竜を探して


第十四章 セイ,竜を探して.


「サラ,事情は分かったな.」
空をゆく神竜の上でセイは聞いた.
切られて不ぞろいに短くなった髪をなびかせてサラは頷いた.
「うん,今からカイ帝国へ行くんでしょ.」

「いいや,お前はエンデ王国へ,あの王妃のもとへ行くんだ.」
「え!?」
サラは色違いの両目を見開いた.
するとセイが強くサラの身体を抱き寄せる.
「帰れ…….」

「なぜ……?」
喉の奥から押し出すようなセイの声に,サラは聞いた.
「私,ちゃんと約束を守っているのに.」
セイは答えずに,サラの長かった栗色の髪を梳いた.
「この髪はセシルが……?」
「うん…….でも,いいの.髪ぐらいすぐに伸びるし.」

俺のためか…….
彼女は簡単に,髪も心も身体も,自らを守護する神も,そうして命までも彼に渡した.
彼が助けに入るのが一瞬でも遅れていたのならば,きっとその両目をも差し出していたに違いない.
セシルではなく,自分だけを見つめてくる色違いの瞳…….

「サラ,さすがにお前は足手まといだ.」
びくっと腕の中で,彼女は震える.
「陵墓には一人で行く.お前は帰ってくれ.」
「でも…….」
泣きそうな顔でサラはセイの顔を見上げた.
「お前を守りつつ,帝国全国民を敵に回すのは無理だ.」
セイの瞳に優しげな色が浮かんでいる.
「分かってくれ,お前にとって安全な場所はもうこの世界には無いんだ.」

もう駄目だ.
その眼差しが何よりも彼女のことを拒絶している.
わがまま言えない.
ここでごねたって,セイが私のせいで危険な目に遭うだけ…….

何本も彼の身体にささった矢,血に染まった顔,初めて見せた穏やかな表情.

「私,帰る.」
そう言ったとたん,涙が溢れた.
セイが優しく頬にキスをする.
こんなにも優しく触れてくれたのは初めてね…….

私,もう一生恋はしない.
あなた以上に,誰も愛せない.

竜の背中に乗り,幾日かの旅を経て,セイとサラはエンデ王国王都へと辿り着いた.
王都は国境の山脈からのカイ帝国軍の侵攻でざわついていた.
あわただしく,兵隊たちが街の中を走り回っている.

私のせいで…….
サラは暗くうつむいた.
城に着くと,セイが門番に簡潔に用件を告げた.

すぐに元日本人である王妃が城門まで降りてくる.
「サラ,大丈夫?」
そうして出会ったときと同じようにサラを抱きしめた.
「ここなら安心よ.よかった,無事で.」

この人は分かっているんだ,カイ帝国の侵攻の目的が私だって.
それなのに…….
「ごめんなさい…….」
サラにはそれしか言えなかった.

すると王妃は明るく答える.
「サラが謝る必要はまったく無いわよ.」
王妃のまっすぐに芯の通った瞳が勝気に輝く.
「昔の人を生き返らせるために戦争をしかけるような人たちに, 今生きている人々を殺すような人たちに私たちは絶対に負けないから.」
そうしてサラの手を引き城へと招き入れる.

「帝国軍を追い返すまで,王城においで.ここが一番安全だから.」
王妃に連れ去られるようにして,サラは城門をくぐった.
しかしセイはついて来ない.
門の外でサラをただ見つめている.

「あれ? セイさんはなぜ来ないの?」
王妃がきょとんとして聞いた.
「セイは,……セイとはここでお別れなんです.」
涙がぼろぼろと溢れてくる.
「王妃様,私を地球に帰して下さい.」

「私,帰ります.」
ただひたすら泣くサラを王妃は黙って抱きしめた.
その視界に城門から去ってゆく男の後ろ姿を認めて…….

薄暗い部屋だった,床の大理石が白色に輝いている.
「じゃぁ,サラ.手を…….」
その光の中心で,エンデ王国の王が手を差し伸べる.
紫紺の優しげな瞳が,涙に腫れたサラの顔を心配そうに見つめている.
その手を取って,サラは光に飲み込まれた.

さようなら,セイ.
この世界のことを,あなたのことを一生忘れない…….

「待って,待ちなさい!」
一人王都の街を歩くセイに,一人の女性が走ってきた.
珍しい漆黒の髪,漆黒の瞳.
半分の同国の血のせいか,顔立ちが少しだけサラを思い出させる.

