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魔術学院マイナーデ

母の肖像04

「ほぉ,我が敬愛する父王陛下は,そのようなことを考えていらっしゃるのか.」
王城の廊下で,イスカはこげ茶色の瞳を鋭く光らせた.
青年の言葉のとげは,隠しようがない.
「イスカ……,」
王宮騎士の一人である青年カイゼは,慌てて周りを見回す.
彼はマイナーデ学院でのイスカの同級生であり,また類稀なる魔法剣の使い手でもあった.
「はっ,たかが逃げた女を捕まえるために,軍を出動させようとは!」
しかし赤毛の青年は,全く周りをはばかることなく王に対する批判を口にする.
シグニア王国第二王子イスファスカは,父王との不仲で有名であった.

昨日,王城から一人の女性が逃げた.
王宮の最奥に捕らわれていた,麗しき狂気の魔女.
彼女の名はリーリア・イースト,国王リフィールの妻の一人であり,第三王子ライゼリートの母親である.
無人になった部屋はリーリアの魔術により腐敗しており,残された家具に触れると砂のように崩れ落ちた.
いったいどれほどの魔力の嵐が吹き荒れたのか,魔術を禁じられたこの部屋で.
彼女の失踪に,国王は滑稽なほどうろたえた.
そしてすぐさま息子であるライゼリートを疑ったのだが,少年はすでに城から出た後だった.

いくらなんでもタイミングが良過ぎる.
急遽,王城からの出発を早めた息子に,消えた母親.
少年が母とともに王城から抜け出したのは間違いない.
国王は息子の元へ騎士を派遣し,そしてマイナーデ学院にも騎士を送り出した.
たとえリーリアが息子とともに逃げていなくても,彼女は必ず息子か,マイナーデ学院にいる父親のコウスイのもとへ赴くだろう.
この二人さえ見張っておけば,網にかかるに違いない.

そのようにして近衛兵の一部を動かしただけでも,イスカにとっては許しがたいことだった.
なのにその上,王は王国各地に散らばる軍隊に出動を命じたのだ.
とは言っても軍の一部をリーリアの捜索に割くだけだが……,
「周辺諸国にわざわざ,隙をみせるようなものだ!」
しかもまだ王都には,ライムの成人の儀式のためにやってきた他国の使者たちがいる.
彼らの前で,このような無様な姿を見せるなど……!

「くそっ,……いいかげんにしろ!」
イスカはいらだたしげに,どんと壁を叩いた.
友人のカイゼが慰めるようにイスカの肩に手を置くのだが,彼の怒りは収まらない.
「女に狂うのにも程がある!」
そう,狂っているのだ,国王は.
金の髪,緑の瞳の美しい少女を一目見た瞬間から…….

イスカの脳裏に,一人の女性の姿が浮かぶ.
奴隷であった母親の姿が,当時王子であった国王に捨てられて泣く母親の姿が.
そして王国歴1188年の奴隷解放を待たずに死んだ母親…….

たかが女一人のために,軍を動かした国王.
この甘さにつけこんでくる国が,必ず出てくるだろう.
がんばれよ,ライム.
青年は心の中で,血の繋がらない弟にエールを送った.
こんな狂った国王に,お前の大事な母親を奪われるな,と.

先ほどの騎士たちに,つけられています…….
薄水色の髪の青年は,そっと主人の少年に耳打ちした.
金の髪の少年は舌打ちしたいのを堪えて,ぐっと奥歯を噛み締める.
彼らの目的は明確すぎるほどだ.

ついてくるなと怒鳴り散らしたくなる,俺たちを放っておいてくれと.
少年は険しい顔つきのままで,騎士たちの尾行に気づかない振りをする.
青年はさりげなく,ライムと馬に乗るリーリアに間に挟まった.

結局,その日は一日中,少年は険しい顔をしており,サリナはそんな少年を心配そうに見つめ,青年は常に後方に気を配り,そしてリーリアは真っ青な顔色をしたままだった.
夜,皆が床についても,金の髪の少年だけはただ座って闇を見つめていた.

自分を見張る騎士たちの狙いは,息子に会いにやってくるリーリアの捕縛である.
きっとマイナーデ学院の祖父のもとにも,兵士たちは張り付いているのだろう.
けれど,別にいい…….
母はリリーのままで,祖父にはこの芝居に付き合ってもらう.
そして辛抱強く,国王が母親を諦めるのを待てばいい.

「ライム……,」
そっと背中に声をかけられて,少年は厳しい顔つきのままで振り向く.
薄茶色の髪の少女が,悲しそうな目をして少年の方を見つめていた.
「あの……,」
少女は声をかけたが,すぐに口をつぐむ.
この少女だけは事情を分かっていないのだ.

「……私はずっと,ライムの側にいるからね.」
必死に少年を慰めようと,言葉を探す.
父親が父親ではなく,母親が行方不明になってしまった少年に.
「絶対に離れない,……私は,何の役にも立たないけど,」
「ありがとう,」
少年はぎゅっと少女を抱き寄せた.
今はまだ,この少女には何も言えない.
上手な嘘や巧みな演技など,少女には求めない.

このまま,平凡な少女のままで居て欲しい.
そしてただ側に居てくれたら,それだけでいい.

「あ,あのね……,」
そのままずっと抱きしめていると,
「そ,そろそろ寝ない……?」
少女が遠慮がちに離してくれと訴える.
「眠れない.」
離したくないと少年は思った.
「だから,俺にも魔法をかけて,」
赤い顔の少女に,その唇に口付けしようとすると,少年は少女に止められる.

少年の口を手で押さえて,少女は恥かしげに俯いた.
「止めて,私が眠れなくなってしまう.」
少年がそっと少女の手を口から外すと,
「その,……唇以外なら,」
頬を赤く染めて,少女は聞こえるか否かの声で答えた.

少年は少女の肩をぎこちなく抱く.
少年の緊張した面持ちに,キスを待つ少女も固くなってしまう.
瞳を閉じて待っていると,頬に不器用なキスを贈られた.
耳元で囁かれる「お休み.」の言葉に,口付けされた頬が熱くなる.
素直に最初のキスを受け入れたほうが眠れたのかもしれない.
「……おやすみなさい.」
埒のないことを思いながら,少女は少年の頬にキスを返した…….
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