心の瞳


第八章 意外な訪問者たち


広大なこの月の砂漠に魔族たちが異世界からやってきてから,もう何年になるのだろうか…….
月の砂漠のエンデ王国領側を哨戒しながら,ラオは考えた.

エンデ王国暦871年4月,未来を知るすべを持たないラオには分からなかったが,戦争は終わりを告げようとしていた.

「ラオ将軍!」
明るい日の光を受けて,少女が駆け寄ってくる.
何にも染まらない漆黒の瞳と髪を持つ少女だ.
「将軍,私たち,今から出発します.」
軽く目を見張り,ラオは答えた.
「今から,行くのか?」
「えぇ,私とガロード,二人だけで行きます.」
将軍の心配を隠し切れない瞳に気づいて,少女は安心させるように笑った.
「大丈夫です.残っているのはもはや戦意の無い魔族たちだけ.私とガロードだけで十分です.」
「しかし,ミドリ,君はその姿のままで行くのかい? 白鳥にならなくて……,」
「じゃ,行ってきます! 後を頼みましたよ.」
少女は,ラオに最後まで言わせずに,走り去った.

まぁ,この砂漠で,ガロード殿下と,彼に守られるミドリを傷つけることが可能なものなどおるまい.
微妙な距離を保ちつつ歩き去ってゆく少年少女の後ろ姿を見やって,ラオはそう自分を納得させた…….

「ラオ将軍,聞いている?」
少女の声にラオは,ふと現実世界に帰ってきた.
思い出の中よりも,少し大人びた少女と少年が彼を見つめていた.
「えぇっと,今後のこと,ですよね?」
少女は心配そうに瞳を曇らせて,ラオを見つめた.
「ごめんなさい,ラオ将軍.昨日の戦闘で疲れているところを叩きおこしちゃって.でも,もしこの城砦から逃げるのなら,早い目がいいと思って…….」
そういう少女も,また少年も眠そうな顔をしていた.ふと少年が口を開いた.
「ミドリ,ラオ.私はもう逃げるのはやめようと思う.」
少女と青年はそろって,少年の顔を見返した.
「どこに逃げても,私は争いの火種になるだろうし,安住の地は無いと思う.それに……,」
少年の紺の,いろいろな色のない混ざったような瞳が揺らめいた.
「今回のように,王国が他国の侵略の危機にあれば,私はきっと帰ってきてしまう,もう逃げるのは無意味だ.」
そうだ,少年にとって祖国が大事なものである以上,逃避行を続けることに意味は無い.

でも,ガロード.
あなたは今,自分の意志でしゃべって,そして行動しているよね.
王が目の前に居ても,それができる?

「では,この城砦に留まるのですね?」
ラオが確認を求めると,少年は頷いた.
「おって,陛下から何がしかの命令が届くでしょうね…….」
ラオが思慮深げに,つぶやいた.
しかし,すぐに瞳を危険な色に光らせて少年に訊ねる.
「殿下,殿下の第7騎士団を呼び寄せましょうか?」
ミドリはぎょっとしてラオをみやった.
彼はガロードを王位につけるために,内乱を起こそうとしているのだ.
しかし,少年は淡々として答えた.
「それでは,サライ諸侯国を刺激することになるだろう.かれらもラオの第4騎士団も呼ばないでくれ.」
「……かしこまりました.」
ラオの危険な瞳を,水鳥はただ見つめていた.

レニベス王国軍が去って幾日か経った後,ようやく砦から離れていた第5騎士団の主力が帰ってきた.
それと合い前後して,王都からの伝令も届いた.
水鳥には文面の文字は読めないが,それにはこう記してあった.
王子ガロードはこの城に留まるべし……と.

「ねぇ,ガロードは,王様になりたいの?」
人気のまったくない砦の裏手で,少女は少年に訊ねた.
「もう逃げないってことは,いつか王様になるぞってことよね? ガロードしか,王には子供が居ないのだし.」
少年の瞳が迷いのさざなみを映した.
「ラオ将軍は内乱を起こしてでも,ガロードを王位につけるつもりよ.ガロードはどうなの? ガロードの意志は?」
「私は……,」
言葉に詰まる少年を見やって,少女はいっそ哀れに感じた.

彼はただ父親の言うとおりにだけ生きてきたのだ.
彼には,自分の欲や意志や将来に対する希望など無いのだ.
むしろ,王都からここまで逃げてきたほうが,不思議なのだ.

