心の瞳


第六章 恐怖


「サライ諸侯国.7家族の公爵家によって分割支配されている国です.ミドリ様もご存知のとおり,魔族との攻防に関しては,我が国と同盟を組んでいました.」
いつの間にか,水鳥に対して丁寧な言葉遣いになったラオが説明した.
「比較的,うちとは仲の良い国だが,この国はレニベス王国とも親交があるんだ.」
ガロードが注意を促すように付け足す.
「風向きによって,こっちに味方したりあっちに味方したり.油断のならない国ですよ.軍事力はありませんが,外交手腕は見事なものです.」
「じゃ,外交取引の材料にされないように,気を付けないとね,私たち.」
水鳥がそう,結論づけると,ガロードとラオはぎくっとして顔を見合わせた.
そう,ガロードはサライ諸侯国にとっては,エンデ王国,レニベス王国,どちらの国と交渉するにしても,利用価値がある王子であり戦争の指揮官であった.

エンデ王国,王都を出発してからもう2ヶ月以上が経っていた.
ガロードたちは今,サライ諸侯国,南東部に居る.
商隊長の話によると,もう1ヶ月もかからずに,サライ諸侯国の首都につくらしい.

「やはり,そろそろ,潮時か…….」
ガロードがつぶやくと,ラオがそれを受ける.
「えぇ,首都に近づくにつれ,ミドリ様の心配通りになる可能性は高くなりますし……,」
「それじゃ,どこへ行く? ガロード.」
ガロードはにっこり笑って答えた.
「月の砂漠へ逃げよう.サライ国内をまっすぐ西へ向かえば着くはずだ.」

と,いきなり,ガロードたちを乗せた荷馬車が止まった.
水鳥の感覚でいうと,急ブレーキだ.
なにが不測の事態が起きたらしい.
「何事だ?」
ラオが腰の剣を確かめつつ,馬車の幌の中から出て行った.
「また盗賊かな,ガロード?」
水鳥が不安げな顔で尋ねる.
しかし,ガロードは黙って険しい顔をした.
何百,いや何千の馬蹄の轟が聞こえる.これは……,
「軍隊だ…….」
ガロードは自分の顔から血の気が引いてゆくのが分かった.
まさかサライ諸侯国が攻めてくるとは……!
しかも今,国境地帯には,ほとんどエンデ王国の兵はいない.

「みんな,馬車から降りろ!」
「はやく馬車を道からどかせ!」
商人たちのどなり声が聞こえる.ガロードと水鳥は連れ立って,馬車から降りた.
すぐに血相を変えたラオが飛んでくる.
「大変です.レニベス王国軍です.」
レニベス王国軍が,サライ諸侯国の領地を通って,エンデ王国に向かっているのだ.
ガロードの顔が青ざめるのを,水鳥は青い顔で見守った.
あたりまえだ,自分の祖国が侵略の危機にあるのだから……!

「王族の方が指揮なさっているらしいぞ!」
「はやく,皆膝をつけ! 頭を下げろ! 不敬罪になるぞ!」
商人たちがあわただしく叫ぶ.
近づく騎馬の群れを見ていたラオは,ガロードと水鳥に向き直って言った.
「はやくお二人とも,目立たないようにお座りください.」
レニベスとエンデは長年の敵国同士である.こんなところで,ガロードの身分がばれては,どんな目に合わされるか…….想像するだに寒くなる.

ばからっ,ばからっ.
レニベス王国軍は,大量の土ぼこりをあげて商隊のそばまで走ってきた.
頭を垂れる商人たちを見やって,指揮官らしい一人の男が尋ねた.
「おまえたちはどこへ行く? また,どこの国のものだ?」
声まで青ざめながら,商隊長は答えた.
「わ,私どもは,サライ諸侯国の単なる商人でございます.エンデ王国からの交易の帰りでございまして…….」
男は興味なさげに頷いた.
「ふ〜ん.ここら一帯は戦場になるから,急いで首都まで帰れよ.」
「は,はい.」
商隊長は,何事も無く,軍隊から開放されたと安堵のため息を押し隠した.
「あ,そうだ.もし商品の中に霧の国のものがあれば,つぼでも画でも女でも高く買い取るぞ.」
すると,その指揮官の発言に,かれの後ろに控えていた老人が猛然と反対した.
「フィローン殿下! 今は行軍中ですぞ! 何を考えていらっしゃる!」
「いいじゃないか,りゅう.おまえの母上の,祖国のものなんだぞ.欲しくないか?」
「そうゆう問題ではありません!」

