戻る | 続き | もくじ

魔術学院マイナーデ

囚われ人02

サリナにとっての,マイナーデ学院での日常が戻ってきた.
ただ,王都へ行く前の日常とは少し異なるものだが…….

「サリナ,スペルが違う.」
と言って,ライムが隣の席からサリナのノートにペンを走らせてきた.
魔法の呪文を,少年は優美な文字で描く.
こんなふとした瞬間に,少年は自分の育ちのよさを少女に感じさせるのだ.
「ライム王子,字,きれいだね.」
すると少年は怒ったように,少女の顔を見返してきた.
「俺のことを名称で呼ぶなよ.」

何の遠慮もなくまっすぐに見つめてくる瞳に,少女はどきっとしてしまう.
学院に戻ってからの少年のどこか甘い恋人としての顔に,少女はなかなか慣れることができない.
「あ,いや,……その,学院の中では,」
暖かな日差しの差し込む図書室の中,少女はしどろもどろ言葉をつむぐ.
「呼び捨てになんて,しない方がいいかな,と……,」
頬が熱いのは,日差しのせいじゃない.
「なぜ?」
少年は不思議そうに問い返してきた.

この金の髪の少年は,昔からあまり人目を気にしない.
今だって幾人かの女生徒たちが,サリナにあからさまな嫉妬の視線を注いでいるのだが,少年は気づきもしない.
シグニア王国の王子を,美しい容姿を持つ金の髪の少年を独り占めしているのだから,これは当然のことである.
そして言葉には出さなくても態度に出てしまっているのだろう,少年と想いが通じ合ったことが…….

"監視を気にしているのか?"
少年は少女のノートに,さらさらと文字を書き綴る.
ライムとコウスイに対する監視は解かれておらず,リーリアは相変わらず幼女の姿のままであった.
"違うよ."
妙にくっついてこようとする少年を避けるように,少女は椅子ごと体を引いた.

"リーリア様はお元気?"
少年の追及を逃れるために,少女は無理矢理に話題を捻じ曲げる.
再会を果たしたイースト家の家族たちは,ほぼ毎晩,夕食をともにしているらしい.
"あぁ,サリナにまた会いたいってさ."
少年の少し照れくさそうな様子に,少女はにこっと微笑む.
"うん,私も会いたいな."
そして恋人に,お母さんが戻ってきてよかったねと心の中だけで付け加えた…….

影から生活を覗き込む見張りたちに窮屈な思いを感じながらも,ライムは満ち足りた日々を送っていた.
それは祖父のコウスイ,母のリーリアにしても同じことだった.
監視役たちは,まさか6歳の少女がリーリアであるとは露ほどにも思わずに,ただひたすらリーリアと思わしき女性がやって来るのを待っている.

そして……,
"ずっと一緒に居よう."
少女の頬が赤く染まってゆくのを,少年は見つめた.
"卒業したら,サリナの村へ一緒に帰ろう."
母であるリーリアが居ない今,国王はきっとライムには執着しないであろう.
王子という身分を捨てることも,容易いのかもしれない.
"ミレー山脈から昇る朝日を,サリナの隣で眺めたいんだ."
少女が耳まで赤くするのに気づいて,少年は慌てて書き足した.
"変な意味じゃないからな!"

別に変な意味でも構わない.
何の変哲もないノートが,何よりも素敵な恋文になる.
筆談で下半分が埋まってしまったノートのページを切り取り,少女は怖いくらいに幸福だった.

そして,その夜.
寄宿舎の自分の部屋で,サリナは意外すぎる人物からの訪問を受けた.
「イリーナ様……?」
3年前に学院を卒業した,銀の髪の美しい女性.
シグニア王国王女イリーナ,銀の姫君と称される王女である.
王城に居るはずのライムの姉の存在に,扉を開いた少女は口を開けて驚いた.
「あなたの方から口をきいていいなど,私はそのような許可を与えていないわ.」
高圧的な口調に,威圧するようににらみつける瞳.
イリーナはまるで少女が不潔なもののように,顔をしかめる.
「思い上がりも甚だしい,この学院に居るだけで穢わらしいというのに…….」
サリナは黙って口をつぐんだ.
在学中,イリーナは事あるごとにただ一人の平民である少女をいじめてきたのだ.
「ライゼリートにも,王族としての自覚が無さ過ぎるわ.」
王女の顔がゆがんでゆく,やるせない怒りと切なさのために.

イリーナが少女を身分の低いものとして扱うたびに,表立って少女をかばってきたのはライムだ.
そしてそれが,さらにいじめを助長させる.
ライムにはその理由が分からない,しかしサリナには分かる.
視線が同じ金色の髪を追っているから,……イリーナは,弟であるライムに道ならぬ恋をしているのだった.

「薄汚い平民の女や奴隷の男を,自分の身に近づけるなど……!」
奴隷の男,ライムの付き人スーズのことである.
その時,少女ははっと気づいた,誰かが王女の声に隠れて呪文を唱えていることに!
「誰!?」
しかし,もう遅い.
さっと身を引いた,その勢いのままに少女は後方へと倒れこむ.

「サリナ!」
ドアの影から一人の黒髪の少年が飛び出てきて,倒れこむ少女を支える.
青い顔をして意識を失っている少女に,少年は魔法の成功を確信した.
途端に,少女の体が金色の光に包まれる.
「捨てなさい! 守護の魔法具だわ!」
王女の命令に,少年は急いで少女のスカートのポケットの中をまさぐった.
そしてすぐさま,小さな水晶で出来た砂時計を発見する.

「姿映さぬ霧の海よ,」
イリーナの魔法に,水晶の放つ金の光は拡散される.
「像をつむぐことは許さじ,ただちに消滅せよ!」
ぱちんと音がして,水晶はこなごなに割れた.
金の粒子がきらきらと舞い,簡単に光を失ってしまう.
「逃げなさい,すぐにライゼリートが来るわ.」
転移魔法を阻止された少年は,自らの足で走ってこの場へやって来るだろう.

「分かりました.」
黒髪の少年は,少女を抱きかかえて寄宿舎の廊下を走ってゆく.
消えゆく少年少女を見やって,イリーナは笑いがこみ上げるのを止めることができなかった.
さようなら,サリナ…….
もう二度と会わないわ.

黒髪の少年ユーリは,決して少女を手放さないだろう.
「姉上!?」
すると思いもかけない速さで,金の髪の少年がやって来た.
「ライゼリート.」
イリーナは余裕に満ちた笑みを浮かべる.
すでにもう,勝負はついたのだから.
「なぜ,学院に…….」
対する少年は息をぜいぜいと切らして,額にはうっすらと汗がにじんでいる.

「サリナはどこですか?」
少年の深緑の瞳に敵意が満ちるのを,姉は胸の痛みとともに見つめた…….
戻る | 続き | もくじ
Copyright (c) 2005-2006 Mayuri_Senyoshi All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-