断言しよう,俺は世界で一番不幸だ.
「おいしい? 清水君.」
と言って,先輩はにっこりと微笑んだ.
「はい,必要以上に甘いですね.」
手作りのお菓子よりも,あなたの笑顔が.
「そう? バニラエッセンスを入れすぎたかしら?」
放課後,夕日に染まる教室で先輩は首をかしげる.
先輩の長い髪がさらさらと流れて,俺は今二人きりであることを必要以上に意識してしまう.
「ねぇ,鈴木君は甘いの好きかなぁ?」
うぅ,出た…….
そう,先輩の本命は清水君である俺ではない.
……俺は単なる味見役だ.
俗にサッカー部はよくもてると言うが,その通りである.
そしてうちで一番もてるのは,鈴木という名のちゃらんぽらんな奴だ.
俺だって,俺だってサッカー部だし結構もてていると思うんだけど…….
「そろそろ怪我から復帰できそう?」
窓から校庭の風景を眺めながら,先輩は聞いた.
「来週には練習に戻れるそうです.」
俺はこの前の診察で医者に言われたことを言った.
「よかったね.」
少し悲しげに先輩は笑った.
この怪我が治ったら,もうこの人と一緒にサッカー部の練習を見ることはなくなる.
「清水君はあの輪の中に帰るんだね.」
先輩の視線の先には,サッカー部の練習風景がある.
そして鈴木の姿が…….
つい何ヶ月前までは,俺はこの人の存在すら知らなかった.
でも先輩はずっとこの教室から,俺たちの姿を見ていたのだ.
「先輩さぁ……,」
机に頬杖をついて,俺は先輩の横顔を眺めた.
「鈴木の奴を落とせそう?」
俺はさしずめ恋愛指南役といったところだ.
鈴木の好みのタイプから靴のサイズまで,ありとあらゆることを教えた.
ちなみにリサーチとして,俺自身のデータまで提供した.
すると先輩は困ったような笑みを浮かべる.
「私は,……見ているだけでいいから.」
「消極的っすね.」
監督から怪我が治るまではちゃんと養生しろ,練習には出てくるなと言われて,こんな場所からこっそりと練習を見学しているのだけど.
まさかそこで,先輩に出会えるなんて思わなかった.
いつもなら,怪我をしてしまった自分が情けなくてカッコ悪くてくさくさしているだけなのに,今回は…….
「先輩,さっさと鈴木に告白でもしたら?」
きつい調子で言ってしまう.
「そんでもって,さっさと振られちまえよ.」
駄目だ,俺,この人が好きだ.
「先輩なんか地味だし根暗だし,きっと相手にされないさ.」
ショックを受けた顔をして,先輩は潤んだ目で俺の方を見る.
鈴木の奴はいまだこの人の存在すら知らない.
それにきっと好みのタイプじゃない,……多分.
「お,俺だったらいやだな,先輩,何も知らなさそうで……,」
やばい,暴言が止まらない.
先輩は俯いて,このままだと泣いてしまいそうだ.
「キスのやり方も知らなさそう……,」
ぐいと顔を近づけると,先輩ははっと顔をあげた.
無理やりに肩を抱いて,
「眼ぇ,閉じて,」
と言うと,先輩はぎゅっと固く瞳を閉じる.
涙が一つ,二つこぼれた.
やべぇ,まさに据え膳というやつだ…….
「ごめん,先輩……,」
俺は先輩の体をそっと離した.
調子に乗りすぎた,俺はすげぇ馬鹿だ.
「もう明日からは来ないから.」
椅子から立ちあがると,俺はなぜか先輩に制服のすそを掴まれた.
「見ているだけでいいって思っていたのは本当なの.」
涙に濡れた眼で訴えかける.
「だから勘違いされていても,構わないと思っていたの.」
俺の制服を掴む手よりも,その瞳に,言葉に足止めされる.
「わた,私が好きなのは……!」
真っ赤な顔になって,どんどんと声が小さくなって,先輩は俯いてしまう.
やべぇ,俺,その先の台詞が予測できるよ.
「あ,あの……,」
断言しよう,俺は世界で一番の勘違い野郎だ.
「なぜ,笑っているの!?」
先輩の怒ったような調子の声に,俺は堪らずに吹き出した.
指南役なんてとんでもない,とんだ間抜けだよ,俺って.
「先輩,いつも俺にお菓子を味見させていたのはどうして?」
パズルのビーズがすべてはまった感じ,よく考えれば先輩の行動はものすごく分かりやすいものだったのに.
先輩は真っ赤な顔のまま,視線をおどおどとさまよわせる.
「毎日毎日,違うものを用意して,俺ってば餌付けされていた?」
マフィンにクッキーにマドレーヌに,パウンドケーキまで…….
おどけて聞くと,先輩は真っ赤な顔で,小さく頷いた.
つまり俺は指南するつもりが,すっかり骨抜きにされていたわけだ.
「俺,お菓子は甘すぎるぐらいがちょうどいいですから,」
ぎゅっと抱きしめると,先輩の髪からも甘い匂いがする.
「来週からは教室ではなく校庭に持ってきてくださいね.」
白旗を振ってしまう,なんて情けない恋愛指南役…….
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