心の瞳


第二章 旅立ち


薄暗い部屋に,床の大理石が白色に輝いている.
「さぁ,ミドリ…….」
少年の遠慮がちな瞳に,少女は頷いた.
「手を…….」
差し伸べられた少年の手を取って,少女は再び異世界へと足を踏み入れた.

「ガロード,迎えに来てくれてありがとう.」
しかし,少年は少女の涙に濡れた瞳から,目をそらした.
澄んだ群青の瞳と髪……夕闇の純粋さを持った少女の大切な少年.
「ガロード?」
「すまない,ミドリ.これは王の命令なんだ.」
少女は悲しげに少年を見つめた.
「……いいよ,ガロード.二人で逝こう,そうしたら,あなたの王の呪縛も解けるかもしれないし…….」
少年の紫紺の瞳が揺れる……彼は王の意志には決して逆らえない.
少女を異世界へ帰すことができたのも,それに対する王の命令を受けてなかったからに過ぎない.

エンデ王国.
水鳥にとっては,まったくの異世界だ.
絶対的な王制の敷かれた国.人々は王に盲従する.
そして,水鳥にはまったく分からないことだが,王に近い人間ほど王の意志に逆らえないのだ.
平民よりは貴族,貴族よりは王族,王族の中ではより王に血のつながりが近いものが,王に従うのだ.

これは一種の魔法なのだろうか? 水鳥には,ガロードの王に対する臣従が理解できない.
ガロードはただ,父親に戦争の道具にされているだけではないか.
なぜ,ガロードは王に逆らえないのだろうか?

王の謁見の間にはすでに多くの貴族たちが居た.
王に呼び出された,ガロードと水鳥を待っていたのだ.
ガロードの味方になってくれそうなラオ将軍など騎士団の人々の姿は,もちろん見えない…….
謁見室の侍従が,ガロードたちの来場を告げると,いっせいに視線がガロードと水鳥を好意とはかけ離れた視線で射た.

「我が唯一にして絶対の御子……王子ガロードよ.」
その呼びかけに,本人以上に貴族たちは驚いた.
王がこの呪われた闇の御子に対して,このような呼びかけをするとは!
確かに王には,ガロード以外に子供はいない,しかし,まさかガロードが王位を継ぐことになるのだろうか?
「ガロードよ,いや,白鳥の騎士よ.そなたの魔族との戦い,まことに立派であった.」
王の,内容とはまったく異なる口調,表情に水鳥はぞっとした.
いったい,何を考えているのか?
と,その瞬間,水鳥は王と視線がかちあった.
「あ,ああ……,」
水鳥の体は自身の意思を無視して震えだす.
「ああっ,ああああああああ!」
水鳥は激しく身悶えた.絶叫がほとばしる.
「ミドリ!」
少年が叫んだ.
水鳥の体の内から,突き刺すような白い光が漏れている.
「動くな,ガロード.」
その王の一言で,少年はまるで金縛りにあったかのように,立ちすくんだ.
いまや,少女は白い光に包まれ,その輪郭さえ不確かになっている.
いや,その白い光は,大きな鳥の輪郭を持っていた.

人間の背丈の半分ほどもある,大きな白い鳥.
軽く羽を羽ばたかせると,純白の羽が,謁見の間を幻のように舞う.
その羽の下で,少年は変化を遂げる……紺色だった髪は金に輝き,同じく紺色だった瞳は,無機質なガラスのような琥珀へと.
それは,誰もが息をのむ美しさだった.

「白鳥の騎士よ,そなたはこの姿で多くの武勲を立てた.」
貴族たちが感嘆のため息をつく.うわさには聞いていたが,これほどの美しさだったとは!
戦場に出ない彼らは知らなかったのだ.
「騎士よ,そなたに命ずる.チワワニア地方に残っている魔族の残党を掃討せよ.今すぐ,南へと赴け!」
「……はい.」
ガロードは感情の無い乾いた声で応えた.
「また,そなたにとって信頼に足る騎士及び,兵をつれてゆくことを許可する.」
貴族たちに戸惑いの声が漏れた.いったい王は何を意図しているのか,貴族たちにはわかりかねたのである.

