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魔術学院マイナーデ

失われた光01

雨が降る.
戦いの名残が残る戦場に.
ぼんやりと国境の方角を眺めていると,少女は少年に黒いマントを着せられた.
「……ありがとう.」
礼を言って,振り返る.
自分を見つめる少年の,大人びた眼差しにどきっとした.
すると少女は両肩を掴まれて,耳元で囁かれた.
「来てくれてありがとう.」
ほとんど息のような少年の囁きに,かぁっと顔が赤くなる.
対する少年は普通の顔をして,さっと少女を手放した.

「サリナ,すぐに家まで送るよ.」
雨に濡れる少女に,少年はフードを乱暴にかぶせる.
「サリナの親には,俺から謝るから.」
きっとこの少女は親に黙ってか,親の反対を押し切ってか,ここに来たに違いない.
「あっ! ライム,私,」
勝手に話を進める少年を,少女は赤い顔のままで慌てて止めた.
「ごめんなさい,思い出したの,」
だが,言葉の続きはここでは言えない.

周りには戦い終えた兵士たちが歩き回っており,王子とともに居るサリナを不思議そうに眺めていた.
中には疲れきって,ぱらぱらと降る雨の中,座り込んだまま立てない者も居る.
遊軍を多く作ってしまったティリア王国軍に対して,シグニア王国軍の兵士たちは皆,体力,魔力の限界まで戦い通した.
新兵から前回の戦いを経験した老兵まで,疲れていない者は居ない.
情けない話だが,今,ティリア王国軍が引き返してきたら,為す術も無く敗北するだろう.

「……お父さんに,これをもらったの.」
サリナはライムに,国王リフィールの名の入った銀の腕輪を見せた.
少年は少女から腕輪を受け取り,そして形のいい眉をひそめる.
「……聞いたのか?」
険しい顔をする少年に,少女は頷く.
「うん.」
頷いてから,ふと気付く.
まるで少女の出生について,前から知っていたかのような少年の訊ね方に.
「ライム,知っていたの?」
少年は,少女の肩をぐいと抱き寄せた.
「詳しい話は後でいいか?」
「う,うん…….」
自分に同情しているらしい少年の辛そうな顔.
そこまで自身の身の上を悲しんでいるわけではない少女は,気持ちの優しい少年に申し訳なく思った.

少年は少女の手を引いて,赤毛の兄の姿を探した.
するとすぐに見つかる,兄の周りは常に騒がしいからだ.
最前線で軍を率いて戦い,一番疲れているはずなのに,座り込む兵士たちを立ち上がらせようとしている.
「風邪を引くぞ! さっさと立て!」
しかもイスカが率いたのは,王都に勤めるエリート軍人たちではなく辺境警備の兵士たちだ.
魔法の呪文をまともに唱えることができない者も居たのだが…….
「もう少し休ませてください,殿下…….」
ぐったりと座り込んだままの兵士の腕を,イスカは強引に引っ張った.
「ケツが濡れるだろうが,ケツが!」
王子とは思えない下品なことを大声で言う.
しかしこの下品な王子の策と作戦遂行能力のために,シグニア王国軍は勝利を治めたのだ.
指揮官の技量がそのまま,全体の勝敗を決した.
兵士たちの眼差しが,無言で青年にさらに大きなものを期待していた…….

「兄貴!」
少年が呼びかけると,兄はすぐに飛んできた.
「ライム!」
「うわぁ! 汗くせぇ!?」
少年少女を,がばっと抱きしめる.
「ここまで強いとは思わなかったぞ!」
身体全体で,弟の武勲を喜ぶ.
「離せ! うっとおしい!」
大柄な兄の腕の中で,少年はじたばたと暴れた.
「サリナに触るな! エロ兄貴!」
少年が真っ赤になって怒鳴ると,イスカはぶーっと吹き出した.
先ほどまでのたった17の少年とは思えない戦い振りはどこへやら…….

「そんなに妬かなくてもいいだろ?」
げらげら笑うと,さらに少年の顔が不機嫌なものとなる.
実際,ライムの働きはイスカの予想以上だった.
もっと早くに魔力が尽きて,サリナを呼ぶと思っていたのに.
「素晴らしい武勲だ,ライゼリート.」
笑いを抑えて,イスカは唐突に畏まった.
金の髪の少年は戸惑う,あまりにも兄の仕草が父である国王リフィールに似ていたからだ.
「サリナも,ありがとう.……兵士でもないのに戦場に引っ張ってきて,悪かった.」

「あ,私は何もしてないです!」
礼を言われて,少女は心から恐縮する.
落ち着いた青年の物腰には威厳さえも感じられて,知らない人のようだ.
「ライムにずっと抱っこされていただけですから.」
少女の台詞に,赤毛の青年はぷっと笑う.
すると途端に,イスカはサリナにとってのマイナーデ学院での先輩になるのだ.
「大丈夫か? サリナ.」
少女のでこをこつんと叩いて,青年はいつもの調子に戻ってからかう.
「変なとこを触られてないか? このエロガキに.」
「え? ライムはそんな,」
「兄貴!」
と,いきなり少年は二人の間に割り込んできて,兄の胸倉を掴んだ.

驚く少女の前で,少年はなにやら青年に向かって耳打ちをする.
どうやら怒って兄に掴みかかったわけではなさそうだが……,
「ライム,……今更,慌てても無駄だ.」
辺りをはばかるようなイスカの声に,サリナはそっと2,3歩下がった.
人に聞かれたくない話をしているらしい,すると,
「サリナ,離れるな.」
頭の後ろに目でもついているのか,少年が呼び止める.
「明日の朝,魔力が回復次第,てめえを城へ送り返すからな.」
少年は兄の顔をにらみつけたままで,手を離した.

「転移魔法でか? どう考えても魔力が足りねぇぞ.」
青年が驚いて聞き返す.
幻獣が居なくなった今,サリナの魔力はもはや頼れないと言っているのだ.
「足りなければ,100人でも200人でも集める.」
金の髪の少年は平然と答える.
「おい,誰が魔力を統率するんだ!?」
イスカは顔を険しくして問い返した.
通常,集団で一つの魔法を完成させるといっても,せいぜい5,6人程度である.
しかも熟練した腕の良い魔術師でなくてはならない.
「もちろん,俺が,」
「駄目だ,反対だ! 魔力が暴走したらどうするんだ.」
制御できない魔力に飲み込まれることの恐ろしさを,この弟はよく知っているはずなのに.
「俺ならできる,いや,多分,俺にしか出来ない.」
少年の深緑の瞳には,静かな自信が映っていた.
兄に反論を許さないだけの強さが.
「次の王となるのは兄貴だ.俺は必ず兄貴を城へと送り返す.」
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