では,彼が王位を争っている王子のうちの一人,フィローンか…….
頭上に,会話を聞きながら,ラオは考えた.
しかし,行軍中に買い物とは…….しかも,はるか東にあるという霧の国のものがそう簡単に手に入るはず……,そこまで考えてラオはぎくりとした.
「ミドリ,逃げなさい!」
ラオは,彼の背後に隠れて,平伏している少女にささやいた.
「え?」
少女は目をぱちぱちさせて,ラオを見やった.

しかし,もう遅い.
こつこつと軍靴の音が近づいてくる.
「おい,女.面を上げよ.」
フィローンはしっかりと水鳥を指して,命令した.
水鳥には,なぜ自分が名指しされるのか,よく分からない.
しかし,ガロードのことがばれたわけではないのだからと,すっと顔を上げた.

金髪碧眼,まるでハリウッドスターのような若者が目の前に立っていた.
これがフィローン王子…….
ガロードとは違い,まるで御伽噺の王子様のようだ.
と,いきなり乱暴に髪を掴まれた!
無遠慮にフィローンは水鳥の顔を覗き込んでくる.
「漆黒の髪,漆黒の瞳.確かに霧の国の少女だな.」
「な,何を言って……,」
水鳥は恐ろしさに膝ががくがくと震えた.と,そのとき,ガロードの呪文を唱える声が聞こえた.
少女の瞳に閃光が光る.
「手を離しなさい!」
フィローンをにらみつけ,一喝する.とたんに,両者の間に風の壁ができた.
「うわっ!」
たまらず,フィローンはその手を離す,そして視線をガロードに移した.

「お前,いい度胸だな…….」
フィローンの瞳に残忍な光が浮かぶ.
少年は黙って,フィローンの視線を受けた.
少年の紫紺の瞳は,静かに水を湛える湖のように澄んでいた.
商隊長は,腰を抜かして,それでもなおその場を離れようとする.
水鳥たちのそばに平伏していた商人たちは,そそくさと離れてゆく.

「お前一人で,この3000の兵と戦うつもりか?」
その嘲笑を受けて,少年の側で平伏していた赤い髪の青年が立ち上がった.
「ひとりではありませんよ.」
すらりと腰の大剣を抜いて答える.
少年も背中に背負った長剣を抜き去り構える.あくまで戦うつもりらしい.

しかし,フィローンはそれをみて,ますます口を歪めた.
「は,ははは.これを見ても,そう言ってられるかな!」
ガロードたちの周りで,兵士たちが抜き身の剣をかざして,商人たちに向けていた.
「何を!」
ラオが叫んだ.
いくら,ガロードとラオといえ,200人近い商人すべてを守れるわけではない.

「……ガロード.私行くね.」
少女はそう言って,無表情に少年の背後から出てきた.
「ははっ.最初からそうすればよかったんだ.」
フィローンがあざけり笑い,水鳥の腕を乱暴に掴み寄せた.
少年はその瞬間,灼熱の炎が身のうちを駆け巡るのを感じた.
「ミドリ! 必ず助けるからな.」
フィローンに引きずられるように,連れて行かれた少女は振り返って,少年を安心させるように笑顔を見せた.
「ガロード,期待して待っているからね!」
兵士たちは,商人たちを解放し,南へと去っていった.

まさか,こんなことでガロードと別れることになろうとは!
行軍の荷馬車に詰め込まれて,水鳥は考えた.
どうやって,ここを抜け出すべきか?
ガロードとラオは必ず助けに来てくれる,しかしなるべく足手まといになりたくはなかった.

そのとき,一人の老人が馬車の中に入ってきた.
「りゅうさん.」
水鳥が名を呼ぶと,老人は少し驚いた顔をした.
あの,フィローンと兵士たちの横暴を,一人止めようとしてくれた老人である.
水鳥はこの人なら助けてくれるかもしれないと,顔と名前を記憶していたのである.

