見渡す限りの緑の草原.
風が彼女の長い髪を弄り,ただ過ぎ去ってゆく.
彼女の目の前には,大きな銀の竜が端坐していた.
「レニベウス…….」
彼女はその竜の名を呼ぶ.
「まさか,お前に真名を呼ばれるとはな…….」
銀竜は自嘲するように笑った.
「ごめんなさい…….」
しおらしくサラは謝った.
「ふっ,まぁ,いい.おぬしは契約で私を縛ったりはせんだろうからな.」
そうして優しく微笑む.
「どうせ,短い人の一生.おぬしを守護してやろう…….」
「ありがとう,レニベウス.」
サラはぱっと顔を上げて,微笑んだ.
「……サラ.」
風に乗って,遠くからセイのサラを呼ぶ声がする.
それに気付いた途端,意識は急に覚醒し,サラは眼を覚ました.
「セイ.」
かがみこんで自分を見つめる男に向かって,サラは甘やかに微笑む.
「お前,竜は?」
「大丈夫なの?」
と,同時に質問を発してしまう.
サラはぷっと軽く吹き出して,
「よかった,無事で…….」
セイの暖かい頬にその手で触れた.
するとセイはその手を取り,サラに唇を重ねた.
口付けを交わす二人に,遠慮がちな声がかけられる.
「すまない,私も居るのだが…….」
ドアの傍でクランが赤い顔をして立っていた.
セイは平然と彼を見返したが,サラは真っ赤になって謝った…….
レニベス王国暦1203年は,王都を他国の軍によって占領されたまま終わろうとしていた.
今朝の銀竜の攻撃とクランの指揮による軍隊の攻撃で,カイ帝国軍は幾分混乱を極めたが,
いまだ王都を保持していた.
瓦礫となった王城とともに…….
「俺は第10騎士団や他の騎士団の集合を待って,王都から帝国軍の追い出しにかかるつもりだ.」
クランの海色の瞳に,決意の色が濃い.
「お前たちはこれからどうするんだ? もし,あてがないのなら……,」
ここにいて,王都奪還を手伝ってほしい.
「やめろ,俺たちはエンデ王国へ行く.」
セイは強引にクランの言葉をさえぎった.
「協力の礼に,帝国軍内部の情報を教えてやったじゃないか.これで貸し借りは無しだ.」
きっぱりとセイは言った.
「そうか…….分かった.」
クランは諦めたようにつぶやいた.
そうして人好きのする笑顔をみせた.
「それならここでお別れだ.がんばれよ.」
するとセイにしては珍しく素直に微笑む.
「あぁ,お前もな.」
クランたちが根城にしている宿屋から,セイとサラは王都近郊の町へと出た.
サラは遠慮がちにセイに話し掛ける.
「セイ,あの,……私,できればクランたちを手伝いたい.」
セイは怪訝な顔をサラに向けた.
「だって王城が壊れたのって私のせいだし……,それにレニベウスが居るから,きっと役に立てると思う.」
セイは呆れたような声を出した.
「お前,自分の世界に帰らなくていいのか?」
それは,帰りたい…….
サラがこの世界に来てから,もうすでに5ヶ月が経過していた.
両親は一人娘のことを心配して,眠れない夜を過ごしているだろう.
でも,でも帰ったらセイと逢えなくなるのでは……?
「セイはいいの?」
サラの色違いの両目が揺れる.
私は,セイと逢えなくなるのは…….
「わ,私が帰っても…….」
そのとき,サラは町の雑踏の中に信じられないものを見つけた.
「待って!」
サラは走り出す,人ごみの中のただ一人の,漆黒の髪の女性に向かって.
その女性は,連れらしい男性と驚いて振り返った.
その顔立ち,その瞳の色,そして何よりその漆黒の髪!
「もしかして,日本人!?」
その女性は屈託無く笑う.
「そうだよ,3ヶ月前まではね.今は違うの.私,この人と結婚したから.」
そうして,照れたように側に立つ紺色の髪の男と微笑みあう.
サラを追いかけてきたセイが,サラの肩を抱き寄せて彼女の耳元で小さく囁いた.
「サラ,お前が探していたエンデ王国の王妃だ!」
「嘘……!?」
サラはただ瞳を見開いた.
それがなぜ,こんなところに居るのだろうか?
サラと同世代の若い国王夫妻は,戸惑ったようにサラを見つめた.
「あなたも地球から来たの?」
優しく王妃は聞いてくる.
その優しい眼差しに,サラは泣きそうになった.
「王妃様,どうやったら地球に帰れるのですか?」
サラの瞳から,ぼろぼろと涙がこぼれる.
「私,帰りたい…….」
泣きつづけるサラを,複雑な顔でセイは見守った.
「大丈夫.ちゃんと帰れるから,心配しないで.」
すると王妃は微笑んで,しかしきっぱりとサラに告げた.
