元年風女子高生のいでたちをした俺の娘,――名前は秘密らしい,は肩を竦める.

俺の名前は,鉄河庄治(てつかわ しょうじ).
○×株式会社営業第三部のホープ,彼女募集中の27歳.
上司の期待も厚いし,同期の中ではダントツの成績を誇る男だ.

そんな将来有望な小学6年生の俺が,今から3分12秒後に死んでしまうのだ.
下校途中の,懐かしい街のこの道で.
「黒い喪服に身を包んだヒットマンに殺されるのか,未来から2足歩行の殺人ロボットが来るのか,」
なんてこった,そら恐ろしい.
スイス銀行に口座を持つ百発百中の男に狙われる,子供ながらにVIPな俺.
「……昔から想像力豊かだったんだね,お父さん.」
呆れたとばかりに,娘はため息を吐く.
ちなみに,母親の名前も秘密らしい,……くそっ.

「安心して,普通に交通事故だから.」
「安心できるかっ!」
未来の娘を叱り飛ばして,俺は再び視線を俺の方へと戻した.
幼い俺は,2車線の大きな道路を渡るために歩道橋を目指して歩いている.
黒いぼろぼろのランドセルの脇には,手縫いの給食袋がぶら下がっていた.
……そうか,11歳の頃といったら,まだ母さんが生きていたときか.
「お父さん!」
娘の声に,はっとすると,
「ああああああ!? 何をやっているんだ,俺はっ!?」
子供の俺は歩道橋へ上がらずに,道路を無理やり横切ろうと車道へと飛び出す!

お,俺が死んでしまう!
走って,叫んで,ガードレールを飛び越える.
「ば,馬鹿野郎!」
こんな車どおりの激しい道で,何を考えてやがる!?
迫りくる大型トラック,娘の悲鳴,驚いて振り返る昔の俺,急ブレーキの音.
死ぬ,俺が死んでしまう!?
必死の形相でブレーキを踏む運転手と目が合う.
俺は,俺をかばって死ぬのか!?

瞬間,白濁!
ブレーキ音に続く,クラクションの乱舞.
しかし,すぐに街は平常を取り戻す.
俺は小さい俺を抱きしめたまま,そっと目を開けた.
いつの間にか,俺と俺の二人は車道ではなく歩道に居た.
「……間に合った.」
目の前では,俺の娘がぜいぜいと肩で息をしている.
助かったのか,……あのタイミングで?
どんな科学か魔法か,はたまた超能力か知らんが,さすが未来の俺の娘.

「ご,ごめんなさい……,」
俺の腕の中では,俺がマジ泣きの形相で謝る.
真っ青な顔で,がたがたと震え,……未来の娘の前で,しょんべんでも漏らしそうだ.
俺は深いため息を吐き,俺の体をぎゅっと抱きしめた.
「……命は大事にしろ.」
我ながら,軒並みな言葉だな.
しかしまぁ,仕方ない.
今頃になって,腕が,体中が震えてくるのだから.

「命は大事にしてね,お父さん.」
意味ありげな娘の声を背中に受けて,俺は再び時間を跳んだ――.

暗い会社の事務室に戻った俺は,娘と向かい合うようにして立っていた.
「……思い出したよ.」
机の中に隠していた白い封筒を取り出す.
「あのとき助けてくれたサラリーマンは,俺だったんだな.」
決意表明のように,俺は娘の目の前でそれを破いた.

2005年12月19日,P.M.10:45.
――俺は,死ぬつもりだった.

プレッシャーに押しつぶされる毎日.
残業ばかりの日々に体はへとへとなのに,顔には笑顔を張り付かせて.

「未来で会おうね,お父さん.」
何もかもを承知の上で,俺の娘は微笑んだ.
「あぁ,またな.」
何年後の話か,今の俺には分からないが.
すぅっと色を薄ませて,消えてゆく娘に軽く手を振る.

ここが,俺の立ち位置.
過去と未来を繋ぐポイント.
「途切れさせるな」と言いに来たのは,天使かエスパーか,はたまた夢でも見たのか.

白い紙ふぶきをゴミ箱に降らせながら,俺はふっと笑みを漏らした.
娘の名前は,未来と書いて”みき”.
文句は受け付けない,子供の命名は親の特権だ.
それに,名前の由来は今回の時間旅行で分かっただろ?

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