キングダム!01


一人暮らしをしている女の人で,自分の下着をベランダに,つまり外から見えるように干す人は居ないと思う.
もしも居るとしても,そうゆう人は少ないと思う.

私,坂下規子(さかした のりこ)は,もちろん多数派.
洗濯物は室内干し,ショーツだの靴下だのを洗濯バサミで止めていると,視界の端がぴかっぴかって光った.
……なんだろう?
狭い室内に,目を向ける.

……何も無い.
大学生協で借りたこの部屋は,多少値は張るが信頼できるアパートのはず.
私は気を取り直して,靴下をちゃんと2個セットで全部干した.
時計を見ると,そろそろ2現目の授業が始まる時間.
やばいな,走らないと間に合わないのかもしれない.

私はベッドの上に置いてあるバッグを掴んで,玄関へ出た.
シューズの靴紐が解けかけているけれど,かまわずに履いてドアを開いて走る.
アパートの薄暗い廊下を駆けて,階段を下りようとしたところ,

――ぴんっ……!

あ,しまった,……と思うまでも無い.
右足の靴紐を左足で踏んだ私は,

「きゃぁああああ!?」

階段下へとまっさかさま!

……ばんざーい! ばんざーい!
……ばんざーい! ばんざーい!

うぅ,痛い…….

……ばんざーい! ばんざーい!
……ばんざーい! ばんざーい!

なんで,ばんざい?
何がそんなに,おめでたいの?

「……え?」
起き上がった私の視界に映るものは,
「召喚魔法は,大成功ですにゃ!」
私を囲んで万歳三唱をする,猫たち.
「しかも,このような妙齢の女性を呼べるとは!」
猫たちは2本足で立っていて,なんとまぁ,燕尾服まで着ている.
「これで,お世継ぎ問題も解決ですにゃ!」
私はとりあえず,立ち上がった.

猫たちは,私の周りを大喜びで走り回っている.
「我らが国王陛下とお似合いですにゃ!」
背の高さは私の胸の辺り,……でも猫だ.
……どこからどう見ても,猫だ.
すると,ワンワン! と犬の鳴き声が聞こえてきた.

扉が開いて,今度は犬が飛び込んでくる.
「大臣,大変です! 国王陛下にばれてしまいました!」
犬は,詰襟の軍服をきっちりと着込んでいた.
「にゃ,にゃんですとぉ〜〜〜〜!?」
私そっちのけで,にゃんこ大臣たちはにゃーにゃー大騒ぎ.
「こ,こうなったら,すぐにお目通りを願うにゃん.」
「そうですにゃ,なんせこのお方は国王陛下の”真実を映す鏡”で”心を見る瞳”ですにゃ!」

私は,あたりを見回してみた.
……ここ,どこ?
どこかの大広間っぽいけれど…….
すると,ふさふさのしっぽを揺らしてにゃんこ大臣が話しかけてきた.
「”鏡”殿,お名前を教えていただけませんか?」
……誰か,私に猫じゃらしをプリーズ.
「マイ ネーム イズ ノリコ サカシータ.」
にゃんこは,不思議そうに耳をぴくぴくっと動かす.
どうやら,英語圏では無いらしい.
「坂下規子です.」
「分かりました! ノリコ殿!」
「良いお名前ですにゃ,陛下の元へ向かうですにゃ!」
ぷにぷにとした肉球が,私の背を押す.
人語,――日本語だと思われる,をしゃべる猫と犬に囲まれて,私は広間から連れ出された.

何が何だか,分からない.
言われるがままに廊下をついてゆく私は,もしかしてとろいのだろうか……?
高級ホテルのような内装の廊下を,重い教科書や六法の入ったバッグを持って歩く私は,結構間抜けな人間だろうか.

いや,多分,違う.
4月からは一人暮らしをしているし,バイトだってしている.
私はしっかり者だ!
……あ,でも,アパートの階段から転げ落ちたんだっけ?

廊下の向こうを,メイド服を着たうさぎさんたちが急がしそうに働きまわっている.
この調子だと,庭師はもぐらさんに違いにゃい,……違いない.
「ささ,ノリコ殿,ここですにゃ.」
ある扉の前まで来ると,にゃんこ大臣とわんこ将軍が扉を開けるように私を促す.
動物王国の王様は,やはりライオンなのだろうか.
「お,お邪魔しま〜す…….」
扉を開けると,そこには玉座が……,いや,普通に書斎だった.

「陛下,この方が陛下の”真実”ですにゃ!」
呼ばれて振り返った少年は,ライオンではなく人間だった.
まっすぐな黒髪の,おかっぱの男の子.
お目目はぱっちり,ほっぺはふっくら.
歳の頃はせいぜい6から7歳程度の,……正真正銘のお子様.
「……お,王様?」
本当に……?
すると王様は,口の端をゆがめてしゃべる.
「お主ら,いったい何をやっておる?」
王様は,王様らしく偉そうだ,……子供だけど.
「国務をさぼるな! 休憩時間は1分43秒前には終わっているぞ!」
ひぃぃぃと,にゃんことわんこは震え上がった.
……どうでもいいけど,小姑みたいに細かい王様だね.
「すぐに持ち場に帰れ!」
「も,申し訳ありませんですにゃ〜〜〜〜!」
蜘蛛の子を散らすように,にゃんこたちは部屋から出て行った.

あのー,私一人を置いてけぼりにしないで…….
にゃんこたちを引きとめようと伸ばした手を,じっと見る.
私はいったい,何をどうすれば…….
「おい! 女!」
呼ばれて振り返ると,王様が渋い顔をして私をにらみつけていた.
「なぜ,お前の目と髪は黒いのだ?」
はい?
「えっと〜〜〜,東洋人だからじゃないですか.」
そうゆう王様だって,黒目の黒髪.
髪なんて,さらさらのストレート.
典型的な東洋人の外見.
「外国人か……?」
王様は子供らしからぬ表情で,考え込む.
「……だから,私の”鏡”なのか.」

ん? どういう意味なの?
すると王様は顔を上げて,まっすぐに私の目を見つめてきた.
「無礼をお詫びする,”鏡”殿.」
打って変わって,王様は礼儀正しくなる.
赤いマントを揺らし,まるで幼稚園のお遊戯会のようだ.
「あなたは私の”真実を映す鏡”だ,自由にこの城に滞在してほしい.」
え? 滞在?
「困ります! 私,大学の授業が……,すぐに帰りたいです!」
瞬間,王様の瞳がさびしげに揺れた,……ような気がした.
「そうか,分かった.」
王様は大人のような物言いをする.
「すまないが,明日まで待っていただけないだろうか? 召喚魔法に用いる魔力が回復するまで.」
「はい…….お願いします.」
王様につられて,私はなんとも神妙なお返事を返してしまった.

ここは,どこなんだろう?
洋服を着た動物たち,唯一人間である子供の王様.
でも,明日帰してくれるらしいし,大丈夫,……だよね.

「お願いね,王様.」
私は王様に,へらっと笑って見せた.
うん,とりあえず笑っとこう.
「いや,」
面食らった顔をして,王様は視線を逸らす.
「すぐに帰せなくて申し訳ない…….」
律儀な王様は,ごにょごにょっとつぶやいて謝ってくれた.

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