心の瞳


第十一章 出陣


暗い部屋の中で少女は目覚めた.
どうやら少年の看病をしながら眠っていたらしい.
ベッドに横たわる少年は,青い顔をしてぴくりとも動かない.
こみ上げてくる涙を抑えながら,少女は少年を見つめた.

あの悪夢のような夜から,2日が過ぎていた.
あの後すぐに知らせを受けたラオとアイリッシュがやってきて, 第6騎士団は彼らにガロードを返し,レニベス軍に応戦すべく国境に帰ったらしい.
アイリッシュはレニベス王国に魔法留学をした経験があるほどの回復魔法の使い手で, すぐにガロードの治療を始めた…….

「緑の息吹よ,地に住む我らが母よ.我に癒しの御手を貸したまえ…….」
水鳥は彼女の真似をして,少年に手をかざし呪文を唱えた.
しかし,何事も起こらなかった.
この世界の住民ではない水鳥は,どれだけ努力しても魔法は使えないのだ.
「ガロード…….」
無力感に苛まれながら,少女はつぶやいた.

コンコン,ドアを遠慮がちにノックする音がする.
少女はそっとドアを開け,少年の部屋から出て行った.
廊下ではラオが難しい顔をして立っていた.
「ミドリ様,陛下からのご命令です…….」
今度はなんだというのだろう? 水鳥は怪訝な顔をした.
「第二王子ガロードと将軍ラオは,第7,第4騎士団を率いてレニベス国境地域に赴けと…….」
少女は悲しげな瞳をラオに向けた.
こうして見ると,年相応の少女にしか見えない.
しかしこの少女には,ガロードが率いる第7騎士団の影の軍師としての顔もあることをラオは知っていた.

「ラオ将軍,今,国境地域はどうなっているのか分かる?」
不安げな少女の眼差しのままで,水鳥はラオに聞いた.
「苦戦しているでしょう.レニベス軍は約2000,指揮官は第三王子のフェノール…… 今は第二王子かもしれませんが.」
少女の瞳に聡明な光が宿る.悲しそうな少女の仮面がはずれ,強い意志を持った顔が現れる.
「砦には何人の兵が残っているの?」
「おそらく,400から500でしょう.」
少女は人差し指の中程を,行儀悪く噛んだ.
これは少女が物事を考えるときのくせらしい.
「しかも,指揮官は不在……か.」
つと顔を上げて,少女はラオをまっすぐに見つめる.
「ねぇ,今,第7騎士団と第4騎士団はこの砦のそばにいるのでしょう?」
ラオはぎくりと顔をこわばらせた.
彼はガロードには内緒で騎士団を呼び寄せていたのだ, 観念したように答える.
「はい,呼び寄せております.命令を出せば,おそらく10日以内には全員集合できます.」
「じゃ,すぐに呼んでちょうだい.」
少女の瞳に強い意志の光が輝く.
「出陣します.」

「しかし,今殿下は動ける状態では……?」
少女の瞳が悲しげに揺らめいた.
「それは,代役を立てましょう.」
そして,少女は決意を込めて言った.
「ラオ将軍,急がないといけないの.多分レニベス軍にはユウリさんがいる.」
ガロードの叔父,ユウリ・ティリア・エミス・エンデ.エンデ王国一の魔術の使い手.
当然王国軍のことにも,王国の地理にも精通している…….

ラオは沈痛な顔で頷いた.
「分かりました.しかし,ミドリ様はここに残ってください.」
「なぜ……?」
ラオは自分の懸念を,少女に聞かせた.
「おそらくレニベス軍を追い払ったら,陛下はきっとわれわれの暗殺に乗り出すでしょう. 戦いに勝ったとたん,背中から切り殺される可能性があります.」
少女は青い顔をラオに向けた.すると青年はやさしく微笑んだ.
「いや,私は大丈夫ですよ.ただ,ミドリ様をお守りするだけの余裕はありません. だからここに残っていてください.」
戦場で戦いつつ,自分以外のものの身まで守れるのは彼の主君ぐらいだ…….

