風が長い栗色の髪をなぶる.
見渡す限りの緑の草原に,サラはただ一人でいた.
「無茶をする娘だ…….」
いきなり後ろから声を掛けられて驚いて振り向いたその先には,大きな銀の竜がいた.
声も無く,ただサラはその色違いの両目を見開いた.
「いとしい男を助けるために,自らの命を投げ捨てるとは…….」
サラの感覚でいうと,その竜は3階建ての建物ほどの大きさだった.
「あ,あの,セイがどうなったか,教えてくれませんか?」
銀の竜がすこし驚いたような表情をしたように,サラには感じられた.
「自分のことより男のことか…….まぁ,いい.」
すると風が吹いて,世界が一変する.
次の瞬間,静かに澄んだ湖のほとりに彼女は居た.
「湖を覗き込むがいい.ここは生と死の狭間,お主の望むものが見れよう…….」
意識を取り戻したとき,セイは見知らぬ部屋にいた.
困惑しつつ,部屋の中を眺め回す.
サラはどこだろう……? いや,その前に自分は死んでしまったのではないのか……?
すると部屋のドアが開いて,見知った顔の持ち主が入ってきた.
「よかった,意識を取り戻したのだな.」
明るい茶色の髪,涼しげな青い瞳,第10騎士団団長クランである.
しかし非友好的な視線で,セイは答える.
「サラはどこだ?」
とたんに彼の顔が曇る.
「すまない,彼女は……,亡くなったよ.銀竜も彼女から去った…….」
サラの胸がどくんとなった.
私やっぱり,死んじゃったんだ…….
そして彼女の後ろにたたずむ銀竜をみやる.
こんなのが私の中に居たのね…….
次の瞬間,場面は変わる.
暗い部屋の中で,硬く瞳を閉じて自分自身が横たわっていた.
部屋のドアが開き,細長く光が入ってくる.
暗い顔をしたセイがサラのそばまでやってきた…….
セイはその大きな手のひらで,サラの冷たく硬くなった頬を包んだ.
「なぜ,おれなんかのために…….」
そして搾り出すような声を出した.
セイ…….
ごめんなさい…….
その光景を見ていられなくて,サラはそっと湖面から目をそらした.
「あの,銀竜さん.私は死んだのですよね?」
そのはかりしれない視線を浴びて,サラは聞いた.
「ここはどこなのですか?」
すこし面白そうに,銀竜は答えた.
「ここは生と死の狭間の世界だ.それにお主はまだ死んでおらん.」
「え?」
きょとんとしてサラは聞き返した.
「私は王によって契約に縛られている.王より先にお主に死なれては困るのだ.」
そうしてくつくつと笑う.
「それに私はお主を気に入っておるしな.お主が私の望みを叶えてくれるのなら,
生者の世界へ帰してやろう…….」
サラの瞳が不安と期待に揺らめいた.
「サラ…….」
俺にも死者を蘇らせる力があったのなら…….
そっとその頬を手繰り,やさしく触れるだけの口付けをする.
すると彼女の体は鈍く銀に輝きだす.
「なっ!?」
驚きに目を見張る彼の前で,彼女は銀の瞳を開いた.
半瞬の後,色の違う両目がセイを見つめ甘く微笑み返す.
「……セイ.」
「サラ,お前,大丈夫なのか?」
両手で彼女の頬を包みこみ,彼はその顔を覗き込んだ.
「……うん.」
あいまいにうなづくサラをセイは抱きしめた.
暖かい,生きているものの暖かさだ…….
心の底からこみ上げてくる思いを,セイは口にした.
「サラ,もう二度と俺の側から居なくならないでくれ…….」
いつも笑って,微笑みかけて欲しい…….
「娘を放せ.この娘は我のものだ.」
感情の無いサラの声に驚いて,セイは彼女の顔を見返す.
彼女の瞳は銀に輝いていた.
「サラは私に仕える巫女.不埒な行為は許さぬ.」
セイはサラの中にいる銀竜を,歯噛みしてにらみつける.
銀竜がここまで表に出てくるとは……!?
まさかサラと一体化しつつあるのか?
生来明るく輝く瞳を暗く曇らせて,クランはその部屋の前で待っていた.
あの赤毛の男が何者かは知らない.
しかし彼女が死んだことに対する責めは負うつもりだった.
