秘密の恋,なんて艶っぽいものじゃない.
私の少ない脳みそは,もういっぱいいっぱいで.
数学の授業の無い今日に,なぜかほっとする.
「イッカぁ,イッカちゃ〜ん?」
唯ちゃんの手がひらひらと目の前を舞う.
けれど,世界は薄いベールに包まれている.
「駄目だ,この子,完璧に呆けているよ.」
俺はそれでも,壱架と付き合いたいと思っている.
「あー,イッチー先生に軽くあしらわれちゃったものね.」
これは,秘密の恋だ.
「……つうかさ,イッカが言っていたイッチーの告白って,」
「由紀!」
あなたを異性として意識しはじめています.
「イッカが嘘つくわけないじゃない! イッチーの奴,イッカをからかったんだよ!」
藤原壱架,教師と生徒が両想いとはどんな状態か,分かるか?
「さいってー……,あいつ,教師のくせに,」
「違う!」
気づくより前に,私は叫んでいた.
ぱちぱちと不思議そうに瞬きをする唯ちゃんと由紀ちゃん.
誰にも内緒だ…….
ごくり,と自分がつばを飲み下す音が聞こえた.
秘密の恋,なんていかにも不幸になりそうなものじゃない.
放課後の訪問は,ある程度は予想していた.
精一杯にらみつける,少女の眼差し.
笠原唯,壱架とは小学校からの友人らしい.
「教えてください,一村先生.」
数学準備室に,笠原唯は教科書とノートを持ってやってきた.
けれど聞きたいのは,授業のことではない.
「大人気ですね,一村先生.」
はす向かいの席の高野先生が微笑みかける.
再来年,定年退職になる穏やかな先輩である.
「確かに一村先生は,大人気ですね.」
皮肉な言い回し,頭のいい子だ.
「そんなことはないよ,俺の一方通行だ.」
かちんと笠原唯の顔が険しくなる.
「教えて欲しい問題は?」
笠原唯は,教科書とノートを開く.
「このページの,……どうしても解けなくて,」
”イッカのこと,迷惑なら,ちゃんとそう言ってくれませんか?”
筆談か,……授業中のようだな.
「この手の問題は,無理に公式に当てはめようとしても解けないんだ.」
”確かに,パパ扱いは迷惑だな,”
「授業中と言っていることが違います.」
「教師だって間違えるさ.」
”好きな娘からパパ扱いされるのは,男としてかなりつらいぞ.”
「え?」
信じられないものを見たかのように,笠原唯の目が大きくなる.
「難しい公式なんて要らない.」
そんなもの,実はなんてことは無いんだ.
「答えは至極簡単なものなんだ.」
「嘘…….」
微妙に,笠原唯は引き気味だ.
まぁ,われながらロリコンのようだと思う.
「藤原壱架には,昨日,教えた.」
”壱架には,電話で言った.”
「あまり理解していないようだったが……,」
「あ,あの子は,……頭,悪いから,」
確かに,壱架は賢くはないな.
思わず,笑みがこぼれてしまう.
けれど,どうして.
愛しいと感じる…….
「てゆうか,イッチーってさ,」
引いたままの状態で,笠原唯は訊ねる.
「何歳なの?」
当然の質問だ,壱架から聞かれたことは無いが.
「((2453-2387)/3)+2 歳だ.」
「分かりません!」
速攻で計算を断念する笠原唯.
仕方ない,安心させてやろう.
「一応,10も離れていな,」
「イッチー先生!」
瞬間,ばんっとドアが開く音.
振り返る俺と笠原唯.
「好きです,大好きです! あ,愛しています!」
ドアに立つのは藤原壱架.
「私をお嫁さんにしてくださいぃっ!」
廊下から準備室に向かって,大絶叫.
壱架…….
お前,昨夜の話をまったく理解していなかったのだな…….
秘密の恋,なんて甘美なものじゃない.
渾身の告白.
そして,私の視界に映るもの.
イッチー→口が引きつっている.
唯ちゃん→口がぽかーん.
高野先生→目が点,点,点…….
あれ?
私,何か間違えちゃった……?