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魔術学院マイナーデ

嘘つきな子供

それは少年にとっては簡単な魔法だった,しかし,だからこそ油断をしてしまった…….

「嘘,だろ?」
魔方陣から,もわもわと湯気が立つ.
氷になりそこなった,水蒸気だ.
魔法練習室の壁一面に水滴がつき,ぽつぽつと天井からも水が滴り落ちる.
「……参ったな.」
ふと少年は,自分の発する声がいつもよりも甲高く感じられた.
いぶかしんで,声を出してみる.
「あ,あ,あー?」
確かに,トーンが高い.
それに先ほどから,視線が低いような…….

「あぁああ!?」
鏡に映った自分の姿を見た瞬間,少年は叫ぶ.
「嘘だろぉ!?」
ぶかぶかの服に埋もれた,ちっちゃな身体.
動揺の余り,どすんとしりもちをつく.
魔法の失敗の副作用とでも言うべきか,16歳のライムは幼児の姿になっていた.

「とてもかわいらしいですよ,ライム殿下.」
薄水色の髪の青年は,笑いを堪えながら少年の頭をなでた.
「……何が言いたいんだ,スーズ.」
自分の身長に合った服装に着替えたライムは,じろりと従者の青年をにらみつける.
スーズは少年のために,子供服を学院中から探してきたのだ.
もちろん,笑いをかみ殺しながら,である.

「推定4歳前後ですか? 学院長様にお見せになったら,きっとお喜びになると思いますよ.」
「絶対に嫌だ!」
寄宿舎の自分の部屋の中で,少年は真っ赤になって怒鳴る.
魔法が失敗してこのような姿になってしまったなど,誰にも知られたくない.
「……誰にも言わないでくれ.」
ばつが悪そうに,青年に頼む.
青年はくすくすと笑いながら,「御意のままに,ライゼリート殿下.」とおどけて了解した.

「治癒魔法の効果が出るまで,本でも読んで部屋に篭っている.」
と言って,少年は本棚に向かう.
勉強家の少年の部屋には,たくさんの魔術書,参考書が置いてあるのだ.
しかし……,
「どの本をお取りしましょうか? 殿下.」
完全にこの事態を面白がっている青年が,後をついてやってくる.
今の少年にとって本棚は見上げるほどに高い,そして背後に立つ青年も.

「……べっ,別にいい!」
少年が拗ねてそっぽむくと,とうとう堪えきれなくなって青年は腹を抱えて笑い出した.
「抱っこしてあげましょうか?」
「うわぁあ!? 辞めろぉ!」
抱き上げようとすると,ライムは全身で抵抗しだす.
短い手足をじたばたを振り回して,まさに子供である.

「あっ,しまった!」
と,いきなり少年は抵抗活動を放棄した.
「スーズ,すまないが,図書室へ行ってくれないか?」
上目遣いで,遠慮がちに青年におねだり,……もといお願いをする.
「……どうなさったのですか?」
青年が訊ねると,少年は言いづらそうにしどろもどろ説明を始めた.

曰く,クラスメイトのサリナに勉強を教えてやると約束した.
曰く,図書室で待ち合わせをしている.
曰く,サリナは明日,時限魔法の追試である.

「用事ができて,行けなくなったと伝えてくれ.」
少年の懇願を,青年はあっけなく断った.
「ご自身で伝えたらどうですか?」
そして金の髪の少年に,帽子を目深にかぶせてやる.
「他人の振りをすれば,誰もライム殿下だとは気づきませんよ.」
このような子供の姿で,なおかつ目立つ金髪を隠してしまえば.
「……そうか,分かった.」
少年は大いに納得して頷いた.

「それでは,いってらっしゃいませ.」
青年が小さくなってしまった少年のためにドアを開けてやると,少年は元気よく部屋から飛び出してゆく.
その後ろ姿を見守りながら,青年は,
「サリナには,すぐにばれると思いますが……,」
くすくすとしのび笑いを漏らした.

