君に降る10


館内に入ると,扉脇の棚の上にはクッキーの入ったバスケットが置いてあった.
どうやら,妹は帰ったらしい.
ぐるりとあたりを見回して,少年は探し人を探す必要の無いことを知る.

ぽつりぽつりと文字が降っていた.
大きな背の高い本棚と本棚の間.
かすかに囁くような,本たちの声.
それは,ただ一人の少女に降り注ぐ.

そっと覗き込めば,少女は少年に気づかずに一冊の本を棚から取る.
少女が開くのを待たずに,本はあるページを示しだす.
途端に,少女の横顔がぎょっとする.
ぱたんと,強引に本を閉じて,
「惚れ薬なんて作れませんよ.」
占いの本を棚に戻したところで,少女は少年の存在に気づいた.

本の背表紙を掴んだままで,少女は凝り固まる.
「お,お邪魔しています.」
ここまで空気に溶け込んでいるのに,少女は他人行儀なことを言った.
「おかえり.」
少年は苦笑して,肩をすくめる.
異国の衣装を着た少女は別人のように見えるが,遠くに居るとは感じられなかった.
「……ただいま,です.あ,あの,サライさん,私,お願いがあって,」
少女は本から手を離し,体ごと少年に向き直る.

久しぶりに逢った少年はなぜか汗だくで,体温と匂いと重さを兼ね備えていた.
汗の流れ落ちる首筋に,少女は頬を赤らめて俯いてしまう.
けれどちゃんと顔を上げて,言わなくてはならない言葉がある.
「地球に帰っても,職員じゃなくなっても,」
それはほんのちょっとの勇気が足りなかったばかりに言えなかった言葉.
「ときどきでいいから,この図書館に来てもいいですか?」
さようならと,再会の約束.

不思議な,精霊が息づいているような図書館.
この館の主は,本に愛されている少年.

古い失われた一族の歌を歌って,あなたに逢うために世界を越えてきてもいいですか?

すると少年は顔を隠して座り込んで,くつくつと肩を震わせた.
「君に対して閉ざす扉を,僕は持たない.」
どうやら,笑っているらしい.
「僕一人だけが勘違いしていたらしい.」
少女がもう二度とこの世界に戻ってこれないと.
あのとき何か言いかけようとした少女を遮らなければ,このような勘違いなどせずにすんだのに.

「……次に来るときは地球のお菓子を持ってきますね.」
顔を上げると,華やいだ少女の笑顔.
黒い瞳が,まっすぐに少年を見つめる.
光と色を取り戻した図書館で,少年は笑った.
「ならば,僕はお茶を用意して待ちましょう.」
君に降る光,僕たちを包む光.

たくさんの言葉に囲まれて,その光はありふれた名を持っている…….

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