レニベス王国,建国の王は偉人であった.
彼は次元の間に住むという,無限の魔力を持つ銀竜を支配したという.
そして不平等な,永遠の契約を交わした.
銀の髪,そして色違いの両目を持つ美しい一族を捧げる代わりに,この王国を守護したまえと…….
そうして1200年以上の永きにわたって,銀竜はこの国に留め置かれたのであった.
「だから銀竜の一族っていうのは,本来銀の髪をしているんだ.」
腕を組んで歩くと,照れ隠しか,ちゃんとサラの質問に答えるようになるセイの声を
サラは頭上で聞いた.
「それで銀竜の一族って,具体的には何をやっていたの?」
極端に下を向いて歩いているので地面がアスファルトではないことだけは分かったが,
町全体の様子がよく分からない.
「お母さんは竜神さまに仕えていたとしか教えてくれなくて…….」
「あぁ,一族には姫巫女と呼ばれる女性がいて,……ここの店に入るぞ.」
「……うん.」
セイがドアを開けると,カランコロンという日本の喫茶店のような鐘の音が鳴った.
「気が進まないなぁ…….」
レニベス王国騎士の装いをした青い瞳の男はぼやいた.
その瞳の青は,海の青,日の光を受けて輝く海の色であった.
「クラン将軍,もっと真面目に探索をおこなってください.」
側にたたずむ一世代年長の男がたしなめる.
「だってさ,ブレーメン.なぜフィローンなんかの命令で神獣の一族の生き残りを殺さないといけないんだ?」
「将軍! 王に対してなんと不敬な!」
青い顔で彼をたしなめる副官を,クランはつまらなさそうな顔で見やった.
「王になったといっても,フィローンは俺の元同級生だぜ.」
「しかし…….」
「フィローンのやつ,変わったよなぁ.」
そうしてクランは寂しそうに空を見上げた.
側に佇むブレーメンは今はそんなことを話している場合ではないと,言いそうになってやめた.
フィローンは王になった,アイリッシュは故国であるエンデ王国へ帰り,自分はレニベス王国第10騎士団の団長だ.
どうして時はその輝いた時間のままで止まってはくれないのだろうか…….
「一族の中でもっとも魔力の高い未婚の女性が姫巫女となり,銀竜をその身に住ませていたんだ.」
頭上から聞こえるセイの心地よいバリトンの声に,サラは訊ねる.
「今の私みたいに……?」
あらかたの買い物を済ませて,二人はそろって店を出た.
「あぁ,それで神託を下したり,病人やけが人を治したりしていたらしい.果ては死者をも蘇らせたという噂まである.」
再び大きな通りに戻り,サラはぎゅっとフードを目深にかけた.
「……すごいのね.」
「おい,ブレーメン.」
「なんですか? 将軍.」
今度はなんだと言うのだろう?
すると彼の上官は意外にも真面目な顔をしていた.
「あの赤い髪の男,様子が変じゃないか?」
上官の視線の先には,仲良く腕を組んで歩く夫婦と思われる2人組がいた.
「いえ,別に…….」
しかし彼の上官はきっぱりと言う.
「いや,変だ.あの男,何気なく歩いているけど,すげー周りを警戒している!」
そして町の詳細な地図をさっと広げて,ブレーメンに命令する.
「あいつ,捕まえるぞ.兵たちを呼んでくれ.」
「それでレニベス王は即位の見返りに,銀竜の身柄をカイ帝国に要求されて…….」
説明を止め,セイはいきなり立ち止まった.
サラは危うく,前のめりにこけそうになる.
「サラ,逃げるぞ!」
そして乱暴に彼女の腕を掴んで走りだす.
サラの頭のフードが外れ,豊かな栗色の髪があらわになる.
「追え!」
後ろから,あわただしい兵隊たちの駆ける音がした.
空を駆けるようなセイの足に,サラはぜいぜいと息を切らしながら引きずられるように走った.
すると目の前からもう一群,兵士たちの群れがやってくる.
セイはサラを連れて,無言で大通りの右側にある細い路地に入った.
しかしその瞬間,サラはつんのめって前に倒れこんでしまう.
