竜を探して


第八章 セシル,光と影.


ふと目覚めると,セイのくすんだ緑の瞳がすぐ目の前にあった.
手馴れた様子で,セイはサラに唇を重ねた.
魔力を介さないキスは初めてだった…….

見知らぬ部屋の中で,ベッドに横たわりながらサラは聞いた.
「セイ.ここはどこ? 私はいったい……?」
「サラ,銀竜はお前の中から,いやこの世界から去った.」
サラはセイの顔をじっと見つめる.
「王を殺し,城を破壊して…….」
「なっ.」
セイのセリフにサラは驚いた瞳を見張る.

「それにもうそろそろカイ帝国の軍が,海からこの国に侵攻してくるはずだ.」
「なぜ,そんなことが分かるの……?」
「レニベス王国は滅びる.」
セイはきっぱりと言った.
そしてサラの色違いの両目をしっかりと見つめた.

「サラ,お前は俺のものだ.」
その熱っぽい視線に,サラはくらくらした.
「誰にも渡さない…….」
銀竜にも,そしてセシルにもだ……!
「……だから,その証をくれ.」

そうして彼女の柔らかい首筋に口付ける.
「セ,セイ!」
サラの心臓は早鐘のように鳴りだした.
「な,な,なぜ,いきなり!?」
すると妙に真面目な顔でセイは聞いてくる.
「いやなのか?」

サラは顔を真っ赤にした.
「その,あの,心の準備が,てゆうか,今はそんなことしている場合じゃ,そ,それよりも……,」
サラは自分を覗き込んでくる男の顔を見上げた.
「セイは私のことが好きなの?」
「何をいまさら…….」
セイは馬鹿にしたように笑った.

その暗い緑の瞳の視線にさらされて,サラは言うべき言葉を無くす.
今はそれよりも考えなくてはならないことがあるはずなのに,その瞳で見つめられたら思考が停止してしまう…….
「サラ,愛してるよ…….」
セイは囁くように口付けた.

レニベス王国,王都は混乱の極みにあった.
突然,王国の守護神である銀竜が姿をあらわしたと思ったら,城が崩壊したのだ.
城の崩壊速度は遅く,城内のものはそのほとんどが避難できたが王は銀竜に殺されたらしい.
フィローン王は即位のときに自分の競争者であった他の王族をほとんど皆殺しにしていたので,今この王国には仰ぐべき指導者が居なかった.

実質の王国滅亡である.
しかしたとえ王がいなくなっても,人々は生きていかなくてはならない.

修復不能な王城の瓦礫の撤去作業を指揮したのは第10騎士団団長クランである.
彼は王都防衛の任にあたっていた第1から第3騎士団をまとめて,混乱した王都に治安と秩序を取り戻そうと精力的に働いた.
また彼は銀竜の巫女であったサラとその連れであるセイを,王殺害の重要参考人物として軍に捜索を命じた.

そんな彼のもとへ,ある日凶報がもたらされた.
海からのカイ帝国軍の侵攻である.
「いくら守護神獣がいなくなって国境の守りがなくなったとはいえ,タイミングが良すぎやしないか!?」
クランはいまいましげに頭を抱えた.
圧倒的な物量を誇るカイ帝国の軍に,海岸国境警備隊が持ちこたえるとは思えない.
すぐにここ王都まで攻めてくるだろう…….

もしや……,ある考えにクランは捕らわれた.
「なぁ,ブレーメン.あのセイとかいう男,カイ帝国の工作員じゃないのか?」
「え?」
上官の思考にブレーメンはついていけない.
「あいつらがサライ諸侯国へ向かっていたのは,サライ,エンデを経由して,カイ帝国との国境の 山脈を越えて帝国に戻るためだったとは考えられないか?」
「それならば逆方向の海に向かったほうが早いのでは……?」
ブレーメンは上官の先走りをたしなめた.
国境の山脈は人を寄せ付けない山でそうやすやすと越えられるものではない.
クランは思慮深げにそのあごを指でつまんだ.
「……そうだよな.」

王都から逃げたセイとサラは,再び西へ西へと足を進めた.
今度はサライ諸侯国ではなく,直接エンデ王国に向かって…….
セイ曰く「今,この国は混乱しているからな,この隙に国境を越える.それと銀竜が居なくなったから,国境の川は嗄れ果てているはずだ.」

二人きり,今度は徒歩で国境へ向かう.
「セイ,王都はどうなっているのかしら?」
無言でセイは振り向いた.
「城が壊されたのって私のせいよね.私が銀竜を連れてきたから…….」
苦々しくセイは答える.
「そんなの,あの化け物が勝手にやったことだろ.お前が気にする筋じゃない.」
「でも…….」
まだ何か言いたげな彼女の唇を強引にセイは塞いだ.

「セイ,私もう一つ聞きたいことが…….」
そうして複雑な顔をして訊ねる.
「セイが私を抱いたのは,私から銀竜の巫女の資格を無くすため?」
彼は平然として答えた.
「なんだ,やっと気付いたのか.」
「うそっ,ひどい!」

するとセイは真面目な顔をして答える.
「ひどいわけないだろ.お前,また銀竜に支配されたいのか?」
サラはぐっと言葉に詰まった.
じゃ,あの「愛してる」はどこまで本気なの?
セイと私じゃ,恋愛の経験値に差がありすぎて分からないよ…….

するといきなり,セイは鋭い視線を左方にやった.
サラも驚いてそちらの方を見やる.
視線を感じる…….
セイは無言でサラの腕を取り,右へと走り出した.