図書室までの道のりは,今のライムにとっては遥かなる旅路だった.
特に長い階段など苦行としか思えない.
やっとのことでたどり着くと,図書室のドアが重くて開かない.
ドアの前で右往左往していると,一人の老教官がドアを開けてくれた.
「ありがとうございます!」
礼儀正しく礼を述べると,
「どういたしまして,お譲ちゃん.」
さりげなく少年の心を傷つけることを言って,老人は去った.

「どうせ俺は男らしくないさ,」とぐちぐちと男らしくないことを言いながら,少年は少女を探す.
西日の当たる窓際の机の上で,少女はこっくりこっくりと居眠りをしていた…….
「おいっ,サリナ!」
駆け寄って,少年は少女の膝をばしばしと叩く.
「ちゃんと勉強しろよ! 追追追追試までは付き合わないぞ!」
スーズには嘘をついたが,実はサリナは追追追試であった.
「んあ……?」
夢の世界から文字通り叩き出された少女は,目を覚ました.

「へ?」
少女は淡い緑色の瞳をぱちぱちとさせて,自分の膝を叩くライムの顔を見る.
「サリナ! 起き……,」
少年ははっとしたように,いきなり自己紹介を始めた.
「こんにちは,初めまして! 僕の名前はラリーです!」
少女は「はぁ…….」と間の抜けた返事をする.
なぜ子供の姿になっているのか,なぜ他人の振りをするのか分からないが,この幼児はどこからどうみてもライムである.
少女の名を呼ぶときのイントネーションといい,常緑樹の色をした印象的な瞳といい,ライム以外の何者であるというのだろうか.

「えぇっと,ライゼリート殿下から伝言を頼まれてやってきました.」
不自然に視線をさまよわせながら,少年はあからさまな嘘をつく.
少女は首をかしげながら,少年の次の言葉を待った.
「急用ができて来れなくなったけど,ちゃんと勉強をしろよ,と…….」
じっと見つめてくる少女に,少年は落ち着かなくなってくる.
ばれたのだろうか,ラリーとはいかにも偽名くさいのだろうかと.

すると少女は椅子から降りてしゃがみこみ,目の高さを幼い少年に合わせた.
「ありがとう,ラリー君.」
にこっと微笑んで,少年の帽子を取り上げる.
「か,返して!」
あらわになる金の髪,少年はおろおろとうろたえた.
少女はぷぷっと吹き出して,少年に帽子を返してやる.

「ライム王子に伝えてね,」
少年は,帽子をしっかりとかぶりなおす.
その小さくなってしまった肩をとんとんと叩いて,少女は少年の頬にキスをした.
「……だよって.」
ぼっと少年の顔が赤くなる.
「な,何? よく聞こえなかった.」
口付けされた頬を押さえたり,帽子を頭に押さえたりとなかなかに忙しい様子の少年に,少女は曖昧に笑う.
「明日,本人に言う.」

「そ,そう? じゃ,また明日!」
混乱したままで,少年は勢いよく回り右をして走り出す.
「あっ,待って!」
少女の制止の言葉も聞かずに全速力で,
「ぶつかるよ,王子!」
図書室の柱に激突した…….

次の日,8年生の教室にて.
サリナは,16歳のライムの姿を見つけた.
いつもどおり,少し機嫌の悪そうな横顔で呪文書のページをめくっている.

そっと横の席に腰掛けて,挨拶を交わす.
「おはよう,ライム王子.」
「……あぁ.」
少女の方を見ないままで,少年は言葉を続けた.
「昨日は悪かった.ちゃんと勉強したか?」
少年のすました横顔に,少女は吹き出しそうになるのを堪える.
「おでこのたんこぶは大丈夫? ライム王子.」
すると少年は真っ赤な顔で,少女の方を向く.

「……気づいて!?」
目を白黒させる少年に,少女はくすくすと笑い出す.
「だって,分かるよ.」
にこにこ顔の少女に,少年はもっと本名からかけ離れた偽名にすればよかったと頭を抱える.
ライム王子に伝えてね,
検討外れなことで後悔する少年に,少女はにっこりと微笑んで嘘をついた.
「王子,嘘が下手だもん.」
大好きだよって…….
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