「私,ガロードにはエンデ王国を遠く離れて,平凡に生きて欲しい…….」
一生,剣など持たずに…….
少年の手の平が,少女の頬をなでた.
この手が,魔族を狩り,そして今度は人を殺した…….
少年の瞳を間近に感じて,少女は瞳を閉じて口付けを交わす.
遠慮がちなくせに,どこか強引な少年のキスを少女はもう何度も経験していた.
平凡に生きろ,なんてもうガロードには無理に決まっている…….

それでも,ガロードと水鳥は1ヶ月以上を砦の中で平凡に過ごしていた.
そんな彼らのもとへ,ある日珍客が訊ねて来た.

「私の名は,アイリッシュ・ラジカル.夫に会いに来ました.夫は,ラオ・ラジカルはどこです?」
門番の衛兵たちは驚いて顔を見合わせた.
やさしげな顔立ちをした女性と,そのお供らしい少年の二人連れである.
すぐに,知らせを聞いたラオ将軍が駆けて来る.

「アイリ!?」
「ラオ!」
ラオは驚きを隠せない顔で妻をみやった.
妻は涙で瞳を潤ませて,夫を見つめている.
いつも美しく結ってあった髪はぼろぼろで,貴族の娘とは思えない服装である.
ふいに愛しさがこみ上げてきて,ラオは妻を強く抱きしめた.
「アイリ,なぜここへ……?」
と,そのとき,妻の横でたたずむ少年と目があった.
真昼の晴れ渡った空の色の髪,10歳くらいの外見を持つ少年だ.

妻を離し,ラオは妻に訊ねた.
「この子は……?」
すると,少年の方が答えた.
「俺の名前はシュリ.ミドリとガロード,ここにいるんだろ? 会わせてくれよ,ラオ将軍.」
ラオは,驚いて瞳を瞬かせた.

砦の応接間で,ラオは改めて妻に質問した.
「で,この子は何なんだ?」
妻はきょとんとした顔で,答えた.
「シュリよ.王都の郊外で出会って,ここまで私を連れてきてくれたの.」
邪気の無い妻の顔を呆れたように見やってから,ラオは少年に向き直った.
「君は何者なんだ? 軍のものとは思えない.まさか城のものか?」
しかしラオの警戒心を,少年はまったく共有しなかった.
「俺はミドリの友人だよ.あんたの奥さん,ここまで連れてくるの大変だったんだぜ.」

ラオがつい,すまないと謝りそうになったとき,そっと扉が開いて,紺の髪の少年が部屋へ入ってきた.
「ラオ,奥方が来られたと聞いたが……,」
しかし,少年はすぐにアイリッシュの存在に気づき,淡く微笑んで会釈を交わした.
「初めまして…….ガロード・ルミネクス・ザイオン・エンデです.」
アイリッシュは少し驚いた顔をしてから,笑顔で挨拶を返した.
「こちらこそ,初めまして.ガロード殿下.」
噂とは違ってむしろかわいらしい外見を持つ王子だ,とアイリッシュはついつい思ってしまった.

するとその王子は不思議そうな顔を,彼女の側にいる少年に向けている.
「殿下,この子は……,」
すると,今度はいきおいよく扉が開いた.
「ラオ将軍,奥さん来たって本当!?」
漆黒の髪を元気良く弾ませて少女が部屋へ入ってきた.
「ミドリ!」
すると,シュリは少女のもとに駆け寄り,少女の手を強く握った.
「ミドリ,久しぶり.すげー逢いたかったよ.」
少女が不思議そうな顔をする,その表情を見て空色の少年は笑った.
「俺だよ,シュリだよ.分からない?」
すると,少年の外見がみるみるうちに変化してゆく.
空色の髪は長く伸び,肌は薄緑色に輝き,耳はとんがり,八重歯が鋭く目立つようになる.
その姿は,人ではありえない…….

「魔族!?」
ラオは剣を抜き去り,妻を背後にかばった.
しかし水鳥はそんなラオの様子には目もくれずに,少年に笑顔を見せた.
「シュリ! おひさしぶり! どうしてここへ!?」
空色の魔族の少年は答える.
「そりゃ,ミドリに逢いにさ.ミドリ,きれいになったね…….」
ふと真顔になって少年は言った.
「ガロードとうまくいっちゃったの? こりゃ,ほんとに俺,来るのが遅かったみたい.」
少女は真っ赤になってシュリを見つめた,すると少女とシュリの間に,紺色の少年が割って入った.
「シュリ,人間の姿になっていてくれ.ラオ,彼はミドリの友人だ.剣を収めてくれ.」
と,困ったようにラオに笑いかけた.

