心の瞳


第一章 異国の王子


「この世界は,産業革命前のヨーロッパってところかな.」
つい,さっきのことだ,少女が言った.
この窓から一緒に,雨に濡れる城下の町並みを眺めて.
少年のそばにいた…….

少年はたいてい城の人気の無い場所にいる.
人のあまり通らない通路から窓の外を眺めていたり,もう利用されなくなった見張り台から空を眺めていたり.
しかも,少年お気に入りの場所と分かると,城の者は誰でもその場所を避けるものだから,ますます人気の無い場所になってしまうのだ.

「あの,殿下……ガロード殿下…….」
少年は窓から,陰鬱な曇った空を眺めていた.
「なんだ?」
少年は振り返る.
紫紺の瞳,紺色の髪,珍しい色あわせをした,整った顔の少年である.
ただそれだけの動作で,城の若いメイドはびくついた.
「あの,父王陛下がお呼びです.」
すると,少年はその深くくすんだ紺色の眼に,痛いほどの覚悟を浮かばせた.
しかし,その意味はメイドには分からない.
「分かった.」
メイドはそれを聞くと,無礼にならない程度の駆け足で少年のもとから去った.

この城で,少年のことを忌避しない人間など居ない.
唯一の例外は,彼がつい先ほど,故郷へ帰したあの少女のみだ.
王が,魔物との戦争に利用するため,異世界チキュウから呼び寄せた少女.
そして,彼とともに和戦調停の名の元に血祭りにあげられるはずだった.

……ミドリ.
もうすでに逢いたくなっている.
これほどまでに…….

「ガロード・ルミネクス・ザイオン・エンデ,御前に参りました.」
豪奢な謁見室で,玉座に座る父親に向かってガロードは頭をたれ,ひざをついた.
「ガロードよ……,」
父王の声を聞いただけで,少年はいつも肝が冷える思いがする.
物心がつく前からだ,王の前に出るだけで,こんなにも何もかもが恐ろしい…….
「おまえに命令する.異世界の少女を今すぐに連れ戻せ.」
なぜ? 和平のための条件は,少年一人の首でよくなったはずではなかったのか?
彼は彼たった一人の死刑執行を聞きに,この父王の前に来たというのに!

「父上,なぜ……?」
必死の思いで,少年は父に問うた.
少年の視界は,厚い霧がかかったように,何も見通せない.
「無礼だぞ,ガロード.私に口答えするなど.」
「申し訳ござ……,」
「さっさと退出せよ.」
「……御前を失礼致します.」
さりゆく少年の背中に,父は侮蔑の視線を投げた.
「ふん…….ばけものの子供が.」

暗澹たる気持ちで,少年は城の地下へ,地下へと降りた.
少女を呼び戻すための儀式をするために,城の地下の魔方陣部屋に行くのだ.
異世界への扉を開くことができるのは,この世界ではガロードしかいない.
少年はかなり珍しい異世界へ渡る能力を持っているのだ.
ならば,少年がただ父王の命令を拒めばよいだけなのだが,少年にはそれができなかった.

一人もくもくと薄暗い階段を下る少年の背後に,突如虹色に揺らめく物体が出現した.
その物体は,徐々に人の形になっていく…….
「ガロード!」
突然,少年は後ろから呼びかけられた.
「ユウリ叔父上!?」
少年が振り返った先には,明るい茶色の髪を,女性のように結わえた長身の男性がいた.
ユウリ・ティリア・エミス・エンデ,父王バルバロッサの弟であり,ガロードの叔父である青年だ.
本来,王国辺境の地に幽閉されているはずのこの叔父は,たびたびこうやって少年の前に現れる.
しかし,さすがに王城の中では,初めてだった.
「叔父上,どうやって城の中に!?」
「ガロード,私はこのエンデ王国一番の魔術師だよ.私に城の警備や結界など,効くわけがないじゃないか.」
おだやかな叔父の微笑をみて,少年は少しだけ微笑んだ.

