心の瞳


第十章 裏切り


「私の名は,アシュラン,アシュラン・スカイバード.」
金の巻き毛,緑の美しい瞳に涙を湛えながら少女は言った.
「私はバルバロッサ・ヘプタ・ザイオン・エンデだ.」
精悍な若者が頼もしく答えた.
「君を助けに来た…….」

その瞬間,二人は恋に落ちたのかもしれない…….
当時,子供でしかなかったユウリには,二人の胸に何が去来したのか分からない.

しかし……,
初めての恋ほど真剣なものはない…….

エンデ王国王都,今この都はある一つのニュースに沸き返っていた.
バルバロッサ王の正妃ユリシスが,男の御子を産んだのだ.
王は第一王子の誕生に心から喜んだという…….

暗い王城の王の執務室に,一人の背の高い青年がたたずんでいた.
ユウリ・ティリア・エミス・エンデ,エンデの性を持つこの国の王族である.
無動作に部屋のドアが開かれる,この部屋の主が帰ってきたのだ.
「ユウリ!?」
王は青年の存在に気づき,驚いた声を上げた.
「お久しぶりです,兄上.」
いっそ朗らかに微笑み,青年は答えた.
「御子の誕生,おめでとうございます.このユウリ,心からお祝い申し上げます.しかし……,」
ユウリの瞳に危険な光が宿った.
「今日は,陛下に質問があって参上いたしました.」

「何を言っているのだ.お前は城を追放された身だぞ.」
バルバロッサ王はせわしく左右を見回した.しかし,あるべき従者たちの姿が見えない.
「大丈夫ですよ,兄上.この部屋には結界が張ってあります.今は完全に外界から孤立しているのですよ.」
弟の張り付いたような笑みを見つめながら,王は自らが囚われたことを知覚した.
「兄上,教えてください.」
ユウリはいっそ,すがるような顔つきで兄を見つめた.
「アシュランを愛していたのですか?」
王の顔色がみるみるうちに青くなっていった,彼はユウリから視線をそらした.

金の巻き毛,美しい緑の瞳.
彼女の微笑みは何よりも,バルバロッサの復讐に狂い飢えていたはずの心を満たした.
なんの因果か,偶然異世界チキュウからこのエンデ王国に飛ばされてきてしまった少女.

「何を言って……,」
王の苦し紛れの言葉をユウリはさえぎった.
「愛していたのでしょう.だから父上の後宮から彼女を救い出し,妻とした.」
責めているのか,諭しているのかよく分からない口調でユウリは言い募った.
「アシュランだって,あなたを愛していた.でなきゃ,なぜガロードが産まれたのです!?」
「あれは,呪われた息子だ!」
王の叫びは絶叫に近かった.
「アシュランは,……魔物だったのだ.私の心を奪う見目美しい魔物だったのだ!」

ユウリは哀れむように,兄をみやった.
「たとえアシュランが真に魔物であったとしても,私は愛していましたよ.」

彼女の輝くような微笑を,ユウリはただ見つめていた.
それが永遠に失われるとは知らずに…….
「ユウリ,私,赤ちゃんができたの.男の子かしら,女の子かしら?」

「兄上,兄上がアシュランを殺したのですか?」
王はもはや蒼白になり,告白した.
「そうだ,あいつは私のために死んだ.あの美しい白鳥は…….」
瞳からは涙はこぼれない.もう涙は乾いてしまった.
「なら,私はあなたに復讐をします…….兄上,私はレニベス軍をこの国へ引き入れましたよ.そろそろ国境を越える頃でしょう.」
「ユウリ!?」
王は驚いて,弟を見返した.その視線の先で,青年の輪郭があやふやになり,ついに消えてしまった.

ユウリ,バルは愛情を怖がっているだけなの…….
だから心配しないで,すぐに仲直りするわ…….

でも,アシュラン.兄上は君のことを魔物だと疑っているよ.
だから,私と逃げよう.
私の方が君を愛している!

城門では,兵士たちの押し問答が続いていた.
王子を渡せという第6騎士団と渡すまいとする第7騎士団とで,言い争いが続けられていたのだ.
その喧騒を遠くに聞き流しながら,ラオは王都に隠れている彼の副官テディから届いた手紙を読んでいた.
手紙の要点は3つあった.

ガロードに弟が産まれ,ガロードは名目上第二王子になったこと.
ラオの妻アイリッシュに頼まれて,彼女を王都から逃がしたこと.
レニベス王国第一王子フィローンが王位継承権を剥奪されたこと.

