魔術学院マイナーデ
病
10歳のときに,ここへやってきた.
あと,2年…….
熱い息を吐きながら,サリナはベッドの中で寝返りを打つ.
こんな夜は,故郷へ帰れるまでの月日を数えてしまう.
「熱があるな.」
寄宿舎の,暗い自分の部屋の中で少女は声を聞いた.
「じいさんとこに連れてゆくぞ.」
暗闇の中に,少年の金の髪が浮かび上がっている.
あぁ,来てくれたのだ…….
少女は,熱でぼんやりとした頭で思う.
少年は必ず,少女が弱音を吐きそうになる一歩手前でやってくる.
ライムはサリナをベッドの中から,軽々と抱き上げた.
少女の体は汗でびっしょりだったが,構わず抱きしめる.
「何か,部屋から持っていくものはあるか?」
少年は,意識があるのかないのか分からない少女に聞いた.
「……が居ればいい.」
「分かった.」
音というよりほとんど息に近い少女の声に,少年は頷く.
「スーズ,行こう.」
後ろに控える青年を促して,少年は転移魔法の呪文を唱えだした…….
次にサリナが目覚めたとき,少女は柔らかなベッドの暖かな布団に包まっていた.
大きな窓から差し込む,気持ちの良い朝の光.
自室ではないが,見慣れた部屋だった.
ここは学院長コウスイの自宅である.
付き人の居ないサリナは昔から,病気になるとコウスイの世話になっているのだ.
今回もその例に漏れない.
コウスイの孫であるライムの服に着替えさせられていることも,いつものことだった.
「あ,ぶかぶかだ.」
何年かぶりに熱を出し,少年の服に袖を通すのも久しぶりだ.
いつもぎりぎりまで我慢して教室や自室で倒れてしまうところをライムに助けられているので,着替えなど用意していない.
実は初めて女の子になった日も少年の服を着せられて,恥かしくて顔を上げられなかったという思い出もある.
「サリナちゃん,起きたのね.」
軽いドアのノックの後で,上品な老婦人が部屋に入ってきた.
婦人の持つトレイの上には,少女の食欲を刺激するものが乗っている.
「カレン様,ありがとうございます.」
コウスイの妻,カレン・イーストである.
「いいのよ.でももっと早くに私たちを頼ってほしかったわ.」
少し責めるように口を尖らせて,ベッドの中に居る少女にキスをした.
「まだ熱があるわね.」
少女の額に手を当てて,優しく微笑む.
「当分はベッドの中,それから食事の後はこの苦いお薬ですからね!」
マイナーデ学院の学院長夫妻はいつも,サリナのことを気にかけてくれる.
「……ありがとうございます.」
ただ一人,サリナだけが寄宿舎の中で一人暮らしをしていることもあるが,この老夫妻はもともとが世話好きなのだろう.
「あら,嫌だ.おもしろくないわね.」
「いただきます.」とスープをすすりだす少女に向かって,老婦人は嘆く.
「昔はお薬なんて嫌って,わがままを言ってくれたのに.」
いたずらっぽいウインクに,少女は顔を真っ赤にした.
「退屈でしょう? 後でライムに見舞いに来させるわ.」
カレンの言葉に,サリナはスプーンをシチューの中に落としそうになる.
「い,いいですよ! カレン様!」
慌てて手を振るのだが,老婦人は本気に取らない.
「私たちをすぐに頼らなかったことを,ライムにたっぷりと叱られなさい.」
「この,馬鹿!」という怒鳴り声が簡単に想像できて,少女はうっと言葉を詰まらせた.
おとなしくて風に吹かれたら飛ばされそうだった少年は,今ではすっかりと大きくなってしまった.
この服のぶかぶかさが,少年と少女の体格の差だ.
イスカにからかわれていた少年は,いつの間にかイリーナからサリナを守る王子になっていた.
昔のように,無邪気に抱きつくなどもう出来ない.
放課後,ライムがサリナの見舞いに行くと,少女はぐっすりと寝入っていた.
安らかな寝顔に,ほっとする.
額に手をあてると,熱はすっかりと下がっていた.
思わず,安堵のため息が漏れる.
しかし次の瞬間には,どうしてすぐに自分を頼らないのかと苛立ちが少年を襲う.
両手で少女の暖かい頬を包んで,少年は自分でも驚くほど唐突に少女の唇を奪った.
起きろよ,サリナ…….
少女が目覚めてしまうほどに,強く.
俺さえ居ればいいと言うのなら,もっと…….
息苦しさに少女が目覚めると,少年が至近から自分の顔を見つめていた.
「お,王子!?」
近すぎる距離にびっくりして,少女はあとずさる.
「この,馬鹿!」
案の定,すぐに怒鳴られてびくっと震える.
「どうしてすぐに俺を頼らないんだよ!」
「ご,ごめんなさい…….」
何とか謝った後で,少女はそぉっと少年の様子を探った.
「助けてくれてありがとう.」
少年が部屋まで迎えに来てくれなければ,今ごろまだ熱に浮かされていたであろう.
少年は照れたようにそっぽ向いて,少女から離れた.
「そんなにも俺は頼りないのかよ.」
悔しそうに言う少年に,少女は慌てて否定した.
「ち,違う! その,あの……,」
しかし何と言葉を続けていいのか分からずに,すぐに詰まってしまう.
少年は優しい.
頼れば,必ず助けてくれる.
けれど……,
「……ごめんなさい.」
この少年は王子なのだ.
辺境に住むただの農民であるサリナにとっては,その姿を見るだけでも恐れ多いはずだ.
なのに,この学院では身近に居すぎて,
「ライム王子はすごく頼りになるよ,でも…….」
……勘違いしそうになる,
ずっとそばに居てくれるものだと.
煮え切らない少女の態度に,少年はいらっとしてくる.
「何が言いたんだ?」
少年の厳しい口調に少女は暗く俯いたかと思うと,いきなり少年の首に腕を回して抱きついてきた.
「な,何を!?」
「あと,二年…….」
動揺する少年の耳に届く,少女の小さな声.
すぐに離れようとする少女を捕まえて,少年は華奢な少女の身体を強く抱きしめた…….
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