「王よ,王子を処刑なさらなくてよろしいのですか?」
遠慮がちに話し掛けてくる側近のアミ大臣を,バルバロッサ王は不機嫌そうににらんだ.
「しかたなかろう,兵士どもがうるさいのだ…….あんな化け物を,白鳥の騎士などと崇めるとは,なんという無知,蒙昧さだ…….」
「そのような民衆など無視すればよろしいではありませんか?」
「そうはいかん,その民衆の先頭に立っているのは,あのラオ将軍だ.」
「第4騎士団団長ラオ……騎士などとおこがましい,農民め.本来王に属すべき騎士団が陛下に逆らうとは!」
いまいましげに,アミはつぶやいた.
しかし,その農民に権力を与えたのは彼なのだ.将軍ラオは,アミの娘婿でもあった.

この王国は今,軍と王に分裂しているようなものだ.
日に焼けた素肌,堂々とした体躯,若く精悍で野心的な瞳を持つ青年は,そう考えている.
そしてその状況を利用しようとも…….
「ラオ将軍!」
城壁の上でたたずむラオに,兵士たちが駆け寄ってくる.
「将軍,ガロード殿下の処刑がなくなったと聞いたのですが!?」
その弾む息に,自分たちの絶対的な指揮官を失わずにすむのかもしれないという期待を込めて,兵士たちは聞いた.
「あぁ,とりあえずは,無しになったようだ.……しかし……,」
「やったーーー!」
「ばんざ〜い!」
兵士たちのあまりの熱狂に,ラオは口を閉ざした.中には涙ぐむものまでいる.
たった16歳の少年に,彼らは心からの忠誠を誓い,少年を神のように崇めてさえいるのだ.
「じゃ,殿下は第7騎士団に帰って来られるのですね?」
「いや,魔族との抗争も終わったし,それはどうか分からない.」
「じゃ,殿下はついに王位をおつきになるのですね?」
その素朴な質問にラオはぎょっとした.
それはあまりにも話が飛躍しすぎる!
すると別の兵士が応える.
「そりゃそうさ.なんせ魔族を一人で撃退なさった方だぞ!」
「そうだそうだ,バルバロッサ王でさえできなかったことを成された騎士だぞ!」
ラオは今度は真っ青になって叫んだ.
「ばか! お前達,陛下に対し不敬だぞ!」
その言葉に打たれたように,兵士たちは静まった.
しかし,ラオには分かった,その静けさが表面上のものでしかないことを…….

「聞いたよ,処刑が中止になった良かった.」
「ユウリ叔父上,しかし…….」
暗い紺の瞳と髪をした少年は訴えた.兵士たちが崇拝してやまない異相の少年である.
「ミドリのことだろう? 大丈夫だ,ガロード.ミドリだけが処刑ということは無いさ,きっと.」
叔父の思慮深い瞳に,しかしまだ不安そうな少年の顔が映る.
それならば,なぜミドリを呼び戻せと言うのだろうか…….
「ガロード,ひとまず心配はおいといて,ミドリを迎えに行きなさい.逢いたいだろう……?」
図星を突かれたように,少年は口をつぐんだ.
「はやく,王の気の変わらないうちに行きなさい.さぁ,はやく.」
強引に背中を押して,少年を階段の下へと進ませる.
少年は感情の整理のつかないまま,叔父に促されるままに階段を下りていった.

魔方陣室……この部屋で少女と別れてから,まだ1刻(約2時間)も経っていなかった.
その薄暗い部屋の中央には,異世界へ渡るための魔方陣が描いてある.
これは過去に叔父が描いたものだった.
「じゃ,ガロード.ここでお別れだ.しっかりやるんだよ.」
「叔父上…….」
ガロードはその濃紺に揺らめく瞳を,叔父に向けた.
「……ありがとうございます.」
かすかに笑って,彼の血縁は姿を消した.
……そう,はやくミドリを取り戻しなさい.君は王には逆らえないようにできているのだから…….

そうして,少年と少女は再び出会う.
もう離れないという決意を胸に秘めて…….

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