心の瞳


第四章 目覚め


夕焼けに赤く染まる中,荷馬車が隊を組んで,北に向かっている.
サライ諸侯国交易商人の荷馬車隊であった.
エンデ王国の王都から,サライ諸侯国の首都までの旅路である.

この商隊は1ヶ月前から,奇妙な3人組みを乗せていた.
燃えるような赤い髪,くすんだ緑の瞳,日に焼けた素肌を持つ青年は,名をラオといった.
なかなかの美丈夫だが,それよりも逞しさ,力強さが勝る青年であった.
いかにもエンデ王国の騎士らしい彼が連れているのは,風変わりな容貌を持つ,二人の少年少女だった.

漆黒の瞳と髪をした少女は水鳥といった.
黙って眼を伏せていれば,御しやすく見える少女だが,その瞳には強い意志の光が輝いている.
少女は異国の顔立ちをしているのだが,そのことに関しては,少女はあいまいに頷くのみであった.

そして,なにより商人たちの好奇心を駆り立てるのは,金の瞳,黄金に輝く髪の少年であった.
少年は,どうやら心の病であるらしく,商人たちが何を話し掛けても反応をしない,まったくのでく人形であった.
しかし,だからといって少年をあなどってはいけない.
少年はつい3日前,商隊を襲った盗賊たち20人ばかりをひとりで撃退してしまったのだから…….

「ガロード!」
少女の少年を呼ぶ声に,少年はテントからすぐさま飛び出してきた.
そして,盗賊たちはそれに気づく間もなく,倒れていった.
少年は息を切らしてもいなく,盗賊たちはどうやらみね打ちだったらしく,かすり傷ひとつ負っていなかった.
呆然と周囲を囲む商人たちの中で,少年は瞳に奇妙な虹彩を揺らめかせていた.

エンデ王国.
東に大国レニベス王国,南西に大統一帝国であるカイ帝国,これらの国々に挟まれている絶対君主制の王国である.
そのような事情から,軍備には力をいれざるを得ない.
しかし,今王国軍は,二つに分裂をしようとしていた…….
すなわち,王子ガロードを指示する者たちと,王バルバロッサに忠誠を誓う者たちとで.

「信じられん…….」
自らの執務室で,兵士からの報告書を読んでいた,大臣アミはうなった.
王都にいる騎士,兵士たちの半分以上が,城を追放されたガロードに付いていったのだ.
その数は,2576名,城に残った兵士の数の1850名を十分上回るものだった.
ガロード,ラオが指揮を取っていた第7,第4騎士団はともかく,同じく魔族討伐にあたっていた第3騎士団,王都防衛の第1,第2騎士団からも脱走兵が出たのだ.
もしもガロードが,いやラオでもいい,彼らを引き連れて王都に戻ってきたら…….
アミは,いまさらながらにガロードを軽く見ていた己を悔いた.
急いで,国境警備についている,第5,第6騎士団を呼び寄せなくては,足音高く,アミは王の謁見室へと向かった.

「白鳥の騎士一行はまだ見つからんのか?」
「申し訳ございません.チワワニワに向かう街道にはそれらしい集団はおらず,……今,王国一帯に捜査の網を広げている最中でございます.」
兵士たちは,ただただ王に平伏して,実りの無かった捜査結果を報告した.
「ばかもの! ガロードは,いや白鳥の騎士は,命令を無視して逃げたのだぞ! チワワニアに向かうはずないではないか!」
「申し訳ございません…….」
兵士たちは,大理石の床に頭を擦りつけんばかりに伏した.
ガロードは,白鳥のままのミドリとラオと,第7,第4騎士団約1600名を連れて,移動しているはずだ…….
目立つ集団であることは間違いないのだが,どこへ消えてしまったのか?
命令違反の逆賊として,ガロードを討ち,そしてラオなどガロードに忠誠を誓う輩どもも葬り去る.
ただそれだけのことなのに……!
王は顔をゆがめて歯噛みした.