「でもそのためにはエンデ王国の城に帰らないといけないから,私たちと一緒に帰りましょう.」
サラはただ,優しく微笑む王妃の顔を見つめた.
「ちょっとだけ待っていてくれる? この町で会いたい人がいるの.」
「誰なんですか?」
サラは茫洋と聞いた.
「えぇっと,確か第10騎士団団長のクラン将軍!」
机の上に王都の詳細な地図を広げながら,クランはお茶をすすっていた.
実質カイ帝国が支配しているのは王都と北東の海へと続く港,そしてそれらを繋ぐ街道だけである.
まず,王都から彼らを追い払う.
そのためにはどうすべきか…….
クランが思考を進めようとすると,軽いノックの後,ブレーメンが部屋へ入ってきた.
「将軍,お客様ですよ.」
するとこげ茶のくせっ毛をしたクランより少しだけ年長の男が,
続いて部屋の中へとやって来た.
男は,自分はエンデ王国第2騎士団団長テディであると名乗った.
「初めまして,クラン将軍.」
テディは人好きのする笑顔を見せた.
エンデ王国の軍人がこんなときに何のようだ?
しかしそのようなことをおくびにも出さず,クランもまた人好きのする笑顔を見せた.
「こちらこそ.」
「今日はいったいどのようなご用件で?」
その笑顔を保ったまま,クランは聞いた.
「我がエンデ王国は,カイ帝国の侵略に対するあなた方の軍事行動を支援したく思っております.」
「それはありがたい.」
クランの瞳に皮肉な光が宿る.
その建前で軍隊を送り,カイ帝国の代わりにこの王国に居座るつもりなのだろう.
「つきましては,無利子で資金と糧食を貸し付けたいのですが.」
意外な答えに,すこしクランは戸惑った.
試すように聞いてみる.
「で,軍隊の方は貸していただけるのでしょうか?」
「いいえ,軍隊は送りません.トラブルの元ですから.」
テディ将軍はにっこりと微笑んで答えた.
なんだ?
なぜ,そんなこちらにとって都合の良いことを言ってくるのだ?
「テディ将軍,そんなたわごとを言いに,たったお一人で来られたのですか?」
クランは腰の剣を抜き去る.
しかし,テディ将軍はただ微笑むだけで剣を構えなかった.
「自分のお命が大事でない?」
クランは聞いた.
「いいえ,大事です.しかし私は剣も魔法も不得手でして.」
そうしてにっこりと微笑む.
「それに今回は飛び切りの護衛役がいらっしゃいますから.」
「なら,さっさと守ってもらいな!」
クランはテディに向かって,剣を振り上げた.
ガシャーン!
途端に派手な音を立てて部屋の窓が割れ,外から一人の男がクランとテディの間に割り込んできた.
そして危うげ無く,クランの剣をその長剣で受ける.
紫紺の瞳,紺の髪の端整な顔立ちの若者だ.
「誰だ!?」
そのクランの質問に,青年ではなくテディが答えた.
「この方は我がエンデ王国国王,ガロード陛下です.」
「なんだってぇ!?」
クランを見つめる国王の瞳には殺気も欲も感じられなかった.
権力の毒に侵されてない,澄んだ群青の瞳.
フィローンとは違う.
なぜこんな瞳をして,権力の座についていられるのだ?
逃れようの無い敗北感に,クランは捕らわれた.
クランはさっと剣を鞘に収めた.
「ご無礼をお許しください.用件をもっと詳しくお聞かせ願えますか?」
と,国王に向かって今度は心からの笑みを見せた.
これが賢王と評判のエンデ王国の新王か…….
すると割れた窓の外から声が上がる.
「あ,じゃぁ,私も同席したい!」
珍しい異国の顔立ちをした女性が,無邪気に手を上げた.
その隣には,先ほど別れたばかりのセイとサラの姿も見える.
「そうだ,クラン将軍!」
いきなりその女性に名指しされて,クランは少し構える.
「ガロードが窓を割っちゃってごめんなさい.」
彼女はいたずらっぽく笑って,宿の中に入るためにドアの方へと走っていった.
外には,戸惑った顔のセイとサラが残される.
「あの女性は?」
すると,国王の隣でくすくすと笑っていたテディが答えた.
「ガロード陛下の正妃,ミドリ様です.」
「王妃まで連れてきたのか!?」
クランは呆れて,つい本音でしゃべってしまう.
すると王がすまなさそうに微笑んだ.
「すまない.そもそもこの提案を考えついたのはミドリなので,ついてゆくと言われて断りきれなかったんだ.」
そうして少し頬を赤らめて,真面目な顔で言う.
「それと窓を割ってしまい……,弁償するから,許してくれ.」
まるでしかられた子供のように素直に謝る年下の国王を,クランはまじまじと見つめた.
もしも彼が光り輝く過去の幻影を捕まえることができていたならば,彼の隣ではフィローンが笑っていたのかもしれない.
エンデ王国国王と同じように,澄んだ瞳をして…….