「だからね,俺たち魔族は,自分たちの世界へ帰りたくても帰れなかったんだよ.」
空色の少年はとくとくとラオに向かって説明をはじめた.
応接間のテーブルに頬杖をついて,いかにも子供っぽい様子だ.
「そりゃ,攻め入って悪かったと思っているよ.だから俺たちは,主戦派の連中を説得して帰ろうとしたんだよ.そしたら,あんたらのとこのバルバロッサ王子とやらがやってきて,異世界へ渡る転移装置を壊しちゃってさ.」
シュリの右隣に腰掛けている,紺色の少年が説明を付け足す.
「いや,父上は転移装置とは知らずに,壊してしまったんだと思う…….」
紫紺の瞳が悲しげに揺らめく…….
「しかもさ,それ以来バルバロッサは王になったとかで,戦場に現れないし.しかも,ガロードみたいに反則技みたいに強いやつが出てくるしで,いいかげん本当に帰りたかったんだよ.」
次は,左隣の,漆黒の瞳の少女が口をはさんだ.
「それで私がガロードに頼んだの,魔族の人たちを異世界に帰してって.異世界へ渡る能力って,ガロードにしか無いって聞いたし.」
ラオはつい,ため息をついてしまった.
「それであなた方は,魔族の主戦派とやらと戦いつつ,戦意の無いものたちを異世界へ帰していたのですね?」
紺色の少年はすまなさそうに,漆黒の少女は悪びれずに頷いた.
「すまない,ラオにまで黙っていて.」
「ごめんね,将軍.王が,魔物は全滅させろなんて命令するから,こっそり帰ってもらっちゃった.」
まさかあの激しい戦場でそんなことを,二人がやっていたとは…….
紫紺の瞳の少年,彼の主君には不可能なことなどないのだろうか……?

「ミドリに逢いたいがために,小型転移装置を作ってまでせっかくここまで来たのに.」
「そうなの?」
「ガロードより俺にしない? 俺の方がいい男だよ.」
「……ごめんね.シュリ.」
「なんだよ,ガロードのこと,根暗で気弱な王子だって言っていたくせに.」
「ちょっと,シュリ! ……ガロード,嘘だからね.」
「…….」
奇妙な三角関係を形成する少年少女たちを見やって,ラオは隣に腰掛けている妻に話し掛けた.
「とりあえず,今の話は内緒にしていてくれ…….」
「うん.特にお父様には,でしょ?」
心得たようにアイリッシュは頷いた.彼女の父はバルバロッサ王の第一の側近アミである.

しみじみとラオは,妻の顔を眺めた.
「そういや,アイリ,どうしてこんなとこまで来たんだ?」
すると今までにこにこと微笑んでいた妻の顔が凍りつき,いきなり椅子から立ち上がって叫ぶ.
「心配だったから,逢いたかったからに決まっているでしょ! この馬鹿!」
まるで火山が爆発したかのような勢いである.
「お父様の屋敷に軟禁されていたのを抜け出したのも,王都から逃げたのも……全部全部,あなたに逢いたかったから…….」
そうして,涙声になってしまう.
「すまない,アイリ.」
ラオは妻の身体をきつく抱きしめた.
「俺も逢いたかったよ…….」
ラオは妻に口付けを交わそうとする,しかしその直前で彼は彼らを見つめる視線に気づいた.

視線が合うと,ガロードはさっと後ろを向き,シュリは遠くを眺め,水鳥は顔を赤くして言いつくろった.
「ご,ごめんなさい…….決して見ていたわけじゃ……,」

「ラオ将軍!」
すると,いきなり応接間の扉が開き,一人の兵士がやってきた.
兵士はガロードに敬礼してから,ラオの側にやってきて何事か彼に耳打ちをした.
「なんだって!?」
ラオの瞳に驚愕の色が映った.
しかし,問うようなガロードの視線に気づき,彼は表情を隠した.
「殿下,後で説明しますので.この部屋から出ないでください.」
それだけ言うと,さっと身を翻して部屋を出て行ってしまう.

サライ諸侯国側,エンデ王国国境地帯にあるこの砦を,今エンデ王国の軍隊が包囲していた.
エンデ王国,第6騎士団.本来,レニベス国境地帯を守護する軍隊である.
城門の前に立って,第6騎士団団長セイヤ将軍は声を張り上げた.
「われわれは王の命令を受けて,祖国にレニベス軍を引き入れた裏切り者の王子ガロードを逮捕しに来た.即刻,王子の身柄を引き渡されよ!」

同じ頃,エンデ王国王都では,ある一つのニュースが駆け巡っていた.
バルバロッサ王第2子,誕生である.

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