さぁぁぁぁ,さぁぁぁぁ.
雨の音,いや川の水の流れる音だ.
エンデ王国からサライ諸侯国へと流れてゆく川の流れ.その耳慣れぬ音で水鳥は目を覚ました.
空は薄暗く,まだ太陽はその姿を見せていなかった.
目覚めてすぐに,隣のテントに向かう.それが水鳥の日課だった.

「ガロード,ガロード.」
心を閉ざしたままの少年は,水鳥の声に瞳を開いたが,ただそれだけだった.
つい3日前の,あの盗賊騒ぎのときには,水鳥の声に応えてくれたのに…….
どうやったら,少年は自我を取り戻すのだろうか?
ふと思いついて,水鳥は少年の顔を凝視した.
恥ずかしいけれど,やってみようかしら……?

早朝,一人の男が商隊を訪ねてきた.
明るい茶色の髪を女性のように結わえた優男で,男の云う人物の特徴があの奇妙な3人組みに当てはまっていたので,商隊長は好奇心を抑えつつ男を案内した.
この気品,この物腰,間違いなく貴族に違いない,商隊長はそう考えたが,まさか王族とまでは考えつかなかった.

「あぁ,あのテントに居るのですね.」
「えぇ,そうです.なんとも奇妙な3人でして…….兄弟というには歳が離れすぎているし,親子にしては近すぎる.なにやら,わけ有りっぽい…….」
ユウリは穏やかに微笑んで,商隊長の熱弁をさえぎった.
「案内をありがとう.ここまででいいですよ.」

ユウリがガロードのテントまで近づくと,その側で守りをしていたらしい男が立ち上がった.
元第4騎士団団長,将軍ラオである.
「誰です? ここの商隊のものではありませんね.」
穏やかな口調だったが,苛烈な瞳がそれを裏切っていた.ユウリはくすりと微笑んで答えた.
「私は……,」
「ユウリさん!?」
ガロードのテントから,顔を出して,水鳥がラオの質問に答えた.
「大丈夫よ,ラオ将軍.この人はガロードの味方なの!」
朝日を受けて,水鳥の漆黒の瞳がきらきらと輝いた.

現王バルバロッサは先王の庶子であった.
6年前,魔族との戦いの功績が認められ王位を継いだとき,彼は自分が庶子であるという引け目からか,他の兄弟・姉妹を全員殺したという.
その唯一の例外が母親違いの弟のユウリである.
彼のあまりの人望に,さすがの王も殺すことはできなかったのだ.
しかし,本当は彼こそを抹殺したかったのだと噂される,それがこの王弟である.

一介の兵士であったラオが知っているのは,その噂のみだ.
「……王弟,殿下…….」
さすがのラオも動けない.そんなラオに構わず,水鳥はユウリをテントの中へと招きいれた.

「ガロードはずっとこの状態なの.」
ユウリはガロードをちらと見つめた後,水鳥に視線を転じた.
「ミドリは,自分で封印の指輪をはずしたんだね?」
「はい.今思うと,意外にあっけなく取れちゃった.」
ユウリはくすりと笑って,とんでもないことを口にした.
「そりゃそうさ.これは私が王の執務室に忍び込んで,事前に取り替えた偽物だからね.」
「なっ…….」
「なんだって!」
遅ればせながらテントに入ってきたラオは叫んだ.

「ユウリ殿下,それは本当なのですか? いや,その前にあなたは城を追放され,辺境の城に幽閉されていると聞きましたが…….」
「あぁ,ちゃんと監視を誤魔化すために,影法師を置いてからここにきたよ.」
ラオは二の句がうまく次げない…….
「いや,でも,しかし,そんな簡単に抜け出せるとは,しかも陛下の部屋へ……,そんな,馬鹿な…….」
混乱したラオに変わって,今度は水鳥が質問を発した.
「ユウリさん,この指輪って偽物なの?」

