「教えてください,あなたは誰なんですか? ここはどこなんですか?」
背中を覆う長い栗色の髪,色の違う両目に怯えの色を映して,サラは男に聞いた.
「ここは異世界なのでしょう,魔法が存在する…….」
そっぽ向いていた男の暗い緑の瞳が,やっとサラの方を向いた.
サラはびくっと震えつつも,男の顔を見返した.
くすんだ赤い髪,暗い緑の瞳,その瞳には炎が映っていた.
日の落ちた暗い森の中で,ただ二人だけで焚いた炎を間にはさんで見つめ合う.
「あ,あの,私は結城サラです.17歳で…….それで……,」
胸の動悸が早くなるのを自覚しながら,サラは慌てて自己紹介をする.
歳は大学生くらいかしら,この人.
軽々と彼女を抱き上げた逞しい腕,がっしりとした胸,そして唇…….
「あの,お母さんが私のこっちの世界での名前はサラディナーサだって…….あの,私の話…….」
サラはずいっとそばにより,まったく彼女の話に無関心そうな男の顔を覗き込んだ.
「聞いていますか? 私の話.」
すると,強い力で肩を掴まれる.
まっすぐにサラを見つめて,男は不機嫌そうにしゃべった.
「俺はセイ.ここはレニベス王国.さっきの兵たちはレニベス王国軍の騎士.」
そして無遠慮にサラの瞳を覗きこむ.
「お前,本当に銀竜の一族の者か?」
覗き込んでくる遠慮のない瞳に,サラはついどきどきしてしまう.
「両目の色が違うし,確かに銀竜はお前の中にいるようだからそうなのだろうけれど…….」
視線が男の唇に集中してしまう,こんなこと考えている場合では無いのに…….
「あの,私,ハーフなので…….」
「どうりで,銀竜を養うには魔力が足りない.」
そして強引にサラに口付けようとする.
サラをはっしと男の唇を両手で押さえて,口付けから逃れた.
「何をするんですか?」
セイは怒ったようにサラを見つめた.
乱暴に彼女の両手を自分の口からはずすと,
「俺の魔力を分けてやるんだよ.」
「だから,なぜ,その,キ,キスを…….」
サラの顔に朱が上る,男の顔をまともに見ていられない.
うつむいたサラのうなじを見つめて,セイは大仰にため息を吐いた.
「まいったな,全部説明しないといけないのかよ.」
そして強引にサラの顔を持ち上げる.
「いいか,これだけは憶えておけ.お前の身体には銀竜という化け物がついている.この化け物はお前の魔力を餌にしているのだけど,お前にはそもそも魔力が少ない.魔力がなくなると,銀竜はお前の生命力を食べるんだよ.」
「嘘…….」
サラは無理にでも笑おうとした.
しかし実際にこの世界に来てから,体の調子が悪い.
今だってこのまま倒れこみたいくらいだ.
「死にたくなかったら,俺に従うんだな.」
セイの瞳に危険な光が映る.
その瞳を見つめながら,サラはセイと二度目の口付けを交わした.
口付けから開放されると次は,男の強い視線に捕まってしまう.
「それからレニベス王はお前の敵だ.お前ごと銀竜を殺そうとしている.軍人にだけは捕まるなよ.」
サラはセイの光の差さない暗い瞳を見つめて聞いた.
「あなたは,私の味方なの?」
「俺は,レニベス王国の敵だ…….」
その顔立ち,その瞳の色,そして何よりその漆黒の髪!
「もしかして,日本人!?」
その女性は屈託無く笑う.
「そうだよ,3ヶ月前まではね.今は違うの.私,この人と結婚したから.」
そうして,照れたように側に立つ紺色の髪の男と微笑みあう.
サラの背後に立つセイがサラの肩を抱き寄せて,彼女の耳元で囁いた.
「サラ,お前が探していたエンデ王国の王妃だ!」
「……セイ!」
がばっと勢い良く,サラは跳ね起きた.
途端に頭がずきずきと痛み出す.
朝の眩しい光にサラは顔をしかめた.
「やっと,起きたのか?」
呆れたようなセイの声がする.
そして頭を抑えるサラの手を取り,彼女に強引に唇を重ねた.
痛みが少しずつ遠ざかってゆくのを,複雑な気分でサラは知った.
「セイ,教えて.」
サラはすがるように,セイを見つめた.
「エンデ王国ってどこ? そこの国の王妃様って日本人,……異世界の人かどうか知っている?」
途端にセイの顔が険しくなる.
「予知夢か…….さすが銀竜をその身に宿す巫女だな.」
「セイ! 教えて!」
「エンデ王国はここレニベス王国の西隣の国だ.王妃については知らん.2年くらい前に新王が即位したらしいが…….」
面白くもなさそうにセイは説明した.
「しかし,お前が夢に見たということはきっとそうなのだろうな.」
サラは不安な面持ちで,セイを見つめた.
予知夢…….
自分の身の内に自分以外の存在を感じる.