「くそっ,世話の焼ける奴だ!」
セイはサラの身体を軽々と抱き上げて走り出した.
しかしいくらも進まないうちに,また前方から兵隊たちの声がする.
左右を見回しても,もはや逃げ道はない.
「囲まれたか…….こうなったら力ずくで切り抜けるぞ.」
サラを片手で抱き上げたまま,セイは腰の剣を抜いた.
その刃のきらめきに,サラはぞっとする.
ここは異世界,異世界なんだ……!
平和な日本とは違うんだ!
後方からも,兵たちが近づいてくる.
「行くぞ!」
短く叫んで,セイは前方の兵士たちに切りかかってゆく.
サラを抱えているにもかかわらず,セイは圧倒的に強かった.
兵士たちが血しぶきを上げて倒れてゆく.
その生々しい色,匂いにサラはぎゅっと固く目をつぶった.
「目をつぶるな,死ぬぞ!」
厳しく叱咤するセイの声.
瞳を開けると何十人もの兵士たちに囲まれて,セイは剣を振るっていた.
すると兵士たちの群れを割って,場違いにのんきな様子で一人の男が現れた.
「あぁ,そこまで,そこまでにしてくれない?」
日本の若者のような明るい茶色の髪,青い瞳の男が近づいてくる.
「別に危害は加えないからさ,ちゃっちゃと捕まってくれよ.」
第10騎士団団長クランである.
「そんなの断るに決まっているだろう.」
馬鹿にしたようにセイは答えた.
しかしそれには応じず,クランはじっとサラを見つめた.
「色違いの両目,銀竜の一族か…….」
サラはぎゅっと,セイに抱きついた.
するとサラの震える唇から呪文が漏れる…….
「わが身に住まう銀竜よ,その力の一端を示したまえ…….」
サラの両目が銀に輝く.
「我に力を!」
細い路地をまばゆい銀の光が包み込む.
しかしその光は一瞬で消えた.
そして追い詰められていた二人の姿も消えていた.
兵士たちは呆然と立ちすくんだ.
……これがこの王国の守護神獣,銀竜の力.
「逃げられちゃったねぇ.」
のんきそうに,彼らの指揮官はつぶやいた.
すぐに怒ったように,ブレーメンが応じる.
「何をのんきなことを言っているのですか? 王になんと申し開きするのです?」
「いいじゃん,いやな命令を聞かずに済んだのだから.」
そしてその明るい青の瞳に皮肉な光をこめてクランは聞いた.
「それとも銀竜の一族を殺した王と王直属部隊みたいに,国中のものから恨まれたい?」
頭が痛い,がんがんと響く.
草の中に倒れこみぜいぜいとあえぎながら,サラは頭を抱え込んだ.
「おい,サラ.」
セイの声がして,やさしく口付けられる.
痛みが収まり瞳を開くと,眼の前にはセイの顔があった.
「お前……,今回は助かったけど,もうできるだけ銀竜の力は使うな.」
初めてみせる心配そうな顔だ.
サラはおもむろに唇をセイと重ね合わせようとする.
「サラ……?」
セイはそれに応えるように,戸惑いがちにサラを抱き寄せた.
しかし,その瞬間.
サラの体が鈍く銀に輝き,彼女はそのまま前のめりに倒れこむ.
彼女の身体に溶け込むようにして,銀色の竜がセイを見つめていた.
その無限の力にセイは圧倒される.
しかし竜はすぐにサラの体の中に戻り,サラは意識を取り戻した.
「ここは,どこ……?」
いまだ恐怖に縛られたように,セイは答えた.
「町の外の森だ…….」
サラは邪気の無い瞳で周りを見渡した.
「ほんとだ,帰ってきちゃったんだ.」
セイと一緒に最初に町並みを眺めた場所である.
サラが再び町を眺めていると,後ろからセイが声をかける.
「サラ,銀竜の一族のことでもうひとつだけ分かったことがある.」
サラが軽く微笑みながら振り返る.
「一族の姫巫女は銀竜のものなんだ.」
彼女は怪訝そうな瞳で,セイを見返した.
「だから未婚の女性と限定されているんだ…….」
それって,私は恋愛できないってこと……?
なぜかその質問をサラは発することができなかった.