愛の言葉


強大な魔力を操る魔人,深い知恵と知識を持つ神人,素手で岩をも砕く獣人,そして何の力も無く,ただ数だけは多い人間.
似たような外見を持つ彼らはしかし,生まれ持った能力の差により大きく隔てられている.

気に入った.
特に見目麗しい娘という訳ではない.
しかし,なぜだか目にとまった.

魔人の男は,人間の娘を追いかけた.
戯れに訪れた人間の街の中で.
とがった耳から魔人と分かる男を,街の住民たちが怯えながら遠巻きに注視している.
娘は市場で魚の干物,果実等を購入し,少し町外れの家へと帰る.
魔人は娘が家の中へ入ったのを見届けた後で,コンコンとドアをノックした.

すると娘が出てくる.
「どなたですか?」
魔人は娘の手首を掴んで,引き寄せた.
「気に入った.」
娘の恐怖と拒絶を期待して,にやっと笑う.
「俺の嫁になれ.」

「は,離して下さい!」
震える声は,娘からではなく同じく玄関口に立っていた娘の母親から放たれた.
「何の御用ですか? わ,私の娘に……,」
魔人の胸の中に囚われた娘を取り戻そうとする.
「俺に逆らうのか,人間ぶぜいが.」
嘲弄する形に,魔人は口を歪めた.

「俺が欲しいと言っているのだ,この娘はもらっていく.」
無力な人間は,魔人に逆らうことができない.
横暴な魔人が人間を虐げることなど,この世界ではありふれている.
「そ,そんな……,」
顔を青ざめさせて,母親は突然の不幸に立ち尽くすのみ.
ふと魔人は娘が一言も喋っていないことに気付いて,腕の中の娘の顔を覗き込んだ.
「どうかご容赦ください,娘はあなた様のお相手ができるほどの器量良しでは……,」

青灰色の瞳がじっと彼の顔を見つめていた.
こちらが恥かしくなってしまうほどに,じぃっと見つめている.
「この子は大事な一人娘なんです.」
母親が涙ながらに魔人に訴えているというのに,ただただ娘は無反応に魔人の顔を見ているだけだ.
「何を見ているのだ.」
魔人は思わず聞いてしまった.
「あなたの顔を見ています.」
娘は淡々と答える.
「いや,それは分かるが…….」

なんだろう,勝手が違う.
魔人は,抱かれたままで何の反応も返さない娘に戸惑う.
「……お前を攫うと言っているのだが.」
いつの間にか,母親は黙って二人のやり取りを見守っている.
「はい,そのようですね.」
「抵抗をしなくていいのか!?」
受動的すぎる娘に,加害者であるはずなのに魔人はツッコミを入れてしまう.
「した方がいいのですか?」
そう問われると,返答の仕様が無い.

「夜毎にあなたの性の玩具にされるのはつらいかもしれませんが,」
直接的すぎる娘の表現に,魔人はぎょっとした.
「な,なななな何を言って,」
「あなたのお屋敷に居る沢山の女性とも張り合わなくてはならないのでしょう.また,新人いじめもあるかもしれません.」
「俺の家には誰も居ない!」
魔人は真っ赤になって叫ぶ.
いくら人間と魔人が互いに理解しあえない存在とはいえ,とんでもない濡れ衣だ.

「お前,俺を何だと思っているんだ!?」
この娘の頭の中の魔人像はいったい…….
あきれ返ってしまう.
「申し訳ございません,初対面なので外見だけで判断してしまいました.」
言外に好色そうな見た目をしていると言われ,魔人はショックを受けてしまった.

「お母さん,今まで育ててくれてありがとうございます.」
魔人がショックから立ち直れないうちに,娘は魔人の腕の中から抜け出し,母親に礼を述べる.
「こんな風にあなたと別れなくちゃいけないなんて……,」
娘を抱き寄せ,母はさめざめと涙を流す.
「魔人の気まぐれのせいでお母さんのせいではないです.気にしないで下さい.」
悪役のように言われて,魔人は再びぐさっとショックを受けた,……いや,実際に彼は娘を攫う悪役なのだが.

「だ,誰がお前を母親から引き離すと言った?」
ちくちくと罪悪感が刺激され,魔人は気まずそうに口を開いた.
「あなたが.」
はっきり,きっぱり,すっぱりと娘が返事する.
しかし娘の顔からは,全く魔人に対する非難の色がうかがえない.
「あぁ,もぉ! 辞めた! 辞めた,攫うのは辞めた!」
子供のように魔人が叫ぶと,涙に濡れた頬のままで母親が輝くような笑顔を取り戻す.
「あ,ありがとうございます!」
手放さずにすんだ娘を,母親は大事そうに抱きしめる.

「良かった,良かったわぁ.」
母親は,今度は歓喜の涙を流す.
いったい俺は何をやっているのだ?
魔人は苦虫を噛み潰したような顔で,母娘の抱擁を眺める.
そうだ,この娘が恐怖に慄かないからいけないのだ.
だから調子が狂ってしまうのだ.

「おい,」
呼びかけるや否や,魔人は母親の腕の中から娘を奪う.
「またお前に会いに行くからな.」
せいぜい怯えるがいい.
すると娘は2,3度瞬きした後で,彼の顔を再びじっと見つめた.
何を考えているのか分からない青灰色の瞳が,彼の心を乱す.
「私の心はあなたに奪われたみたいです.」
「え!?」
予想だにしていなかった娘の台詞に,魔人は真っ赤になってうろたえた.
家のドアのそばでは,母親もびっくりしている.

「なぜ,そうなるんだ!?」
うろたえる魔人に向かって,娘は平然と答える.
「私一人だけを妻として愛してくださるのでしょう?」
全く照れもせずに喋る娘に,魔人はたじたじになってしまう.
「父母とも離さずに,私と両親の気持ちが決まるまで結婚は待つと言ってくださった.」
「確かにそうだ.」と母親がぽんと手を打つ.

よく考えれば,この魔人の男はさっきから脅すだけで母娘に何の危害も加えていないし,娘の話をちゃんと聞くし,そもそも礼儀正しくドアをノックして娘を訪ねてきたのだ.
「お,お前,何もかもを自分にとって都合よく解釈していないか?」
力なく,魔人は娘に問い返す.
しかも娘の言葉のせいで,母親の魔人に向ける眼差しが好意的なものになりつつある.

自分は魔人であり,娘は人間である.
魔人は力の無い人間を嘲り笑い,人間は自らに無い力を持つ魔人を恐れ憎む.
「あなたは大変,心根のやさしい人のようです.」
なのに,この娘は…….
「そんなことを,無表情に言われても困る.」
偏見も何も無く,ただまっすぐに彼自身を見たのか,それとも母親とともに救い難いほどにボケているのか.

「申し訳ございません,産まれたときからこんな顔でこんな性格なのです.」
ちっとも悪びれない娘に,魔人はボケている方に一票を投じる.
「あなたからの求婚に心ときめきました.信じられませんか?」
青灰色の瞳がひたと魔人を見据える.
愛の言葉を囁かれているというより,戦いを挑まれているかのようだ.
「……また,会いに行くから.」
自分の平平凡凡な返し言葉に,髪をかきむしりたくなる.
すると娘は瞳を細め,口元をかすかに緩ませた.

もしや,これがこの娘の笑顔なのだろうか.
「お待ちしております.」と微笑む娘に,これでは毎日人間の街に行ってしまいそうだと,魔人の男は頬を照れくさそうに掻くのだった…….

||| ホーム |||


Copyright (C) 2003-2005 SilentMoon All rights reserved. 無断転載・二次利用を禁じます.