ロインの川を越えて

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  第十話 愛の言葉と夢の中  

「もちろんです」
 リアムは笑って立ちあがる。ところがフェアナンドはしぶった。だが、ゆっくりと立つ。ベッドに座る私を見て、心配そうにまゆを下げた。
「隣の部屋にいる。何かあったら、大声を上げるか、大きな音をたててくれ」
「分かった」
 私はほほ笑んだ。兄は不安そうにラウリンを見た後で、騎士のマイノとワルトを連れて出ていく。ふたりきりになってから、私はラウリンと同じベッドに移動した。彼の隣に腰かける。ラウリンは私から視線をそらして、顔を赤くしていた。
 彼とふたりきりになるのは、これが二回目だ。昨日の昼食時と同じように、私たちは黙り合う。あのときは、ラウリンの方から声をかけてきた。だから今日は、私からがんばる。しかし何から話せばいいのか。
「あなたはものすごく分かりやすく、私を好いてくれます。とてもうれしいです」
 素直に自分の気持ちを打ち明ける。この方法しか、私もラウリンも知らない。私はためらった後で、再び口を開いた。
「朝、あなたのベッドに妹のリーナがいて、私の心は傷つきました」
 ラウリンの体はぎくっと震えた。彼は私に、こわばった顔を向ける。
「でもすぐに、あなたは私を裏切っていないと思いました。もちろん兄もです。それに」
 私はそっと手を伸ばして、ラウリンのほおをなでた。どきどきする。初めてラウリンに、――男の人に触れたのだ。
「私より、あなたの方が傷ついていました」
 泣いていただの、顔色が悪かっただの聞くたびに心配になった。ラウリンの誠実さを、疑う人はいない。彼は両目を泳がせて、なされるがままになっていた。
「私は道中ずっと、この姿でいました。大勢の人と会いましたが、誰も私を女性と気づきませんでした」
 みんな私を、騎士見習いの少年と思っていた。フェアナンドが「母方のいとこだ」と教えれば、たやすく納得した。
「なのにあなたは、すぐに私に気づきました。なぜ分かったのですか?」
「それは、なんとなくです。後ろ姿というか、声も聞こえましたし、フェアナンドもそばにいましたし」
 ラウリンはとまどいながら説明する。私は拍子抜けして、彼のほおから手を離す。怒ったようにしゃべった。
「こういうときは、あなたを愛しているから分かった、と答えてください」
 言ってから、はずかしくなった。ちらりと視線をやると、ラウリンも真っ赤になっていた。
「俺はあなたの姿を探すことには慣れていまして……」
 彼はごにょごにょとつぶやく。
「あなたのなまりを笑わなかった程度で、こんなにも愛されたら困ります」
 私はもじもじとうつむいた。自分でも、よく分からないことをしゃべっている。それも、すねたような気持ちで。私は彼に何もしていないのに、こんなにも愛されたら困るのだ。ラウリンはぼそぼそと話し出す。
「あなたは城の中で会うと、いつも笑顔であいさつしてくれました。俺の故郷の話も楽しく聞いてくれました」
 それから意を決したように、
「あなたこそ、なぜ俺の求婚を承諾したのですか? 俺のこと、眼中になかったじゃないですか。それにリーナ王女が俺のベッドにいたのに、なぜ俺を追いかけたのですか? 普通は怒って、俺のことを嫌いになるでしょうに」
「それは……」
 私は言いよどんでから、覚悟を決めた。えいっと、ラウリンの首に腕をまわして抱きつく。大胆な行動に、心臓がばくばく鳴っている。
「あなたが一生懸命に愛してくれるから、私もあなたを好きになったのです。あなたを守りたいのです。あなたを追いかけるな、なんて無理です」
 突然、転がりこんだ幸せにとまどっているうちに、幸福は逃げた。だから私は追いかけた。
「あなただけが私を好きと思わないでください。私と結婚してください。あなたが『はい』と答えるまで、離しませんから」
 私はせいいっぱい訴えた。始まったばかりの私の恋。けれどラウリンのそばにいれば、それは確実に育っていく。私はそれを育てたいと思っている。
「これは夢ですか?」
 ラウリンのほうけた声。彼の腕がおそるおそる、私の背中に回る。
「ちがいます」