フィローンはいたずらに軍を動かし,しかもエンデ軍に対し大敗を喫したので王位継承権を奪われたらしい.
敗因は妖艶な霧の国の美女にうつつを抜かしたためと噂されている…….

妖艶な霧の国の美女……,まだまだあどけなさが残る漆黒の髪の少女の顔を思い浮かべ,ラオはつい噴き出してしまった.
しかしおそらく彼の主君もその愛する少女も,フィローンのことなど思い出したくもあるまい…….

「ラオ将軍.」
一人の兵士から呼びかけられて,ラオは手紙から視線をはずした.
「どうした?」
「それが,ミドリ様が城壁の上に出られて…….」

漆黒の髪と瞳を持つ少女は城壁の上から身を乗り出して,城門の前にいる騎士に声を張り上げていた.
「だから,なぜガロードがレニベス軍を引き入れたって話になるのよ!」
しかし城門の前にいる騎士,第6騎士団団長セイヤも負けてはいられない.
「レニベス軍がいきなりやって来て,すぐに王子もやってくる.そのタイミングが良すぎるのだ!」
「そんなの,単なる偶然でしょう!」
むっとしてセイヤ将軍は言い返した.
「それに,たった100の兵で3000のレニベス軍に勝てるわけがないだろう! この戦闘は王子の自作自演だったのだ! その証拠に圧勝だったと言う割には,向こうの指揮官である王子フィローンを逃がしているじゃないか?」
少女の瞳に閃光が走る.
「そんな状況証拠だけで,ガロードを逮捕するつもりなの?!」
「ジョウキョウ……? 何を言っているのだ?」
「だいたい,ガロードがレニベス軍に通じる動機は何なのよ!?」
するとセイヤ将軍は,少女に向かって冷笑を浴びせた.
「そんなの,武勲を上げ,自分の王位継承権を主張するためだろう!?」
「なっ…….」

少女が再反論を試みようとしたとき,後ろからやってきたラオが少女の肩を叩いた.
「ミドリ様,ここは私どもに任せて,ガロード殿下と一緒に居てください.」
汗だくになりながら声を張り上げていた少女は,まだまだ言い足りなさそうだったがしぶしぶ承諾した.

「ねぇ,ミドリ.これからどうするの?」
空色の髪をした少年シュリと連れ立って砦の廊下を歩きながら,少女を瞳に怒りの炎を燃やしていた.
「ミドリ?」
シュリが顔を覗き込む,すると少女はいきなりしゃべりだした.
「こんなことになるのだったら,あのフィローンの変態王子を捕まえて捕虜にでもしとくんだったわ!」
少年が不思議そうな顔をする.
「フィローンて誰?」
「レニベスの王子で,霧の国グッズコレクターで,変態よ!」
と言って,少女はそっぽむいてしまう.

「ミドリちゃん.」
少女は呼ばれなれない呼び方で呼ばれ,視線を一人の女性に固定する.
「アイリさん.」
見るものに柔らかい印象を与えるラオの妻,アイリッシュである.
しかし,今はなにやら複雑な顔をしていた.
「あの,殿下の様子が何かちょっとおかしくて,見て欲しいのだけど…….」

「ガロード!」
水鳥とシュリが部屋に入ると,そこでは一人の少年が椅子に腰掛けてその紫紺の瞳を宙に舞わせていた.
「ガロード,どうしたの?」
少女が心配そうに覗き込むと,少年の瞳は不可思議な色に揺れていた.
少女は悲しげな表情を一瞬だけ見せると,しかしいきなり少年の目の前で両手をパンと音高く打ちつけた.
「しっかりしなさい! ガロード!」

すると少年は紺の瞳を瞬かせて,少女を驚いたように見つめた.
「ミドリ? ……すまない,少しぼぉっとしていたようだ.」
すると少女は泣き出しそうな瞳で見つめてくる.
「何を考えていたの? 王の命令だから,逮捕されようと思っていたの?」
「ミドリ…….」
少年は困ったように少女を見つめた.
「ねぇ,どうやったら,ガロードの王への洗脳は解けるの?」
少女の側で,シュリが怪訝そうな顔をして少年を見つめる.
ガロードには心の魔法がかけられているのか?

「ミドリ……,」
シュリは少女を呼びかけた.しかし少女は紺の髪の少年をその胸にぎゅっと抱きしめた.
「ガロード,お願い,そんなこと考えないで…….」
「ミドリ.」
抱きしめられて,戸惑った声を少年は出した.
少年の視界の端では,そっとドアを開けて部屋を出てゆくシュリの姿が見えた.

