魔術学院マイナーデ

王子の初恋

誰かが誰かを想う姿は尊いものである．
……と信じていた，ライム殿下に会うまでは．

今は，これほど笑えるものは無いと思っている．

私の名前はスーズ．
解放奴隷である私に，姓は無い．
私の主君の名前は，ライゼリート・イースト・トーン・シグニア．
貴族であるために姓を持ち，王位継承者であることを示すためにシグニアという王国名が入る．
正直，長ったらしい名前である．

取り澄ました顔をして無言で立っていれば，まさに物語の中に出てくるような王子様の容貌をしている．
実際に美形だとは思うが，……外見以上に行動の馬鹿馬鹿しさの方が私には目につく．

ある朝，15歳になった王子は，にまにまと本当にうれしそうに鏡の中の自分の顔を眺めていた．
理解不能な行動であるが，とりあえず私は放置した．
しかしこれが2,3日も続くと，さすがに不安になってくる．
まさか自己愛にでも目覚めてしまったのだろうか．
確かに王子は，恥ずかしながら美少年の部類には入るであろうが……．

怪訝に思って聞いてみると，
「なっ，なんでもない！」
と真っ赤になって言い返してくる．
「なんでもないことは無いでしょう．」
呆れてため息を吐く，ふと私は王子の顔に，とあるものがうっすらとついていることに気づいた．
「殿下，ひげが生えたんですね．」
驚いて訊ねると，少年の顔がぱぁっと光り輝いた．
「そうなんだ！」
しかし次の瞬間には喜ぶことは子供っぽいとでも思ったのか，
「いや，生えたといっても，……まぁ，遅いくらいだし，」
訳の分からない言い訳を紡ぎだす．

つまりライム殿下は自分のひげの成長を毎朝毎朝，にやにやとしながら見守っていたのだ．
ある意味，変態のようである．
試しに提案してみる．
「剃りましょう，伸ばしっぱなしは下品ですよ．」
「え！？」
少年の反応はあまりにも予想通りのもの．
「私のナイフを貸してあげますよ，」
にっこりと意地悪く微笑んで，髭剃りを手にすれば，
「や，辞めろ！　俺の相棒を取るな！」
「何が相棒なんですか……．」
果敢な抵抗にあい，私は我が主君の身なりを整えるという仕事を完遂できなかった……．

しかしその4日後，王子はひげを剃る．
原因は一人の少女である．
どうやらひげは嫌だと言われたらしい．

少女の名前はサリナ．
マイナーデ学院唯一の平民生徒である．
入学したての頃は貴族や王族がどうゆうものがよく知らずに，誰に対しても親しげに接していた．
実際に王国辺境の地に住むサリナは，初めて貴人というものに出会ったのだろう．
両親とともにずっとイースト家に仕えていた私は，少女の恐れ知らずな振る舞いにかなりはらはらとさせられたものである．

気軽に抱きついたり，手をつないだり．
少女の過剰なスキンシップに，ライム殿下はだいぶ戸惑われたようだ．
「また，明日ね！」と頬にキスをされて，真っ赤になってうろたえる．
その様は，失礼だがかなり笑えた．

「フィー，大好き！」
「きゃぁ！？　くっついてこないでよ！」
1年生のある日，少女がクラスメイトの女生徒とじゃれあっているのを見た殿下がぽつりとこぼした．
「なんだ，僕だけにじゃなかったんだ……．」
小さな聞き漏らしてしまいそうな言葉．
少年の視線の先では，サリナがフィリシアという名のクラスメイトに抱きついていた．
ちなみにクラスメイトの方は嫌々抱きつかれているように見えるが，サリナの髪を撫でる小さな手が，実はまんざらでもないことを如実に語っている．
「焼きもちですか？　殿下．」
「違う！」
途端に少年は真っ赤になって否定する．
案外，罪作りな少女なのかもしれない，……サリナは．

そんな少女も学年が上がるに連れて，世間というものを学習してゆく．
王子から，貴族のクラスメイトたちから少しずつ距離を置くようになってきた．
ライム殿下が何年生の頃だったか忘れたが，ものすごい高熱を出されたときがあった．
「ライム王子は大丈夫なんですか？　スーズさん．」
心配をしたサリナが，寄宿舎の殿下の部屋までやってきた．
サリナが部屋までやってくるのは本当に久しぶりで，妙にうれしく感じたのを覚えている．

どうやら，私は王子の初恋を応援しているらしい．
「ありがとう，サリナ．」
少女の頭をぽんぽんと叩いて，王子の元へと案内してやる．
ところが少年は，
「なんで来たんだよ！？」
病気で弱っているところを片恋の少女に見せたくないのか，少女をすぐに追い返そうとしてしまう．
「殿下，こうゆうときは『来てくれてありがとう．』ですよ．」
少年の言葉にぐさっと傷つく少女，自分が少女を傷つけたことに気づいてぐさぐさっと傷つく少年．
私のフォローは，苦笑交じりのものとなった．

このように一進一退のじれったい関係を続けていた王子とサリナだが，昨夜めでたく両想いになったらしい．
この照れ屋でいじっぱりの少年がどんな顔をして告白したのか，想像するとついつい笑いがこみ上げてしまう．
「何だよ，スーズ．」
かみ殺した笑い声に気づいたのか，隣を歩くライム殿下がむすっとした顔で見上げてくる．

「何でもありませんよ．」
誰かが誰かを想う姿は尊いものである．
「うれしいでしょう？　殿下．サリナと一緒に旅ができて．」
……と信じていた，ライム殿下に会うまでは．
「なっ，べ，別にうれしいわけじゃ……！」
当然だが，少年の隣で少女はが〜んとショックを受ける．
「いや，別に，嫌だとか迷惑だとか，そうゆうわけじゃないからな！」
慌てて少女に言いつくろう，……が，微妙なフォローである．

恋をしている，その小さな背中．
今は，これほど笑えるものは無いと思っている．