恋人は月でピアノを売っている

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  14 元社長令息と現社長令息  

 仁史が正人に会うのは、三年ぶりだ。仁史が月へ来てから、一度も会っていない。正人は昔と同じく、がっちりとしたスポーツマン体型だった。背も高い。が、何となくやせたように思える。仁史はぼんやりと正人を眺めた後で、無理やりに頭を働かせた。
 トニオたちは正人の顔を知らないのだろう、きょとんとしている。なので仁史が笑顔を作って呼びかけた。
「正人。ひさしぶりだ」
「俺も俺の親父も、警察の事情聴取に誠実に応じている。刑事にならまだしも、同じ会社の人間から疑われたくない」
 正人は不機嫌なままで言う。このやり取りで、トニオたちは彼の正体が分かったらしい。気まずそうに口をへの字にした。
「もしも親父が犯人なら、こんなタイミングで爆弾をしかけない。自分を疑ってくださいと言わんばかりじゃないか」
 正人の言葉に、アンジーがまゆをひそめた。正人はにっとほほ笑んで、仁史に近づいてきた。
「爆弾騒ぎの話を聞いた。見舞いに来てやったぜ。仁史に、けががなくてよかった」
「ありがとう」
 仁史はほほ笑む。それから正人に、いすに座るように促した。正人は少し迷ってから、ヨンハの隣に着席した。ヨンハは仁史と正人にはさまれて、ちょっと嫌そうだ。正人は勝気に笑う。
「俺と仁史は、十年以上の付き合いだ。立場は変わったが、俺たちは友人だ」
「あぁ、僕もそう思っている」
 仁史と正人は、家族ぐるみの付き合いだった。たがいの家に行き来し、たがいの父母の顔も知っている。
「で、そんな付き合いの長い俺たち親子を疑うより、最近になって仁史に近づいてきた不審人物たちを疑うべきじゃないか?」
 正人はトニオたちを、じろりを見まわした。トニオたちは驚き、不愉快そうに顔をしかめた。
「ずっと疑問だった。君はなぜ無重力ピアノの開発継続を、仁史に頼んだ? 仁史とは何の面識もなかったのに」
 正人は厳しい調子で、はす向かいに座るトニオにたずねる。
「それは仁史が、製品開発サポート課の課長だからだ。製品開発一課と二課をサポートするのが、仁史の仕事だろう」
 トニオは大まじめに答えた。が、仁史と正人は目を丸くする。確かにサポート課の仕事はそのとおりだ。しかしそれは建前で、実質は仁史の追い出し部屋だった。
 つまりトニオは建前を本気に取って、サポート課に来たのだ。裏表のないトニオらしい行動だ。仁史はあきれつつも感心した。するとアンジーも口を開く。
「この際だから、私も申し上げます。私は職場が合わなくて、退職を考えていました。しかし恋人のトニオに勧められて、サポート課への異動を仁史さんに願いました」
 義則とヨンハは、口をあんぐりと開けた。驚くのも分かる。たいていの場合、アンジーはトニオに冷たい目を向けているからだ。だが仁史は爆発騒ぎのときから、ふたりの仲を疑っていた。
「同じ職場になるので、ふたりの関係は秘密にしようとトニオと話しあって決めました」
 アンジーはしれっと話す。その隣でトニオは気まずそうだ。ふたりは案外、隠しごとがうまかった。爆弾という非常事態がなければ、ふたりが恋人とは誰も思わなかっただろう。
「私も言いましょう! 今までずっと口を閉ざしていましたが、実は私は」
 ヨンハがめずらしく興奮してしゃべる。
「いや、みんな知っているから」
 仁史は彼を止めた。一か月ほど前に、サポート課の面々はみんなで飲みに行った。そこでヨンハは酔っぱらいながら、昔、新入社員だったときに大きなミスをして、仁史の父親に助けられたことを告白したのだ。
「あなたが閑職に追いやられたと聞いて、あのときの恩を返すべきだと思ったのです」
 意外な話だったが、ヨンハが最初から仁史に好意的だった理由がやっと判明した。義則がため息を吐いて、正人に言う。