ガロードよりも先にミドリに出会えていたならば……!
シュリはそっとドアを閉め,そう思わざるを得ない.
シュリが出会ったとき,少女はすでにガロードだけを見つめていた.
心配そうなまなざしを,悲しげな王子にしか向けていなかった.
その漆黒の瞳は決してシュリの方を見ない…….

「ガロード…….」
抱きしめ,そして強く抱きしめ返される.
少年は少女を独占するかのように,強く抱きしめる.
「ガロード,父親のことよりもっと私のことを考えてよ.ラオのことでもいい,第7騎士団の皆のことでもいいから.」
あなたのことを大切に思っている人たちのことを忘れないで…….

「ミドリ,二人で逃げよう…….」
少女は瞳を見開いて,少年の紫紺の瞳を見つめた.
「いろいろ迷ったけど,どうやらこの国に私の居場所は無いのだろう…….」
少年が寂しげに笑う.少女はその瞳に,自分と同種の悲しみを見たように思った.
離婚していた両親,異分子でしかない自分自身…….

しかし,ガロードと水鳥ではまったく状況が違う.
少年にはちゃんと居場所があるのだ,少年が王位を求めさえすれば!
第7騎士団の兵たちはもちろん,ラオもラオが率いる第4騎士団も,いまやこの砦の兵たちまでもガロードが王になることを望んでいる.

水鳥は黙って,目を伏せた.
ここに居るのは,王となるべき少年…….
自分が独占してよいのだろうか…….

その夜夜半過ぎ,少女と少年は連れ立って砦を抜け出した.
途中,なんだかあわただしい様子の第6騎士団の陣営を横切る.
「レニベスが攻めてきただと!?」
「はやく,砦に戻らなくては!」
「しかし,王の命令をどうする? 王子を逮捕してないぞ!」
「ばかっ.そんな場合か!」
ガロードと水鳥は驚いた顔を見合わせた.
レニベス側の国境地帯に,レニベス軍が攻めてきたのだ!
そして本来その国境地帯を守るべき第6騎士団は,その半数以上がガロード逮捕のためこんなところにいる.
少年の揺れる紫紺の瞳を見つめて,少女は言った.
「ガロード……,いいよ.行こう,レニベス王国国境へ.」
……もう逃げないってことは,いつか王様になるぞってことよね?
いつかの少女の言葉を思い出し,少年は答えに詰まった.
しかしおもむろに立ち上がり,驚いた顔で少年の存在に気づいた第6騎士団の兵士たちに向かって言った.
「私の名はガロード.国境へ帰るのなら,私も連れて行ってくれ.」
そして,淡く微笑んで,
「逮捕するのなら,縄をつけてもいいから.早く砦に帰ろう.」
と言った.

兵士たちは戸惑い,顔を見合わせた.
彼らは初めて,ガロードの姿を見たのだ.
噂とは違い華奢な印象を与える王子だ,しかしどこか逆らい難い気迫を秘めている…….
一人の兵士が進み出た.
「それでは,殿下.こちらへ……,」

すると,いきなり彼らの間で空間がねじれた.
ねじれた空間から,一人の青年が彼らの間に割って入った.
明るい茶色の髪,穏やかな微笑.
「ユウリ叔父上!?」
彼は悲しげに甥に微笑んだ.
「ガロード,今ごろもっと遠くまで逃げていると思っていたのに…….」
ガロードには叔父の言っていることの意味が分からない.
「こんなに早く,君に軍を率いてこられると困るんだよ.」

「ガロード!」
少年は少女の必死の叫び声を聞いたように思った.
途端に腹部に激痛が走る.足ががくがくと震えて立っていられない.目の前が真っ暗になった…….
少女の目の前で少年は深深と腹部を剣で刺され,そのまま自らが作った血溜の中へ崩れ落ちた.
少女は真っ青な顔で,加害者の青年を見つめた.
「ユウリさん……,」
返り血を浴びたユウリは笑顔で少女に答えた.
「大丈夫だよ,ミドリ.人はこんなぐらいでは死なない.ちょっとガロードには足止めをしてもらうだけだから.」
それだけいうと,ユウリは空に消えていった.

途端に,兵たちが血を流して倒れる少年を囲む.
うす桃色の光は回復魔法の光だ.
それだけを確認すると,少女は意識を手放した.

なぜ,ユウリさん…….

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