競作企画『テルの物語』 | 『魔術学院マイナーデ』もくじ

テルの物語

今はまだ……

気がつくと,あたしは女の子の背中を追いかけていた.
薄茶色のくせっ毛をおさげにしている,ローティーンの女の子.
白いブラウスが太陽の光に反射してまばゆい,紺色のフレアスカートがひらひらと揺れている.
女の子は,くるりと振り返った.
うれしそうに,にっこりと微笑んでから,また歩き出す.
あたしはついていく.
女の子は何度か振り返り,あたしがついてきているのを確認しながら,てくてくと歩いていく.
ここはどこだろう.
女の子と同じような服装の子供たちが,あちらこちらにいる.
おしゃべりをしていたり, ボール遊びをしていたりしている.
赤いレンガの建物が,あたしの低い視界に映る.
――学校? でも,どこの学校なのかしら?
「ライム王子,どこにいるのかなぁ.」
女の子はつぶやいた.
ライム王子? あたしは嫌な予感がした.
まさかそんなファニーでメルヘンチックな名前の人が,主人公じゃないわよね?
主人公? ――あ,違う.
あたしは思い出した.
あたしが,この小説の主人公だ.
でもあたしの小説は,まだ書かれていない.
あたしの名前は,テル.
ライムとかレモンとかいう名前でなくてよかったと思う,今日この頃.
あたしは風になって,語るべき物語を探し求めている.

「あれ? イスカ先輩だ.」
女の子は,大きな木の下のベンチで誰かを発見する.
赤毛のハイティーンの男の子が,ベンチでだらしなく眠っている.
女の子は首を傾げた.
「この時間って,上級生は授業じゃなかったっけ?」
つまりさぼっているわけね,イスカ先輩は.
ブラウスの襟を大きく開けて,いかにも不良っぽいわ.
あたしは,ベンチからはみ出しているイスカの腕を,くちばしで突っついた.
「はぅわ!?」
悲鳴を上げて,イスカは飛び起きる.
「何だ!? 鳥!?」
失礼ね,あたしはテルよ.
「先輩,おはようございます!」
女の子はくすくすと笑う.
「授業はいいのですか?」
「あー,サリナ.」
女の子の名前はサリナというのね.
「昨日,夜更かししたせいで,眠いんだ.」
イスカは再び,ごろんと横になる.
「先輩,ライム王子を知りませんか?」
サリナはしゃがんで,あたしの背中をなでる.
「この鳥を見せたいのです.」
「あいつなら,図書室じゃないかな.」
俺と違って,勉強が大好きな弟だから,とイスカは笑う.
「図書室,……校舎内に鳥を連れて行ったら,やっぱり駄目ですよね.」
サリナはしゅんとする.
「それなら,俺が預かってやるよ.」
「いいのですか?」
サリナの顔が輝く.
「いいさ,どうせ寝てるだけだし.」
暇だから遠慮するな,と言うのだけど,イスカは本当は授業中よね.
「ありがとうございます!」
サリナは大喜びで,校舎の中に入っていった.

あーあ,これからどうなるんだろう.
でも,これでやっとライム王子とご対面できるのよね.
あたしは胸がどきどきしてきた.
きっとその子が,この小説の中心人物だ.
ふと気づくと,イスカがあたしをじっと見つめている.
横たわったままの姿勢で,何だか剣呑な雰囲気だ.
不安になって,あたしはあとずさる.
イスカから,ちりちりと熱を感じる.
何,これ――?
「昔から,」
炎が舞う,
「俺は,――王の子供たちは皆,鳥に怖がられる.」
その炎は獣の形をしている.
「お前も怖いだろう? 俺の中にいる幻獣が.」
赤黒い竜が首を持ち上げる.
こ,怖いなんてものじゃない!?
あたしは地面にへたりこんで,逃げることさえできない.
助けて助けて,――サリナ,はやく帰ってきて!
「ここだよ,王子!」
そのとき,明るい声が聞こえてきた.
「ほら,イスカ先輩もいるでしょ!」
サリナが,金髪の男の子を連れて戻ってくる.
この子が,ライム王子.
あたしは息を飲んだ.
きらきらと輝く金の髪,深い緑の瞳.
一見すると女の子のようにも見える,繊細な顔立ち.
めちゃめちゃ美少年じゃないの!?
五年後,十年後が今から楽しみな,美形王子様の雛だわ.
「兄貴? 授業中じゃないのか?」
ライムはいきなり,その麗しい顔をしかめる.
「固いこと言うなって.」
イスカは,へらへら笑ってごまかす.
似ていない兄弟ね.
「ライム王子,この鳥を見て.」
サリナがひょいとあたしを抱き上げる.
その瞬間,――雌の感とでも言うのかしら? あたしはぞっとした.
「丸々と太って,おいしそうでしょ!」
「え?」
兄弟が同時に,笑顔を引きつらせる.
「食べるつもりかよ!?」
反撃も息がぴったりだ.
「一番おいしい部分は,ライム王子にあげるね.」
サリナは薄緑色の瞳をきらきらさせて,よだれをたらす.
冗談じゃないわよ!
あたしは羽をばたばたさせて,サリナの腕から逃げる.
なんちゅうガキなの!?
語り部のあたしを食べようとするなんて.
「待て,今夜のご馳走!」
あたしは全力疾走,サリナが追いかける,そのサリナをライムが追いかける.
何なのよ,この小説世界は!
次はもっと静かでしっとりとした小説の登場人物になりたいわ.
そうよ,せめて人間にならなくっちゃ,……なんで今,あたしは鳥なのよ!?
必死で逃げていると,前方に杖をついたおじいさんが立ちはだかる.
テルちゃんってば,大ピンチ!
おじいさんは,にっこりと微笑んだ.
「この鳥は食べられないよ,サリナ.」
そしてあたしを優しく抱き上げる.
あぁ,おじいさんぐらいよ,レディの扱いを心得ているのは!
「そうなんですか.」
サリナは目に見えて,がっかりする.
「普通,食べようなんて考えないだろ.」
ライムが呆れている.
おじいさんは楽しそうに,ひとしきり笑ってから,
「イスファスカ・トーン・シグニア,なんと嘆かわしいことか.」
こっそりと逃げようとしていたイスカに,声をかける.
「今月に入ってから,君は十三回も授業をさぼったことになる.」
イスカは駆け出す.
おじいさんが杖を向けると,杖はしゅるしゅると伸びて,イスカを捕まえた!
「うわぁ!? 体罰反対! 学院長の横暴だ!」
杖に体をぐるぐる巻きにされたイスカは大騒ぎ.
あたしはその隙に,翼を広げて逃げ出す.
「あ! 肉が逃げちゃう!」
サリナの手をかいくぐり,高い高い空へ.
飛び立つ瞬間,ライムと目が合う.
深緑の瞳の奥に,物語が見えた.
――あぁ,あなたは五年後に旅立つのね.
物語の中で,ライムは笑ったり怒ったり泣いたりしている.
今はまだ始まらない物語.
この魔術学院マイナーデで,少年は旅立ちのときを待っている.

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