「私が仁史さんのそばにいる理由は、あなたの父親である社長が知っています。私の仕事は、仁史さんに転職を勧めることでした。TSUBAKIにも楽器メーカーにもこだわる必要はない、とさとすことでした」
 義則の言葉に、仁史はぎょっとした。ヨンハとトニオも、びっくりしている。正人もとまどっていた。父親から、何も聞かされていなかったのだろう。けれど思いかえせば、義則は仁史に転職を勧めていた。
「ただ仁史さんは転職にふんぎりがつかず、そうこうするうちに菜苗さんが月にやってきて、仁史さんは転職を考えるどころではなくなりました」
 義則は苦笑する。
「さらにトニオがやってきて、なし崩しで無重力ピアノにかかわることになりました。無重力ピアノは成功し、社長は私と仁史さんに『もう仁史さんの道をふさがない』と宣言しました」
 すなわち仁史を左遷したり、退職を勧めたりしないということだ。
「私の今の仕事は、仁史さんの補佐です。もしも今、社長が仁史さんに退職を勧めるように私に指示を出しても、私は断ります。仁史さんは、会社の発展のために必要な人材と強く主張します」
 義則は仁史に、はっきりと言った。つまり仁史は、義則に認められたのだ。仁史はうれしくなった。
「よし! よく分からないが、分かった」
 トニオが元気いっぱいにさけぶ。
「俺たちサポート課の結束は、宇宙で一番だ。あなたこそ、俺たちのすばらしい推理力におそれをなして、偵察に来たのでしょう」
 びしっと正人を指さす。少年探偵団きどりのせりふに、仁史はずっこけた。だが正人は、かってなって言いかえす。
「人聞きの悪いことを言うな!」
 正人のリアクションに、仁史は今までとはちがった目で正人を見た。アンジーが白けた目をして口を開く。
「私たちの団結を乱すために、妙な質問をしてきたのね。それともトニオを、――無重力ピアノの成功を手に入れた仁史をねたんでいるの?」
「俺は仁史を心配して、様子を見に来たんだ」
 正人は上ずった声で言い張った。仁史は静かに覚悟を決めた。大切な人を守るために戦う覚悟。トップまで登りつめるために、他者と争う覚悟。もう僕は、ふぬけていられない。
「ありがとう、正人。どうか僕に協力してくれないか? 爆発騒ぎだけではないんだ、……僕はいっこくも早く、犯人を見つけ出さなくてはならない」
 仁史はあせった表情で、正人に訴える。
「あぁ、分かっている。婚約者のことだろ。なんでも言ってくれ、俺も協力する」
 正人がしゃべった瞬間、仁史たちはしんと静まりかえった。社内で菜苗の失踪を知っているのは、仁史たちサポート課と犯人だけ。トニオは怒りで顔を真っ赤にして、
「お前が菜苗さんを連れ去ったのか、このげすがーーーっ!」
 いすから立ち上がり、テーブルを乗り越えて正人を押し倒す。ハデな音がして、いすとトニオと正人が床に転がった。
「何だ、お前はいきなり!?」
 正人が応戦する。食堂のあちこちから悲鳴が上がる。逆に冷静になった仁史は、
「アンジー、警察を連れてきて。まだ社内にいるはずだ」
「義則は社長に連絡を入れて。ショックを受けるだろうから、できるだけ優しく話すんだ」
 次々と指示を飛ばす。アンジーと義則はおろおろとしながらも、すぐに食堂から出ていった。仁史は、自分のボディガードに向かって、
「トニオを止めて、正人を拘束してください」
「承知しました」
 トニオは正人に馬乗りになり、今、まさにこぶしを振り上げようとしている。正人も負けていない。彼は昔、柔道をやっていた。そんなふたりの大男の間に、ボディガードはちゅうちょなく割って入る。
 仁史はヨンハとともに一歩下がり、いかに迅速に菜苗を助け出すか、――正人の口を割らせる方法を考えていた。
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