 私は、はっきりと告げた。
「またリアムに、妄想を繰り広げていると笑われる。あいつは俺の護衛の騎士なのに、いつも態度がでかいし」
 ラウリンは私をきつく抱きしめた。ちょっと痛い。ラウリンは少し頼りないので、リアムは世話を焼きたくなるのだろう。その気持ちは分かる。
「妄想でもありません。あなたも、自分の足をけりますか?」
 私は優しく笑った。
「夢ならば、口づけをさせてください」
「だから夢じゃないです。しつこいですよ」
 私は苦笑する。ラウリンは私のあごをつまんで、無理やり唇を合わせてきた。私は驚いて、両目をぎゅっと閉じる。初めてのキスは不器用で、私の都合お構いなしのものだった。多分、彼も初めてなのだ。
 唇を離すと、ラウリンはとろんとした目で私を見つめる。私はどきりとした。下手なキスが、彼からの好意を教える。彼の瞳を見つめるだけで、愛されていると自覚できる。
「やっぱり夢だ」
 ラウリンはつぶやいた。
「ちがうよ。なぜそんなに疑うの?」
 私は否定したのに、ラウリンは今度はかみつくように口づけをしてくる。キスも何もかも初めての私は、怖くなって抵抗する。離してほしいと、彼の胸を両手で押す。はずみで、どんと片手が部屋の壁に当たった。
 ラウリンは私の抵抗をものともせず、私をベッドに押し倒した。
「待って。急すぎる」
 私はおろおろと逃げようとする。なぜこういうことだけ、ラウリンは積極的で強引なのか。彼は迷った顔を見せたが、
「あ、朝まで俺と一緒にいてください。不慣れな外国で、たったひとりで、富める大国に委縮しながら、それでもずっと、あなたを見ていたのです」
 どもりながら愛の告白をする。
「あなたがいるから、小国の王子と卑屈にならずにすんだ。うつむかずに、前を向いて歩けた。あなたが『ラウリン王子は勤勉ですね』と認めてくれるだけで、俺はがんばれた」
 ラウリンの熱意に、私は流されそうになった。結婚するし、いつ彼と夜をともにしても問題ない。私の純潔は、彼のものだ。ラウリンが遠慮がちに、胸に触ってきた。私はびくっと震えてさけぶ。
「やっぱりやめて! 初めてだから怖い」
 加えてこんな男装姿で、初めての夜を過ごすのは嫌だ。次の瞬間、部屋の扉が乱暴にたたかれた。
「ラウリン、何をしている!? ミラを離せ! 部屋に入るぞ。この扉を開けてもいいか?」
 フェアナンドの激怒する声が、扉越しに聞こえてくる。私はぞっとした。賢明な兄のことだ、ほぼ正確に私とラウリンの状態をつかんでいる。そして怒り狂っている。
「私は大丈夫だから。フェアナンドは来ないで!」
 私はあわてて大声を上げた。ラウリンの顔がまっさおだ。素直な人なので、考えていることがすべて顔に出る。彼は凝り固まって、何もできないでいる。
「ラウリンは私の上からどいて。ベッドから離れて」
 私は命令してから、失言に気づいた。部屋の扉が、勢いよく開く。フェアナンドが大またでラウリンに歩み寄って、私の上からラウリンを引きはがす。
 兄はラウリンの腹に、思い切りこぶしをたたきつけた。ラウリンは前のめりに倒れる。彼は無抵抗だった。マイノとワルトが、あきれた顔で部屋に入ってくる。
「さきほどまで、ミラ殿下とラウリン王子の結婚は両国にとって利益があるとおっしゃっていた方が、何をやっているのですか?」
 マイノがため息をはく。
「国益とは、また別の問題だろう? ミラ殿下は、大切な妹君だ」
 ワルトが首をすくめる。続いて現れたリアムは苦笑した。
「ラウリン。隣の部屋で、お兄様が壁に耳を当てていることぐらい察しろよ。壁がたたかれたあたりから、すごい顔をしていたぞ」
 その光景が想像できる。フェアナンドは結構、過保護だ。かわいそうなラウリンは、床に倒れ伏している。冷静に戻ったらしいフェアナンドは、ごまかすようにしゃべった。
「すまない。つい頭に血がのぼって、……その」
 困ったように頭をかく。
「ロイン川を越えるまで、妹に手を出さないでくれ」
 ラウリンに意識はあるのか、と私は思った。が、彼は倒れたままで、
「この痛み、夢ではなかった」
 と苦しげにうめいた。
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