ドアが開く音がして,クランはそちらのほうへ視線を向ける.
とたんに信じられないものをみた.
さっきまで確かに死んでいたはずの少女が立って,こちらをみているのだ!
そうして彼女は少し上目遣いに,クランに対して口を開いた.
「クラン将軍,お願いがあるんです.私を王都まで連れて行ってください.」
畏怖なのか畏敬なのか,クランは言葉を発することができない.
「それが生き返るときに出された銀竜からの条件ですから…….」
「本当に王都まで連れて行くつもりなのですか!?」
聞きなれた副官の罵声である.
「あぁ,セイとサラを連れて行く.」
サラが生き返ってから,3日後のことである.
第8騎士団団長ナシオからあてがわれた執務室で,クランはなにやら作業をしながら言った.
「王にはなんと言うのです?」
「武器を持たないか弱い女性は殺せないと,もう伝令をやった.」
それでは武器など持たない銀竜の一族を皆殺しにした王へのあてつけではないか!?
大きなため息をついて,ブレーメンはあきらめたように言った.
「じゃ,私もついていきますから,4人で行きましょう.」
「そうか,ならこの紙に名前を書いてくれ.」
ブレーメンは不思議そうに,10以上も年下の上官をみやった.
「いや,皆ついていきたいと言ってきてな,だから抽選だ.」
今度こそ,本気で呆れてしまった…….
ふざけた男だが,なぜか彼にはついていきたくなる,期待してしまう.
これほどまでに部下の忠誠心を刺激する男が,この国にはほかにいるのだろうか?
「分かりました.なら,人選は私に任せてください.」
ブレーメンは苦笑して答えた.
「特に腕の立つもの10人ばかりで,王都へ行きましょう.もちろん私もついていきますよ.」
夜半,セイは目を覚ました.
人の気配がするのだ.
その気配は彼の隣で眠っている少女のものではない.
この砦の中では一応クランとその部下には害意は無いみたいだが,それ以外はまったく信用できない.
セイは剣を取り,立ち上がった.
「誰だ……!」
小さく鋭く,誰何する.
「セイ様,私です.」
窓の外から押し殺した声が聞こえた.
闇に溶け込むような黒い髪,鋭く引き締まった顔立ち.
「シキ.」
セイはその男の名を呼んだ.
「セイ様,説明してください.まさか本当にレニベスの王都へ行くつもりなのですか?」
シキは身軽に音など一切立てずに,窓から部屋へ入ってきた.
「あぁ,サラは,銀竜は帝国へは連れ帰らない.」
セイの瞳に危険な光が浮かぶ.
ガキィィン!
鋭い音を響かせて,二人の刃が交錯する.
いきなり切りかかってきたセイに,しかしシキはその剣を自らの剣で受け止めた.
「帝国を,セシル殿下を裏切るのですか!?」
「サラは,サラだけはセシルにはやらない.」
相手を嘲弄するかのように,セイは答えた.
「……セイ?」
青ざめた顔でサラが,剣を交し合う二人を見つめていた.
途端にその瞳が銀に輝く.
「古の光よ,我が名のもとに集いたまえ!」
衝撃波がシキを捕らえ,彼は後方へと勢い良く飛ばされる.
「くっ.」
そしてそのまま壁に激突する.
すると騒ぎを聞きつけたのか,廊下が騒がしくなってきた.
シキはさっと立ち上がると,窓の方へと駆け寄った.
「セシル殿下には,報告しますよ!」
無感動にセイは答える.
「好きにしろ! 覚悟の上だ!」
そうしてシキは来たときと同じように夜に溶けていった.
セイは彼をじっと見つめるサラに向かって聞いた.
「サラ,どこから聞いていた?」
しかしサラは答えずに質問を返した.
「セイ,あの人,前にも会った人よね?」
二つ目の町の広場で…….
「何があったんだ?」
ドアが乱暴に開かれ,クランが中に入ってきた.
その質問に,セイもサラも答えなかった…….
レニベス王国暦,1203年.
サラは1ヶ月以上の旅路を終えて,王都へとたどり着いた.
サラには知りようがないことだが,王国辺境の村に囲まれ,そこからの脱出を禁じられた銀竜の一族が王都へ足を踏み入れることは初めてのことだった.
この年,レニベス王国はその長い歴史を閉じるのだ…….