「サラは泣きながら帰ったわよ.」
なんだ,責めに来たのか?
「あなた様には関係ないでしょう.」
むっとしてセイは答えた.
「うん,だから単なるおせっかいなの.私はおせっかいだから,あなたに教えたいことがあって追いかけたの.」
王妃がまっすぐに,セイの緑の瞳を見つめる.
「帝国軍を追い返したら,サラを迎えにまた城に来ない?」
と言って,彼女は無邪気に笑う.
「だって,サラの身が危険だから帰したのでしょう?」
「…….」
王妃のその心の底までを見抜くような視線に,セイは嘘をつけずにただ黙った.

「異世界へ,地球への行き来は実はすごく簡単なの,ガロードさえいれば.」
そうして王妃は少しだけ驚くセイに向かってにっこりと笑う.
「だからサラに逢いたくなったら,すぐに城まで来てね.」

チキュウとやらの女性は,なぜこんなにも彼を困惑させるのだろうか……?
簡単に彼に心を預けてしまったサラ,彼の決心を簡単に揺るがしてしまう王妃.
「王妃,私はカイ帝国へ帰ります.」
セイは無理にでも笑って見せた.
「多分,もう二度と会わないでしょう.」

「そぉ? じゃ,それでいいや.」
意外にあっけなく王妃は引き下がり,セイに別れの挨拶をした.
「じゃ,気を付けてね.」
にっこりと笑う王妃に見送られて,セイは王都を後にした…….

人の命までも支配できる銀の竜.
もともと次元の間にただ存在していただけという…….
今はセイの知らない世界で,ただ一人の少女を守護している.

その竜を探して,カイ帝国軍はレニベス王国とエンデ王国へと足を伸ばしたが,どちらもこてんぱんにやられたらしい.
特にエンデ王国侵攻に関しては完膚なきまでに敗退し,ただエンデ王の名声が上がっただけという噂だ.

クランの,エンデ王国国王夫妻のしなやかに強い眼差しが脳裏に蘇る.
そして,彼の愛した少女の面影が…….

軍隊の空白地帯となった帝国内で,セイは一人ひそかに教祖マソフの陵墓を破壊した.
意外に陵墓の警備は軽く,セイとしては少し物足りないくらいだ.
他の帝国人と同じく,彼自身もマソフの教えを幼い頃から聞かされて育った.
しかしまったく陵墓の破壊に対して畏れも罪悪感も感じなかった.

サラ,お前と別れてから何ヶ月が経つ?
草原に一人佇み,エンデ王国との国境の山脈を眺める.
裏切り者として,陵墓荒らしの犯人として,帝国軍に追われつつ,セイはこの帝国から去ろうとしていた.

もともと,この生まれ故郷に執着など無い.
この国にセイのものなど,何も無かった…….

サラ,いつか子供の頃,この草原でお前を見たように俺は思っているよ.

ふと,セイは瞳を凝らして山脈の方を見る.
なんだ,あれは?
こちらに近づいてくる,だんだん輪郭がはっきりとしてくる.

鈍く銀に輝く竜が,ものすごいスピードで彼の方へやってくる.
その背には,必死で竜の首につかまる少女の姿があった.
「サラ!」
セイはその少女の名を呼んだ.
すると少女は竜の背から,軽々と彼のもとへ飛び降りた.

そうしてどさっと彼の腕の中へと抱きとめられる.
「セイ,逢いたかった.」
彼女は甘く優しく微笑んだ.
「お前,家族はいいのか?」
するとサラは,申し訳なさそうに笑った.
「うん.お母さんはね,自分もそうだったから好きにしなさいって.それからお父さんはお母さんの娘だから仕方ないって.」
セイをまっすぐに見つめて,屈託無く明るく笑う.

「実は王妃様が迎えに来てくれたの.びっくりしちゃった.」
エンデ王国王妃のしたたかそうな微笑をセイは思い出した.

参ったな,完敗だ.
きれいに切りそろえられたサラの髪を取って,セイは苦笑した.
「セイ?」
サラが不思議そうに聞いてくる.

「愛してるよ.」
そうして頬に朱を乗せるサラを抱きしめる.
「もう,離さないさ.」

どうして,僕は一人なの?
どうして,僕には何も無いの?

いつか,この草原で叫んだ.
神に問うてみた.

柔らかい髪,暖かい頬,甘く見つめる眼差し.
ずっとお前だけを探し求めていた…….

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