君に降る(修正版)


― 1 ―


年代ものの分厚い本を,書棚に戻す.
すると背後で,カタンという物音がなった.
この静かな図書館に,客が来たのだろう.
少年は振り返った.

客はいた.
扉のそばに立って,大きな黒い瞳でじっと少年を見つめている.
風変わりな異国の衣装の,同じ年ごろの少女だ.
「ようこそ王立図書館へ.」
少年はふわりとほほえむ.
主人の命で,書籍を取りに来た子どもと思ったのだ.
「どなたのお使いですか?」
長い黒髪はくせがなく,貴族の娘のようなつやを持っている.

「あ,私,」
少女は不安そうなまなざしで,少年に手紙を差し出した.
「カリーヌ伯爵様の,……その,ご紹介で参りました.」
カリーヌ伯爵は,この王立図書館の運営を国王から一任されている貴族だ.
いったい何ごとか,少年は手紙を受け取る.
そうして少女を,小さな机といすのあるところへ案内し,自身は司書室へ入った.

ペーパーナイフで,手紙を開封する.
中から,主人の流麗な文が出てきた.
手紙の内容は,少女に図書館内の仕事を与えてほしいとのこと.
ここまでなら,ただ珍しいこともあるものだ,で済んだ.
問題は,少女の出自であった.

世界の果ての果ての,そのまた果て.
少女はちがう世界からの訪問者なのだ.

何が原因で,世界を越えたのか分からない.
そして,どのようにすれば故郷へ帰れるのかも分からない.
かわいそうだが,この世界で暮らしてゆくしかないだろう.
だから,彼女に仕事を与えてほしい.
歳は十六歳,名前は――,

「ヤヨイさん.」
司書室から出て呼びかける.
興味深げに館内を見回していた少女は,びくっと震えて振り向いた.
警戒しておびえる猫のようだ.
「手紙を読みました.僕は館長のサライです.」
いきなり見知らぬ土地に飛ばされたのだから,無理もない.
「はじめまして.」
握手を求めると,少女はおずおずと手を伸ばす.
「はじめまして,私は田辺 弥生(たなべ やよい)と申します.」
うつむき加減の少女のほおは赤く,少年は少女の体調を思いやった.

「体は大丈夫ですか?」
できるだけ優しくたずねると,少女はこくんとうなずく.
「はい.……あの,私,」
緊張した様子の少女は,その緊張をありのままに伝えた.
「中学校からずっと図書委員でした.……だから,多分,仕事もちゃんと,」
真っ赤に染まる少女のほおを,少年は少しふしぎな気持ちで見つめた.
「その,一生懸命がんばりますので,よろしくお願いします.」
少女が頭を下げると,さらさらと黒髪が流れる.

異文化から来た少女に多少とまどったが,少年はにこりとほほえんだ.
「人手不足なので,助かります.」
心細げな少女を思いやり,さりげなくうそをつく.
少年が本という存在に愛されているかぎり,図書館の仕事は少年一人で十分である.
今まで,誰一人として職員を雇ったことはない.
「こちらこそ,よろしくお願いします.」
この図書館は,少年一人だけの聖域.
少年は初めて,聖域に人を招き入れた.


― 2 ―


図書館という,ときの止まったような空気が好きだ.
もともと人としゃべるのは得意ではない.
ただ静かにそこにいることが許される,図書館は少女にとっての聖域だ.

わけの分からぬままにちがう世界に飛ばされて,六日がたっていた.
少女は新しい暮らしに,少しずつ慣れてきた.
保護者になってくれたカリーヌ伯爵は,大変面倒見のよい女貴族だった.
少女を邸に滞在させて,一人立ちできるまで支援してくれている.

そしてカリーヌの与えてくれた仕事は,このふしぎな王立図書館での雑務だ.
「あれ?」
かすかに声を漏らして,少女は首をかしげた.
木ばしごに登り,本棚の一番上の段に本をかたそうとするのだが,なぜか本が入らない.
棚いっぱいに,本が詰まっているわけではない.
なのになぜか,あいた空間に本が入らない.
「ヤヨイさん,」
下から声をかけられて,少女は視線を下方へやった.
「ひとつ下の段ですよ.」
重さを感じさせない羽のように,少年がほほえむ.
少女がひとつ下の段に本をやると,本はみずから進んで棚に収まった.
「ありがとうございます.」
本の返却場所を間違えていたのだ.
少女は真っ赤になって,礼を言う.

この世界でも地球でも,図書館の業務は変わらない.
本を貸し出し,返却された本をもとの棚へ戻す.
ただ地球と異なり,本を借りる人はほぼ貴族である.
彼らはたいていこのような本を読みたいと手紙を送り,そして館長の少年が本を選ぶ.
本は少年の意志にこたえ,私を連れて行ってほしいと少年を呼ぶ.
パソコンで検索するよりずっと素敵だと,少女は思った.

二,三日後にやってくる使いの者に本を渡せば,貸し出し作業は終了である.
あとは少年と二人きり,本を修繕したり棚を整理したり掃除をしたりするのみだ.
「今日はもう帰っていいですよ.」
上司である少年は,同じ年ごろなのに老成した印象を与える.
静かで落ち着いた口調は,けっして乱れない.
「え? まだお昼前ですが?」
いつもなら夕刻までの仕事なのに,少女はとまどって聞き返した.
「今日の午後は休館です,シロエの日なので.」
地球でいうところの土曜日や日曜日みたいなものなのか.
少女は「分かりました.」と答える.

ここでなら,やっていけるのかもしれない.
見知らぬ世界,けれどこの場所には同じような安らぎがある.
司書室へ歩く少年の背中を,少女は見送った.
本に愛されている少年,その少年のそばでこまごまとした雑用を引き受けて.

突然の神隠しにあった自分の不幸を嘆いたけれど.
がんばって,ここで生きていこうと少女は密やかに決心するのだった.

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