「りゅうさん,私帰りたいんです.どうにかして,逃がしていただけませんか?」
老人の顔はつらそうだった.
「それに私,霧の国なんて知りません.私は,信じられないかもしれないけど,異世界の出身です.」
しかし,水鳥の誤解を解こうとする説明を老人はいまいち理解できなかった.
「申し訳ございません,……えっと……,」
「私の名は,水鳥です.」
「水鳥殿,フィローン殿下はあなたを花嫁に迎えるつもりです.」
「なんですってぇ!」
そんなこと冗談ではない.考えただけで寒気がする.
老人は,そんな少女を,同情を込めて見やった.
「フィローン殿下は,昔から霧の国のものに執着するお方でして.今回水鳥殿のような若い女性を手に入れて,有頂天なのです.」
水鳥は頭がくらくらした.人をなんだと思っているのだろうか,あの王子は!?

「おい,まさか逃がす算段をしているのじゃないだろうな?」
と,そこへ,噂の主がやってきた.
老人は当惑して,水鳥は強い敵意と警戒心を持って,フィローンを見つめた.
「私,あなたと結婚なんてしないわよ.」
フィローンはばかにしたように笑った.
「それにもしも,あなたとの間に子供が産まれても,絶対に堕胎してみせるわ.」
ぱぁーーん.
いきなり頬に衝撃が走り,水鳥は後ろへ吹き飛ばされた.
口の中に鉄の味が広がる,しかし,水鳥は,きっとフィローンをにらみつけた.

フィローンは倒れこんだ水鳥へおおまたに近づいてきた.
水鳥が右手を上げて,張り手をくらわそうとすると,その右手を押さえ込み,左手も押さえ込んでしまった.
そしてそのまま,水鳥を馬車の床の上に押し倒してしまう.
水鳥は全身に悪寒が走った.
怖い……!
「い,やぁーーーー! ガロード,助けて!」
「殿下,おやめください.軍事行動中ですぞ!」
背後から必死になって,りゅうがフィローンを止めようとする.
「お願いでございます.殿下!」

ふっと,水鳥にのしかかっていた戒めがとけた.
水鳥は涙に濡れた頬をさっとぬぐった,しかし体の震えが止まらない.
「ふんっ…….」
フィローンは,肉食獣の視線を水鳥に向けて,馬車から出て行った.
りゅうは,恐ろしさにがたがたと震える少女を見やって,
「着替えを持ってくるよ…….」
そう言って,立ち上がった.すると少女は泣きながらりゅうに訴えた.
「お願い,りゅうさん.私を帰して…….」
りゅうは沈痛な面持ちで答えた.
「約束しよう…….」
彼の瞳には,遠い日の母の姿が映っていた…….

こんなことになるのなら,エンデ王国を脱出したとき,すぐに商隊と別れていればよかった.
ラオは心を後悔でいっぱいにし,ガロードと二人,レニベス王国軍を追いかけていた.
ガロードの紫紺の瞳に,怒りの炎が踊っていた.
少年が自分の感情をここまで表に出すことは珍しい…….
今ごろ,少女はどうなっているのか,ラオはぞっとした.

日が暮れて,レニベス王国軍は,その歩みを止めた.
方々でテントの準備をする兵士たちをみやって,りゅうは少女のいる馬車の中に入った.
「水鳥殿?」
うずくまっていた少女は顔を上げた.瞳が真っ赤に腫れていた.
「来なさい,私と同じテントで休もう.それが一番安全だ.」
少女はこくんと頷き,老人についていった.

不眠不休で走り,ガロードとラオは明け方近くに,レニベス軍に追いついた.
ガロードは平然としていたが,ラオは疲れて座り込んでしまうのを耐えるので精一杯だった.
「ラオ,ミドリはどこにいると思う?」
ラオはあえぎながら答えた.
「おそらく,陣の中心,王のテントの中では……,」
言ってから,失言に気づく.しかし,もう遅い!
「ラオ! サポートを頼む!」
少年はそう言って,駆け出していった!
「殿下っ.」
必死でラオは後を追った.これでは,最悪の事態になってしまう!
ラオはガロードを失うわけにはいかないのだ.

彼にとっての唯一の主君は,明け方,敵の軍の真っ只中に突っ込んでいった.
「我,ガロード・ルミネクス・ザイオン・エンデの名において命じる.大地よ!」
いまだ,少年の特攻に驚いていただけの兵士たちが幾人も,盛り上がった大地に飲み込まれてゆく.
「敵だ!」
「敵が攻めてきたぞ!」
「フィローン殿下に知らせろ!」
兵士たちが,剣を抜き取るひまも無く,少年に切られてゆく.

