その瞬間,彼女は見た.
鈍く銀に輝く竜が,身のうちに溶け込んでゆくのを…….
彼女の世界は転変する.
頭が痛い…….
ずきずきと,内側からハンマーで叩かれているようだ.
ふと瞳を開けると,輝くばかりの青い空.
「おい!」
男の影が,彼女の顔を覗き込んでくる.
彼女は見知らぬ大地に倒れこんでいた.
うっそうと茂った森のなかの土で固められた道に.
「魔力が足りないのか?」
くすんだ赤い髪,暗い緑の瞳の男はいまいましげに彼女に聞いた.
「分けてやるから,立て!」
そうして,彼女に強引に口付ける.
口付けから開放されると,彼女は驚いて彼女の唇を奪った男を見つめた.
「な,何を……!?」
しかし男はそんな彼女の様子には頓着せずに,強引に彼女を立ち上がらせた.
「よし,立てるな.じゃ,逃げるぞ.」
と言って,彼女の腕を乱暴に掴んで走り出す.
いつの間にか,頭痛は消えていた.
しかし何歩も走らないうちに,彼女は地面にへたり込んでしまう.
「吐きそう…….」
ふらふらする,立ち上がることができない.
すると軽く舌打ちして,男は彼女を軽々と抱き上げた.
「きゃっ.」
彼女の意志などまったく無視して,彼は走り出す.
そのとき,彼らの後ろから耳慣れない音が聞こえてきた.
彼女は彼のその逞しい肩越しに,彼らを追いかけてくる何十もの騎馬の群れを見た.
まるで中世ヨーロッパの騎士のような装いの男たちが,片手で馬を操りながら片手に剣を掲げて走ってくる.
「居たぞ!」
「殺せ!」
そして喚声を上げて,逃げる二人に迫ってくる.
彼女は色の違う両目を見開く.
ここはいったい,どこなの……!?
「変わっているね,その瞳.」
初対面だというのに無遠慮に覗き込んでくる他校の男子学生に,彼女はむっとした.
栗色の髪,そして左右で色の違う瞳.
自分が皆と同じように制服に身を包んでいても目立つ存在なのは,彼女にとっては不快でしかない.
「えっと,結城サラちゃんだよね.もしかしてハーフ?」
サラはいっそ不快感を込めて相手をにらみつけた.
「だとしたら,なんですか?」
駅のホームでいきなり呼び止められ,見知らぬ高校生たちに囲まれる.
道行く人々が好奇の視線で,彼女の姿を眺め回した.
「サラちゃんさ,こいつと付き合う気無い?」
サラは自分の唯一の味方でもあるかのように,ぎゅっと高校指定の通学鞄を抱きしめた.
「こいつ,いつもサラちゃんのこと,かわいい,かわいいって.」
「や,やめろよ…….」
げらげらと下品に笑う男子学生を,一人の学生が戸惑ったようにさえぎる.
「だからさぁ,俺たち,友達として協力してやりたいんだよ.」
肉食獣のいやらしさで,また別の学生がサラを脅すように言う.
駅のホームでは,誰も数人の男子学生に囲まれたサラを助けてはくれない.
サラはじっとうつむいて,そして低く呪文を唱え始めた.
「古の光よ,我が名のもとに集いたまえ…….」
そして自分を囲む学生たちをきっとにらみつける.
「私の名前は,サラディナーサ!」
閃光が彼らを包む!
それは一瞬だったが,彼女にとっては十分だった.
少年たちの間をすり抜けて,今まさにホームから出発しようとする電車に飛び乗る.
取り残された高校生たちは,呆然とホームから去る電車を見つめた…….
今の光はなんだったのだろう……?
飛び乗った電車の中で,彼女は長い栗色の髪をうっとうしそうに掻き揚げて安堵のため息を吐く.
今ごろになって,足ががくがくと震えてくる.
するといきなりはしゃいだようなしゃべり声が,彼女に話し掛けてきた.
「結城さん,相変わらずもてるわねぇ.話ぐらい聞いてあげたらよかったのに.」
彼女たちは確か同じクラスの女子生徒だ.
「やだ! にらんでいるわよ.怖〜い.きれいな人は違うわね.」
正直,勘弁して欲しい…….
うんざりした彼女はさっと踵を返して,隣の車両へと向かう.
すると非難じみた声が彼女を追いかけてきた.
「何よ,アキの彼氏を取ったくせに!」
「それは誤解だと言ったでしょう!」
その色の違う両目で彼女は言い返した.
「アキ,すっごく泣いちゃっているんだからね!」
……正直,アキの彼氏など名前も顔も知らない.
彼女は心底うんざりした顔をした.
それをどう受け取ったのか,少女たちは彼女をにらみつける.
「色が違うなんて,気持ち悪い目!」
「だいたい,結城さんってどことのハーフなのよ!」
それは…….
サラは確かに,ハーフだ.
しかしこの地球における混血児ではない.
剣と魔法が存在する異世界との混血児なのだ.
サラの色の違う両目が,不可思議な色に揺らめいた.
「サラ,お母さんはね,お父さんを愛しているから銀の竜神さまにお願いしてこっちの世界に来たの.」
母親は異世界では銀の神竜に仕える一族であったと言う…….
今でもときどき不思議な魔法をサラに見せてくれる.
こことは違う世界.
魔法の存在する世界.
そこでなら私は目立たずに,いじめられずに生きていけるのだろうか……?
無限の魔力を持つという銀色の竜.
母の故郷レニベス王国の守護神竜…….
サラはその優美で,しかし力強い姿を想像しようとした.
そのとき,サラははっと瞳を見開いた.
銀に鈍く輝く竜が,彼女のもとへまっすぐに向かってくる.
「なっ…….」
しかし,誰一人としてそれに気付かない.
あれはサラにしか見えないのか!?
その瞬間,彼女は見た.
鈍く銀に輝く竜が,身のうちに溶け込んでゆくのを…….
……彼女の世界は転変する…….
「おい,お前!」
彼女を抱きかかえ走る男が,頭上から話し掛けてきた.
サラをかかえているとは思えない程のスピードで走っている.
サラは追いかけてくる騎馬の群れから,視線を男に転じた.
「死にたくなかったら,呪文ぐらい唱えてくれ!」
魔法…….
サラは震える唇で,呪文を唱える.
「い,古の……,」
すると男は血相を変えて叫ぶ.
「そんなのしか知らないのかよ! とんだお荷物を拾ったぜ.」
そして立ち止まり振り向いて,騎馬の群れに相対する.
「大地よ,我が意に従え!」
サラの目の前で,大地が鳴動する.
彼女たちを追いかけていた騎馬の兵士たちが馬から落ち,馬がいななきながら逃げる.
「行くぞ!」
男はサラを降ろし,その腕を引っ張った.
しかしサラは動かない.
「待って……,あなたは誰? ここはどこ?」
次の瞬間,サラの腹部に鈍い痛みが走る.
加害者の男を見つめながら,サラは意識を手放した.
そして,男は無感動にサラを抱き上げた.
ここは,剣と魔法が存在する異世界…….
母の故郷…….