セイが戦場へ向かうたびに,サラはいつもこっそりと銀竜をセイに付けていた.
そうして部屋でただひたすらに,彼の帰りを待つ.
セイにそのことがばれたことはなく,危ない目には遭わなかったのだとひそかに安心していたのだ.
しかし今日は単なる小競り合いではなく本格的な戦闘だと言う.
はやく,無事に帰ってきて欲しい…….
かたんとドアが開く音がする.
サラとブレーメンが振り向くと,息を切らしながらセイが戸口に立っていた.
「サラ.よかった,無事だな.」
「セイ殿,どうなされたのですか?」
ブレーメンが驚いて聞く.
「戦場に銀竜が現れたから,心配して…….」
「ブレーメンさん,離れて.」
堅い声でサラは言った.
「あなた,セシルでしょう.」
すると,セシルはふっと微笑む.
「よく分かったな.」
この世でただひとり,セイだけを愛している少女…….
そうしてブレーメンに向かって呪文を唱える.
「風よ,悪しきものを追い払え!」
途端にブレーメンの身体は吹き飛ばされ,後方の壁に激しく激突する.
「ブレーメンさん!」
サラは駆けより,近づいてくるセシルからかばうように彼をその細い背中で隠した.
「古の光よ,我が名,サラディナーサのもとに集いたまえ!」
サラの呪文により,かっと光が輝く.
「そんな子供騙しが通じると思うか!?」
セシルはぐいとサラの長い髪を引っ張った.
「セイラムと僕はまったく同じものなのに,なぜ君は区別をするのだ?」
セシルの暗い緑の瞳には狂気じみた光が映っている.
サラは色の違う両目に恐怖を浮かべて,剣を引き抜くセシルを見つめた.
怖い,怖いよ……!
「この髪も,……セイラムだけのものなら要らないな.」
セシルはサラの髪をばっさりとその剣で切る.
その刃のきらめきにサラはぞっとした.
レニベウス……,いや駄目だ.
今はセイを守ってもらわないといけない.
「この瞳もセイラムだけを見つめるのなら……,」
しかし恐ろしさにがたがたと震える彼女を見つめて,セシルはふいに優しげに微笑んだ.
「君が僕のことを愛してくれるのならば,」
すると震える声で,しかしきっぱりとサラは言った.
「いやです.私が好きなのはセイだけだもの.」
「……いい覚悟だ.」
セシルの刃がサラの目の前で,危険な光を帯びる.
ガシャーン!
勢いよく窓が割れ,外から一人の男が部屋に転がり込んできた.
「サラ,無事か!?」
「セイ!」
サラはほっとして微笑む.
セイはサラのその姿を一瞥すると,すぐにセシルに向き直る.
「こいつが愛しているのは俺だけなんだよ,兄上.」
サラの目の前で二人の剣が激突する.
セイとセシルの力はまさに拮抗していた.
まったく優劣つけがたく,容易に決着がつくとは思えない.
サラの瞳が銀に輝く.
「我が名に応えて出でよ,神竜レニベウス!」
部屋の窓も壁も壊して,銀に輝く巨大な竜が召喚される.
ブレスを吐こうと,のどを焦がした竜だが,
「セイ,もっとセシルと離れてよ!」
二人が近づきすぎて,これでは銀竜は攻撃ができない.
「無茶を言うな!」
じりじりと刃をあわせて,セイは怒鳴り返す.
「セイラム,父上にサラのことを教えたよ.」
息を切らしながら,唐突にセシルは言う.
「銀竜の無限の魔力によって,セイラムは生き返ったのだと.」
ぎくりとセイは顔をこわばらせる.
「これでカイ帝国全国民の悲願が叶うと,喜んでいらっしゃった.」
サラは不安そうに,戦う二人を見つめた.
セイが剣を振るう!
「この,狂信者どもが!」
音を立てて,セシルの剣がはじけとんだ.
「何をやっているんだ!?」
乱暴にドアを開けて,クランが兵士たちを連れて部屋の中へと入ってくる.
「どっちがセイだ?」
とサラに聞くと,サラはすぐに剣を持っているほうの男を指差した.
「ちっ.」
セシルは逃げようと周りを見回した.
しかし,もう遅い.
すでに彼はレニベス王国の兵士たちによって囲まれていた.
クランが侮蔑の表情を作って告げた.
「カイ帝国第二王子セシル,捕虜になっていただく.」
セシルはがっくりと肩を落とした.
「サラ,怪我は? この髪は?」
セシルをクランたちに預けると,セイはサラに向かって聞いた.
サラが答える前にすばやく彼女の身体に傷が無いのを確認すると,セイはサラを抱き上げた.
「サラ,今すぐにこの国を出るぞ.」
「え!?」
戸惑う彼女には構わずに,セイは彼女を竜の上に乗せる.
「クラン!」
兵士たちに囲まれているクランを,セイは呼んだ.
「今すぐカイ帝国との国境へ行け.帝国軍が来るぞ!」
「なんだって!?」
人ごみをすり抜けて,クランは叫んだ.
「サラを,いや死者を蘇らせる力を持つ竜を探して,この国へやってくる.」
「どういうことだ?」
クランはするどく聞き返す.
「絶対神カイの信仰を始めた教祖マソフの復活を狙っているんだ.」
クランは明るい青の瞳を驚きに瞠らせる.
「可能なのか,それは? 何百年前に死んだ人間なんだ?」
「そんなの俺が知るか! とにかく俺はマソフの陵墓へ行く.」
セイの瞳に危険な光が宿る.
「マソフが絶対に復活できないように,死体をこなごなにしてやる.」
それだけを告げると,セイはすばやく銀竜に飛び乗った.
「あ,待って.」
サラが,銀竜から離れようとするクランを呼び止めた.
「レニベウスから,あなたに伝言が…….」
そして彼女は竜の上から,クランの頬に軽く口付けをした.
「あなたに,常しえの緑の豊かさと大地の恵みを…….」
周りにいたものすべてが,ぎょっとしてサラを見つめた.
その大勢の視線にサラはたじろいだ.
私,なんか変なことを言ったのかしら……?
クランは驚いた表情を数瞬だけしてから,にやっと意地悪く笑った.
「妬くなよ,セイ.」
「誰が妬くか!」
むっとしてセイは言い返した.
「いくぞ,サラ.」
力強く羽ばたいて,竜は二人を乗せて飛び立つ.
常しえの緑の豊かさと大地の恵み,それは新王が即位するときに,祭祀が言うべき言葉だ…….
旧レニベス王国暦1204年,新レニベス王国暦1年,戦さ終わりの混乱の中で新王クランが誕生した.
彼が実際にその頭に王冠を載せるのは,カイ帝国軍を撃滅し,その後サライ諸侯国軍の侵攻を食い止めてからのことである.
それにはゆうに2年の月日が必要であった…….