シュリの部屋に水鳥が入ってきたとき,少女の表情は暗く顔色は真っ青であった.
「ミドリ,どうしたの?」
少年は驚いた声を出した.
「シュリ,お願いがあるの…….」
少女は少年の目の高さまでしゃがんで,瞳をしっかりと見つめた.
「あなたみたいな子供に頼むことじゃないのだけど…….」
シュリは無理にでも明るい声を出した.
「ミドリ,俺,こんな外見をしているけどほんとは131歳だぜ!」
魔族と人間とでは時の流れが異なるのだ.
しかし少女は,しっかりとは聞いていない様子だった.
「ガロードの姿になって,戦場に行ってほしいの.」
少年は少女の発言に目をみはった.

「なぜ……?」
「このままではガロードが目覚めたとき,エンデ王国は最悪の場合滅亡しているから…….」
少年は悲しげに瞳を曇らせて,諦めたように笑った.
「ガロードのためなんだね.」
少女は青い顔でシュリを見つめた.
「……ごめんなさい.」

「いいよ.その代わり,俺のお願いも聞いてよ.」
少女がじっと少年を見つめてくる.
「ミドリ,キスして…….」
「え,あ…….」
戸惑う少女を強引に抱き寄せ,唇を奪う.
少女の腕が軽く抵抗して,シュリを悲しい気持ちにさせた.

口付けから開放されると少女の目の前には,紺の髪,紫紺の瞳の少年がたたずんでいた.
「ミドリ…….」
「シュリ…….」
その姿だけで,水鳥は泣きたい気持ちになってしまった.
少年が口を開く,まったく同じ声なのにまったく違う調子でしゃべる.
「ミドリ,今君に心の魔法をかけたよ…….」
どくんと少女の胸は不安に鳴る.
「すべてが終わったら,俺と一緒に異世界へ帰りたくなる魔法を…….」

ガロードそのものとしか思えないシュリの姿を見て,ラオは絶句した.
「魔族とは,このようなことができるのですね……?」
歯切れ悪く,水鳥は答えた.
「うん.シュリは特別,変身能力が高いのよ…….」
「で,ミドリ.どこで誰と戦えばいいの?」
いっそ嬉々として,ガロードの姿をしたシュリが訊ねる.

テーブルに広げた地図を見つめて,少女は言った.
「今から国境の砦に向かっても,多分間に合わないでしょう. だからここでレニベス軍を叩いて欲しいの…….」
少女はレニベス国境から,王都へ向かう道を指し示した.
「作戦は,もう考えてあります.」
そして少女は淡々とむしろ無表情に説明を始めた.
ラオにとっては見慣れた光景だが,シュリは驚いた瞳で少女を見返した.

魔族がガロードの率いる第7騎士団に何度も何度も敗退したのは,ミドリがいたからか…….
シュリは初めて自分たちが負けた原因を知ったように思った.

それからちょうど8日後に,ガロードに化けたシュリとラオに率いられて 第7騎士団と第4騎士団は出立した.

出立に際して,ラオは妻に別れの挨拶をした.
「すまない,しかし…….」
彼の妻は微笑んで,言葉をさえぎった.
「どれだけ大怪我してもいいから,必ず帰ってきてね.私が必ず後遺症もなく 治療してあげるから.」
妻の明るい顔に救われたように,ラオは笑った.
「それから,これらの魔法札も持っていって.あなた,魔法が得意じゃないんだから.」
「大切に使うよ…….」
そして必ず,君のもとへ帰ってくる…….

彼らの横では,偽のガロードと水鳥が何やらごしょごしょと話し合っていた.
「心配しなくても大丈夫だよ,ミドリ.俺が人間になんかにやられるわけがないじゃん!」
「シュリ,お願いだからもっとガロードらしくしてよ. それからユウリさんにだけは気を付けて…….」
ユウリの穏やかな微笑を思い出して,水鳥は言い知れぬ不安を感じた…….
「うん,分かった.それより,終わったら俺と一緒に帰ってくれよな.」
「うん…….」
快活なはずの少女はあいまいに頷いた…….

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