「なんて強さだ…….」
一人の兵士がつぶやいた.と,そのとき,背後から彼の声に答えるものがあった.
「それはそれは光栄……,」
首に冷たいものを当てられて,兵士は振り向いた.
炎のように燃える髪をした青年が,彼の首に剣を当てていた.
「フィローン王子はどこにいる?」

「フィローン殿下,敵襲です!」
豪奢なテントの幕が勢いよく開かれ,一人の騎士が飛び込んできた.
「サライか,エンデか?」
彼の主君はすでに着替えを済ませ,まだ眠そうな目で聞いてきた.
「いえ,少年が一人と青年が一人です.どうやら昨日の少年らしいのです.」
「ほぉ…….」
フォローンは,いっそ感心して言った.
「まさか,ほんとに助けにくるとは…….で?」
しかし,騎士はきょとんとした顔でフィローンを見返してくる.
「捕まえたのか? 殺したのか?」
「い,いえ.それがとんでもない強さでして.今,一直線にこちらに向かっております.」
……ガロード,期待して待っているからね.
珍しい紺色の瞳と髪の少年…….まさか,彼は…….
「私が行く.案内しろ.」
剣を腰に巻きつけ,フィローンはテントから出て行った.

「われの前に立ちふさがる者どもを焼き払え,炎よ!」
炎が少年の周りに巻き起こる.
ガロードの快進撃は,いまだ衰えを見せなかった.ラオはついてゆくのが精一杯だ.
さすが,魔族をただ一人で殲滅されたお方だ…….
しかし,もうそろそろ体力も魔力も限界のはず.ラオは,注意深く周りを見やった.
いつでも逃げ道は確保しておかなくてはいけない.

そのとき,ラオは視界に目的の人物を発見した.
「フィローン王子!」
ラオが注意を促すまでも無い,ガロードは彼に向かって走っていった.
立ちはだかる兵士たちを,その長剣で切り去り,フィローンに肉薄する.
そのすさまじいばかりの剣技に,驚きつつフィローンは叫んだ.
「魔法なら,私の方が得意だ……風よ!」
風の刃が少年に襲い掛かる!
「うわっ!」
ガロードはついに前のめりに倒れこんだ.
「よし,捕らえろ.」
しかし,フィローンの命令よりも,ラオの方がすばやかった.
ガロードを抱きかかえ,懐から赤い魔法札を取り出す.
「古の契約に従い,我を助けよ.風よ!」
突如,竜巻が巻き起こり,少年と青年の姿を飲み込んだ.
「逃げられたか…….」
風が収まったとき,二人の姿は無かった…….

「被害は,死亡37名,重軽傷365名.うち戦闘不能なものは143名でごさいます.」
その報告を聞いて,フィローンの幕僚たちは青ざめた.たった一人の子供になんたることだ!
ただ一人フィローンだけが,感心したようにつぶやいた.
「見事なものだ…….」
りゅうがせきこんで応える.
「殿下,水鳥殿をお返しください.でないと,きっと何度でもあの少年は攻めてきますぞ!」
別の幕僚も賛同して応える.
「今はまだしも.エンデ王国軍との戦闘中に背後から来られては,たまったものではございません.」

しかし,フィローンは彼らの視線を受け止めて,意外なことを言った.
「なぁ,あの少年,何者だと思う?」
あの只ならぬ剣技,魔法.たった一人で400名近い兵士たちを倒してしまった.
その答えを,フィローンは先ほどの戦闘で見つけた.
「あのガキは,エンデ王国第1王子,ガロードだ.バルバロッサ王の闇の御子. 魔族からの救国の英雄,白鳥の騎士だったかな…….」
戦慄が音も無く,幕僚たちの頭を駆け巡る.
「と,いうわけで.ミドリは返せない.大事な人質だ.」

3日後,サライ諸侯国国境警備隊,第5騎士団の砦居残り組約100名は,国境付近に軍隊の影を見つける.
そして,彼らがあわただしく,応戦の準備を整えている中,2人の奇妙な旅人がやってきた.
彼らの名は,ガロード・ルミネクス・ザイオン・エンデと,ラオ・ラジカル.
救国の英雄として,特に噂に名高い,元第7,第4騎士団団長であった.

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