「白鳥の騎士よ,そなたはこの瞬間から,我が王子にあらず.魔族を一匹残らず退治するまで,帰参は許さん!」
なんと,王はこのようなやり方で,ガロードの王位継承権を奪ったのだった.
白鳥がまるで抗議するかのように,羽ばたく.
王はそれを薄い笑いを持って見下ろした.
「その姿が一生のものとなるように,封印をやろう…….」

この光景をラオは,副官のテディと見ていた.
彼らに謁見の間に入る資格は無い,もちろん隠れて見ていたのだ.
「なんということだ…….」
ラオには王の目論見がみえすいているほどだった.
城から追放し,そして誰の眼も届かないところで,王子とその忠臣を,魔族の仕業にみせかけて暗殺するつもりなのだろう…….
チワワニア地方に,魔族など残っているものか!

「テディ,今すぐ,私の第4騎士団と殿下の第7騎士団の兵を,城から逃がしてくれ.」
こげ茶のくせっ毛を持つ彼の副官は,驚きに目を見張り,しかしすぐに答えた.
「かしこまりました.しかし,将軍はどうなさるのですか?」
すると,ラオはかるく微笑んで
「私はついて行く,私の忠誠はあの方のものだからな.」
「…….」
「なぁに,心配するな.必ず帰ってくる.その時には兵力が必要だから,しっかり頼んだぞ.」
心配顔の副官に,ラオは力強く応えた.

周りの景色が遠い…….
自分は確かにここに居るのに,ここではないどこかに居るようだ.
ガロードは茫洋とした視線をさまよわせた.
ミドリがそばに居る,いつも戦場でそうであったように,ガロードをその白い大きな翼で守護している.
「…….」
「……か.」
「ガロード殿下!」
いきなり視界いっぱいに男の顔が飛び込んできた.
日に焼けた精悍な顔だち,ラオ将軍である.
「殿下,お願いです.いつものようにもとのお姿に戻ってください.」
ラオのその必死な声は,ガロードには届かない.
なにもかも,壁一枚隔てた向こうの世界のようだった.

ラオは,謁見室から出てきたガロードを引きずるように,城壁まで連れてきたのだった.
しかし,少年の意識は戻らない.少女も白鳥になったままだった.
その理由は分かっている,彼らの指にある封印の指輪だ.
「どうにかして,これを取り外さないと…….」
いや,それよりも城から脱出するほうが先か?
もうすでに,ガロード暗殺の任を受けた者たちが,牙を研いで待っているかもしれない.
しかし,肝心のガロードがこれでは,唯々諾々と殺されるのみではないか!

「ミドリ,どうすればいい? 応えてくれ…….」
絶望的な気持ちで,ラオがつぶやいたとき,白鳥が応えるように羽を羽ばたかせた.
「……ラ,オ……将軍…….」
「ミドリ!?」

異世界,チキュウからの客人ほど役に立つものは無い.
初めて,水鳥が王に会ったときに,王はそう笑った.
そして,あの体が裂けるような苦痛…….それが止むと,水鳥はすっかり違う生物に変容していた.
そして,命じられるままに,戦場に赴いた.
傷ついた兵士たちをその大きな翼で守り,白鳥になった水鳥がそばにいることでトランス状態になってしまうガロードを守護した.
何度か,戦場に赴くうちに,ガロードはすっかり兵士から,白鳥の騎士と呼ばれるようになったのだ…….

ガロード.
私には,王が何を考えているのかわからない.
でも,あなたを守りたいの.
あの王の忌まわしい呪縛から!

ラオが見守る中で,白鳥の足についていた金の指輪が音を立てて,ひび割れた!
「ミドリ! 私も手伝う!」
ラオは必死になって,指輪を割ろうと試みた.
「……ガ,ロード…….」

私はなんのために,ここに戻ってきたの?
ガロードが白鳥の騎士になるためには,私が必要だった.
だから,王は水鳥を呼び戻したのだ!
ガロードを城から追い出すために!

パリィ…… ン
軽い音を立てて,ついに指輪は砕け散った.
白く輝く白鳥は,光の繭となり,そして少女の形をとった.
「ラオ将軍……ありがとう.」
そうして笑顔を彼に向ける.
「ミドリ…….」
漆黒の髪,漆黒の瞳を持つ少女は,しかし,すぐにその微笑みを隠した.
「ガロード…….」
少女の視線の先で,少年は金の姿のまま,視線を宙にさまよわせていた…….

薄暗い王の執務室で,一人の青年がたたずんでいる…….
明るい茶色の髪を,女性のように結った青年である.
彼は,自分の仕掛けがうまくいったことを確認すると,すっと姿を消した.

夜明け前,城門から3人の旅人が出発した.
顔を隠すかのようにフードを目深にかぶった3人組みだったと,見送った衛兵は後に語った.

また,その日は騎士団兵士の大量脱走が判明した日でもあった…….

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