相対的,絶対的評価の変動について


うちのサッカー部にはマネージャーが二人いる.
10点満点でつけるのならば,一人は8点で,もう一人は4点だ.

「なぁ,手ぇつないでいい?」
すると,彼女はびくっと震えた.
「な,なぜ!?」
どうしようと途方にくれた顔をして俺の方を見る.

俺は一つため息を吐いた.
部員からは4点と評価されている,俺の,……恋人であるはずの彼女だ.
部活終わりに一緒に歩く帰り道,俺は強引に彼女の手を取った.
すると彼女は引きずられるようにして,ぎこちなく小走りになる.

なんだかなぁ……,何かがおかしくないか?
付き合ってくださいと申し込まれたのは俺の方なのに,いつも彼女はこんな調子だ.
一緒に帰ることだって,こっちが頼み込んで,やっと了承してくれたぐらいなのだ.

「あの,手を……,」
これでは立場がまったく逆である.
「離してほしいんだけど,……そろそろ駅だし,」
上目遣いに,苦しげに彼女は言う.

そんなにも俺と手をつなぐのが,嫌なのかよ.
「分かった.」
すると彼女はあからさまにほっとした顔をした.
「俺たち,別れよう.」
惚れられているはずなのに,いつのまにかこっちの方が惚れてしまっている.

自分でも不思議だ,軽い気持ちであの告白にO.K.したはずなのに.
「真美,俺と一緒に居るとき,いつもしんどそうだものな.」
あんなレベルの低い女で満足なのかと部のメンバーには言われるけれど,
「もういいよ,……別れよう.」
俺はこいつが好きだ.

彼女は泣き出しそうな顔で頷いた.
部室をいつもキレイに掃除しているとか,ときどき朝早くに来て,グラウンドの草を抜いているとか,一度知ってしまったら,もう気持ちは戻れない.
誰にも見えないところで,何の見かえりも求めずに働いている姿を俺だけが知っている.
「最後に一つだけ,教えてよ.」
明るい笑顔でスポーツドリンクを配る8点よりも,部室の中でひっそりと繕いものをしている4点の彼女.
「どうして,俺に付き合ってと言ったの?」
真面目な彼女がお遊びや冷やかしで告白するとは思えないのに…….

「鈴木君はもてるから,」
は? 何を言っているんだ?
「まさか私なんかと付き合ってくれるとは思わなかったの.」
涙でぐずぐずになりながら,しかしすっきりとした笑顔で彼女は微笑んだ.
「今まで付き合ってくれてありがとう.」
付き合ってから初めて見せる笑顔だ.
「明日からはサッカー部の部員とマネージャーに戻ろうね.」
と言って,彼女は駅の方へと走り去る.

まるで重荷を下ろしたかのように,軽やかに.
俺の元から去って行く…….

何だ,今の…….
俺は振られたのか……?

……じょ,冗談だろ!?
「真美ぃ!」
ふざけるなよ,彼女の言っていることは意味不明だ,理解不能だ.
走って,駅の中へと吸い込まれた彼女を追う.

だって知っている,俺が試合でシュートを決めたときに密やかに嬉しそうに微笑んでいることを.
惚れた弱みじゃないけれど,俺はあの笑顔のためならば,何本だってゴールに向かってボールを蹴ってやる.

「どこだぁ!?」
走って改札をくぐりぬけ,叫ぶ.
下校途中の高校生,仕事帰りのサラリーマン,塾に通っている小学生,みんなじろじろと必死の形相の俺に怪訝な顔を向ける.
恥ずかしいことをしている,馬鹿なことをしている,……もうこうなりゃ,自棄だ!

ホームの中,今まさに電車に乗り込もうとしている背中を見つけた.
「真美!」
ださいし,ぶさいくだし,いけてないし,4点どころか2点だと言う奴も居るけれど,
「俺はお前が好きだぁ!」
びっくり眼で振りかえる,彼女と周りの他人たちの注目を集めて,俺は叫んだ.

「点数なんかつけられねぇ!」
彼女は真っ赤な顔で,フリーズする.
電車は彼女を置いて無情にも出発した.
「好きで,好きで,こんなにも好きだ!」
地味でいつも目立たない彼女が,これほどまでに周囲の視線を浴びているのは,恐らく産まれて初めてだろう.
「これ以上,好きだと叫ばれたくなかったら,」
ざまぁみろってんだ,俺を本気にしたお前が悪い.

「俺の口をふさいで,」
俺は彼女に両手で口をふさがれた.
「何を言っているのよ!?」
真っ赤な顔で,彼女はしゃべる.
「わ,わ,私なんかに……!」
彼女はよほど動転しているらしく,口をむなしくぱくぱくとさせる.

ホーム中の人々が,俺と彼女の行動を見つめている.
いっそ爽快だ,同じ高校の奴らもいっぱい居る.
「どうせなら唇でふさいでほしかったのだけど,」
彼女の両手首を掴んで,俺の台詞は実は少しだけ本気だ.
「ふ,ふざけないでよ,鈴木君!」

彼女の顔はこれ以上はないほどに,真っ赤だ.
「なぁ,手ぇつないでいい?」
「な,なぜ!?」
おいおい,また好きだって叫んで欲しいのかよ,俺はぷっと吹き出した.
すると彼女はやっと答えを見つけたように,俺の顔を見返してくる.
ホームに再び電車が到着し,俺と彼女を囲んでいた人々の輪が切れてゆく.

バレンタインでチョコレートをたくさんもらうよりも,ファンレターとしか思えない手紙をもらうよりも.
電車がホームから去ると,ほぼ二人きりホームに取り残される.
彼女が今の電車に乗らなかったことが,何よりも嬉しいなんて.

「手をつないでもいいですか?」
遠慮がちに,恥ずかしげに彼女は問う.
「どうぞ.」
手を差し伸べると,そっとその手を重ねる.

うちのサッカー部にはマネージャーが二人いる.
「つないでもいいけど,」
10点満点でつけるのならば,一人は8点で,もう一人は4点らしい.
「一度つないだら,二度と離さないよ.」

「鈴木君,女の趣味,悪いよ.」
真っ赤な顔で,彼女はまるで怒っているかのように言う.
「私,かわいくもないし美人でもないのに.」
4点だったらしい彼女は,たった今から評価対象外.
「しかたないだろ,俺にとっては,」
計測不能な値なのだから…….

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