ぞっとして,サラはきつく自分自身を抱きしめた.
「セイ,私,エンデ王国に行きたい…….行って王妃様に会いたい.」
「分かった,なら行こう.」
こともなげに答えるセイを,サラはただ見つめた.
いったい,この人は何者なのだろう…….
レニベス王国暦,1203年.
5年に渡った内乱は最悪の形で幕を閉じた.
すなわち他国からの軍の介入である.
現王フィローンは自らの王位のために,海からカイ帝国の軍を迎え入れたのであった.
大統一帝国と異名をとる宗政一致の国家であるカイ帝国の軍隊は,その武力によってフィローンを王座に押し上げた.
フィローンは王位についたが,しかしすぐにそのことを後悔することになる.
カイ帝国がレニベス王国の神獣である銀竜の身柄を要求したからである.
レニベス王国の神獣は,強大な魔力によって王国を守護していた.
この強大な魔力が他国のものになる……!
恐慌をきたした王はある暴挙に出た…….
「サラ,街だ.」
森を抜けると,眼下にはまるでヨーロッパのような町並みが広がっていた.
くすんだ赤い色の屋根のレンガは,サラに隣を歩く男の髪の色を連想させた.
「ねぇ,セイ.セイは…….」
するといきなり,今までサラが何を言っても相手にしなかったセイが振り向いた.
その強い視線に,サラは鼓動が早くなるのを感じた.
唐突に自分の羽織っていたマントを脱ぎ,乱暴にサラに着せる.
「何? 何なのよ?」
セイは戸惑うサラには構わずに,フードを目深にかぶせた.
「これをかぶって,ずっとうつむいていろ.」
軽くフードを上げて,サラは質問を発する.
「なぜ?」
「その両目を見られると,銀竜の一族だとばれるからだよ.」
そしてまるで馬鹿にするように聞いた.
「お前,なぜ自分が銀竜に選ばれたのだと思う?」
「なぜって……?」
異世界である地球に居た自分がなぜ銀竜にとりつかれたのか……?
しかもハーフのサラには銀竜を養うだけの魔力は無い.
「王がこの世界の銀竜の一族を皆殺しにしたからさ.」
「なっ……!」
そして今度は妙に真面目な表情で言った.
「お前がもしも王に復讐するのなら,俺は協力するぜ.」
セイの顔を見つめて,サラは言葉が出せない.
命を狙われていると言っても,あまり実感が無かった.
なぜ,なぜ自分がこんな目に…….
「私,私はエンデ王国に行く.」
サラはフードを目深にかぶり,セイに答えた.
「そして,王妃様に地球への帰り方を聞くの.」
するとセイは黙って町へと歩き出した.
復讐なんてできるわけないじゃない…….
サラは慌てて,先を行くセイの後についていった…….
町のざわめきは,地球とは異ならない.
広い通りを歩けば,露天商たちのにぎやかな声がする.
どこかで子供たちがはしゃぐ声,そして…….
「王は,銀竜の一族を…….」
「守り神の一族を滅ぼすなど,なんと恐ろしい.」
「生き残りがいるという噂だぞ…….」
サラはぎゅっとフードを目深にかぶって,深刻な顔をして話し合う街の男たちの脇を通り抜けた.
しかしそうすると前がよく見えなくて歩きづらい.
「ちょっと,セイ.待ってよ.」
足早に前を行く男に追いついて,その腕にしがみつく.
「手をつないでいい?」
「はぁ!?」
セイは呆れたように,サラを見やった.
むっとしてサラは言い返す.
「つないでくれないなら,腕にしがみつくわよ.」
おかしなことに,セイは明らかに照れていた.
「前が見えないのよ! そんなぐらい,いいじゃない.」
だいたい人に無理やり口付けをしといて,そんなことで照れなくてもいいではないか.
しかしセイは怒ったような表情をして,そっぽむいてしまった.
「じゃ,しがみついていろ…….」
「う,うん…….」
サラは遠慮がちに,彼の腕を取った.
「セイ,いったい何をしに街に降りたの?」
腕を組んで町を歩きながら,サラは訊ねた.
少しうわずった声でセイは答える.
「エンデ王国に行くなら馬がいるからな.それからお前のその目立つ変な服もどうにかしないといけない.それから食料だな…….後は…….」
するといきなりサラは黙って,その足を止めた.
「なんだ?」
「セイ…….今から5分くらい後にここの通りを兵隊が通る…….」
驚いてセイはサラの顔を見つめ返した.
彼女の瞳には銀の光がたゆたっていた.
「くそっ.」
セイは乱暴にサラを引きずりながら,大通りの脇の暗い路地裏に逃げ込んだ.
程なく,騎馬の群れが通りを行軍してゆく.
ふとセイがサラの顔を見返すと,彼女の顔色はまっさおだった.
無言でセイはサラに口付ける.
さすがに彼女はもうそれに抵抗しなかった.
「サラ,要る物を買ったらすぐにこの町を出るぞ.」
まだ少し青い顔でサラは頷いた.