走り出して幾ばくもしないうちに前方に旅人らしいいでたちの男が2人,いや3人現れる.
セイは誰何もせずに,呪文を唱えた.
「我,セイラム・アイファン・カイの名において命じる.大地よ!」
大地が彼らを襲う!
「セイ! 彼らは誰なの!?」
また違う方向へと連れられながら,サラは聞いた.
彼らは明らかにレニベス王国軍ではない.

「あいつらはカイ帝国の工作員だ!」
そうして剣を抜き去って,右から襲い掛かってきた男を切りつける.
左にサラをかばいつつ,襲い掛かってくる複数の男たちに対峙する.
その中にサラの見知った顔があった.
黒い髪,緑の瞳.
「シキ,お前か…….」
セイは吐き捨てるようにつぶやいた.

「セイ様,セシル殿下は今,この国にいらっしゃいますよ.」
シキはするどく剣を走らせる!
サラの目の前で火花が散った.
「へぇ,もう来たのかい?」
セイは小ばかにするように言い,サラを抱きながら片手だけで応戦する.

どうしよう,私,足手まといの邪魔者だ…….
サラはおろおろとセイに聞いた.
「わ,私,離れていようか?」
「馬鹿,連中の狙いはお前だ!」
セイは剣を操りつつ,すぐにどなりかえす.

その光景を見てくすくすと笑いながら,シキは剣を繰り出す.
「でも,もう私の中に銀竜は居ないし……,きゃっ!」
シキからするどい一閃が放たれる.
セイは剣を両手で持ち,刃の腹でかろうじてその斬撃を受けた.

「は,離して!」
セイの左手がサラから離れた瞬間,サラは別の男たちに捕まった.
「サラ!」
必死でシキと剣を交わしつつ,セイがサラの名を呼ぶ.
「行かせませんよ!」
シキがその卓絶した剣技でセイを足止めする.

数人の男たちに彼女は簡単に捕まり,連れ去られてしまう.
「……ったく,なんて非力なんだ!」
いらだたしくセイは舌打ちした.
「それでもあなたの愛しい娘でしょう?」
シキは楽しそうに聞いた.
「お前には関係ない……,風よ!」
風の刃がシキに襲い掛かる!
倒れこむシキには構わず,セイはさっと踵を返してサラの後を追おうとした.

途端に鋭い痛みが走り,右足から崩れ落ちる.
セイの右足には小さな飛びナイフが刺さっていた.
彼は振り返って叫ぶ.
「シキ!」
しかし加害者の青年は逃げた後だった.

「くそっ.」
セイは急いで傷の応急処置にかかった.
セシル……!
名誉も身分も,父上も母上もお前のものだ……,しかしサラだけは渡さないからな!

「離してよ!」
サラは自分を捕まえる男たちに必死の抵抗を試みた.
「古の光よ,我が名のもとに……,」
しかし呪文を唱えきる前に腹部に激痛が走り,サラは意識を手放した.

クランがカイ帝国侵攻の報を受けてから,ちょうど40日後.
彼とその部下たちはカイ帝国の軍隊が威風堂々とした威容を持って王都へと入ってゆくのを, 王都から離れた小高い丘の上から見守った.
瓦礫の城を抱え混乱した王都では帝国には勝てないとふんで,王都の住民とともに先に王都から逃げ出していたのだ.

すすり泣く住民たちの声を聞きながら,クランは歯軋りした.
「人の国に挨拶も無しに入り込みやがって…….必ず追い返してやる!」
上官の静かな激情を部下たちは見守った…….

豪奢な部屋,豪華な天蓋付きのベッドにサラは横たわっていた.
ふと見ると,側に男が立っている.
赤い髪,暗い緑の瞳.
「……セイ.」
サラは起き上がって微笑んだ.
すると男も微笑んで,サラに口付ける.

途端にサラは口付けに抵抗した.
「あなた,誰? セイじゃない!」
すると男はいかにも愉快そうに吹き出す.
「こんなことで僕とセイラムを見分けるなんて!」
サラの目の前ではセイとまったく同じ容姿の男が笑っていた.
「よっぽど君はセイラムに愛されているらしい.」

サラの顔が羞恥と怒りでかっと燃え上がる.
「昔からセイラムのものは全部僕のものだ,……だから,」
男はしゃがんで,サラを熱っぽい視線で見つめる.
「君は僕のものだ…….」
その顔はセイのものだった.

男の視線に押されつつも,サラは律儀に反論した.
「わ,私はセイだけのものなので,セイの所へ帰して下さい.」
男はきょとんとして答える.
「なら,ここに居るがいい.セイラムの帰るべき場所は僕の傍なのだから…….」

「あなたは誰なのですか?」
サラはせいぜいきつく睨みつけて聞いた.
「僕はセシル・アイファン・カイ.カイ帝国第二王子で,今はレニベス王国占領軍総指揮官だ.」
そうして彼はにこっと微笑んだ.
「ちなみにここはレニベス王国王都.この王都は今,我が軍の占領下にある. 君は魔法によって幾日間も眠っていたのだよ.」

いつかの光景がサラの心の中に浮かび上がる.
剣を交わすセイとシキ.
「帝国を,セシル殿下を裏切るのですか!?」
「サラは,サラだけは,セシルにはやらない.」

「あなたがセシル…….」
……僕とセシルで何が違うのですか?
夢で見た幼いセイの泣き顔が彼女の脳裏に蘇った…….

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