ユウリは穏やかな微笑を少女に向けた.
「そうだよ,ミドリ.王に対抗する意志さえあれば,簡単に封印は解ける.」
王に対抗する……その言葉を聞いた瞬間,少女の瞳が暗く曇った.
その瞳を,ユウリとラオは心配そうに,見つめた.
しかし,次の瞬間,少女の瞳に閃光が走った.
つかつかと大またで,ねどこの上に座り込んでいる少年の元へゆく.
ぱぁーん!
いっそすがすがしいほどの音を立てて,少女は少年の頬をぶった.
「なっ…….」
ラオは今見た光景が信じられない,それどころか少女は,少年の胸倉をつかんで,乱暴に揺さぶった.
「起きなさい,ガロード!」
ユウリでさえ,眼を丸くして少女を見つめている.
「父親の言いなりにばかりなっているな! おきろ,ガロード!」
ラオはもはや完璧に狼狽していた.
「ミ,ミドリ,殿下を離しなさい!」
ミドリはガロード殿下に対し,遠慮が無いと思っていたが,まさかこれほどとは!

「ミドリ……?」
そのとき,少年の口から当惑した声が流れた.
「ガロード!?」
「殿下!?」
水鳥に胸倉を掴まれたまま,ガロードは叩かれた頬に手をやり,瞳をぱちぱちと見開かせた.
「ラオ,叔父上も……ここはいったい……ど,こ…….」
そのまま,瞳を閉じて意識を手放す.ふと見ると,ガロードの指にはまっていた金の指輪は割れていた.
しかし,少年はいまだ金の姿のままだった…….

「ユウリさん.これは……?」
少女は不安そうに見上げてくる.先ほどとは打って変わって,弱気な様子だ.
「……ショック療法が効くのかもしれないね,ガロードには.」
ユウリはあいまいに笑って見せた.水鳥のめちゃくちゃなやり方にびっくりするやら,おかしいやら…….
「や,やめてくださいよ.王弟殿下まで,そんなこと!」
ラオが慌てて,ガロードを背中にかばう.
「もう,やらないわよ.」
さすがに水鳥は赤面して答えた.すると,ユウリはくすくすと笑って,
「どうだろう,ミドリ.いろいろなショックを与えてみては?」
少女の瞳がいたずらっぽく光る.
「火であぶったり,逆さに吊るしてみたり?」
「ミドリ! なんてことをいうんだ?!」
「冗談だってば,ラオ将軍.」
と言って,少女は明るく笑う.ラオはひさびさに少女の笑い声を聞いたような気がした.

「それでは,私は退出するよ.」
ユウリは立ち上がって,テントから出てゆく.
「えっ,もう…….」
「あぁ,今,王はだいぶぴりぴりしているからね.監視の目も厳しいのさ.」
水鳥は改めてユウリと向き合い,心からの礼を言った.
「来てくれてありがとう.ユウリさん.」
ユウリは軽く微笑んで答えた.
「こちらこそ.ガロードを頼んだよ.」
そしてラオに視線を移し,
「それから,ラオ将軍.少し話があるのだが,いいかな?」
「は.それでは,隣の私のテントへ.」

ユウリとラオが出てゆき,テントの中には水鳥とガロードが残された.
少女は,まじまじと少年の顔を見つめた.
出会ったころに比べたら,少女の欲目かもしれないが,だいぶ男らしい顔つきになっている.
ショック療法……これもショックに違いない…….
少女はそっと自身の唇を,少年の唇に近づけた.
と,いきなり背中を抱かれ,唇が重なった.
「何っ? ガロード?」
水鳥は驚いて,少年の顔を見つめた.
紺の瞳が水鳥をまっすぐに見つめ,そしてすぐに耳たぶまで赤くして,少年はうつむいた.
すると水鳥は強引にガロードの顔を持ち上げた.
「こっちを向きなさい!」
ばちっと眼があうと,今度は水鳥が照れる番だった.すると少年は微笑んで,
「初めて会ったときも,そう言われた…….」
水鳥はきょとんとした.
「そんなこと言ったかしら…….」
「あぁ,言ったさ.」
そうして,二人いつまでも,くすくすと笑いあっていた.

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