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魔術学院マイナーデ

母の肖像02

北へと続く街道を,奇妙な組み合わせの旅人たちが歩いていた.
青年が一人で,残りは子供ばかりという旅をするには無用心な集団である.
しかしその実,どんな盗賊も山賊も追い返せるだけの実力を持っていた.

一行の保護者らしき薄水色の髪の青年は,隣の少女に歩幅を合わせてゆっくりと歩く.
剣を腰に差しているのだが,青年の穏やかな表情からは彼が剣士であるとは思えない.
隣の少女は,青年とおしゃべりをしながら楽しそうに歩を進める.
王国一かもしれないと噂される魔力の持ち主だが,少女の平凡な外見からは伺いしれない.
そしてそんな二人の5,6歩前を,金の髪の少年が1頭の馬を引きながら歩いている.
山を崩し海を割ると恐れられる,魔術学院マイナーデ随一の魔術師である.
最後に小さな少女が,少年の引く馬に旅の荷物とともに乗っている.
眼鏡の奥の瞳には,イースト家の狂える魔女の炎がちらついていた.

「ふ〜ん,サリナちゃんってあの娘のことだったのね.」
黒髪の少女リーリアは後方を盗み見て,頷いた.
母のにまにまとした,少年をからかいたくて仕方が無い笑みが祖父のコウスイとそっくりである.
「なんだよ,母さん.」
金の髪の少年が,ぶすっとした顔をする.
どうしてこう,自分の周りにはこの手の大人が多いのか.
「だって興味あるじゃない? あなたの口から唯一出てきた女の子の名前よ.」
少女はくすくすと笑った.

少年が心を閉ざした自分に対して話してきたことを,リーリアはちゃんと全部憶えている.
息子が少しずつ父のコウスイになついていっていることや,イスカという名の兄にかわいがられていることや,スーズという青年がいつも側についていてくれること,が少年のたどたどしい話からよく分かった.
そしてところどころで出てくる,クラスメイトである少女の名前.

今のこの幸福が,リーリアには信じられなかった.
あれほどまでに会いたかった息子が隣に居て,笑っている.
今ごろ,国王は居なくなった彼女に気づいているに違いない…….
そう思うと心が寒く,体まで凍えそうになるのだが,……たとえすぐに城に連れ戻されるにしても,今,この瞬間を息子とともに居たかった.

「いつか,……ちゃんと紹介するから.」
少年の台詞に,リーリアは瞳を瞬かす.
「……ありがとう.」
来るのかどうか分からないその日のことを想像して,少女は幸せそうに微笑んだ.
いつか,国王のもとから解放されたならば…….

「ライム,楽しそう…….」
前を歩く少年の背中に,サリナはぽつりと零した.
「そうだね.」
薄水色の髪の青年も同意する.
そう,王都を出てからずっと,少年は常に楽しそうというか嬉しそうというか.
浮ついて,ある意味,子供のようにはしゃいでいる.
そしてその原因は,明らかにあの黒髪の少女にあるのだ.
少年と謎の少女の親しげな様子に,サリナとスーズは首を傾げるばかりだった.

夜は行きのときと同じく,野宿をする.
大きな木の下で,4人固まって眠る.
暗闇の中,サリナは女性の小さな悲鳴に目を覚ました.
見ると,少女の小さな影が震えている.
明るい場所でみれば,少女の怯えが単なる子供のそれではないことに気づいたのであろうが,
怖い夢でも見たのかな……?
サリナは単純に,そう感じた.

サリナはそっと少女のもとへ近づいていく.
「リリー,おいで,」
すると少女の影はびくっと震える,
「サ,サリナちゃん……? ごめんなさい,起こしてしまったのね.」
「いいよ,こっちにおいで.」
サリナは強引に,少女を抱き寄せた.
「怖い夢を見ない魔法をかけてあげる.」

「魔法?」
リーリアはぎくっとした,すでに魔術のかかっているこの体に魔法などかけられては,
「お休み,リリー,」
額にキスを贈られて,リーリアはびっくりする.
「私が守ってあげる.」
それだけ言うと,少女はリーリアを抱いたままで再び眠りに落ちてしまった.

拍子抜けした態で,リーリアは2,3度瞬きをした.
無力で無害な魔法には,愛情しか詰まっていなくて…….
「ありがとう,サリナ…….」
少女の暖かな腕の中で,まるで子供に戻ったみたいだ.
12年間会えなかった息子にとって,母の肖像とはこの少女のことかもしれない.
「でも,あなたの魔法はライゼリートに一番効きそうね.」
そのままうとうととリーリアは,夢見ごこちにまどろみ始めた.

「……母さん.」
再び自分に話し掛けてくる声に,リーリアはどきっとした.
「ライゼリート,あなたまで起きたの?」
恥かしい,自分はよほど大きな悲鳴を上げてしまったらしい.
金の髪の少年はむっくりと起き上がると,母親に横顔を見せたままで宣言する.
「俺,必ず母さんをじいさんのもとへ帰すよ.」
少年の横顔はもう子供のものではない.
リーリアが閉じ込められている間に,少年は勝手に大人になってしまった.
「守るから,……俺が母さんを守るから.」
強い決意を秘めた瞳が,まっすぐに闇を見つめている.

「お父様に感謝しなきゃね.」
リーリアはくすっと微笑んだ.
「あなたをこんないい子に育ててくださって,」
5歳のときまでしか,そばで育てることが出来なかった息子.
「スーズにも,イスファスカ殿下にも,サリナにも,」
マイナーデ学院に入学するまでは,この少年は王宮の中で誰からも見向きされずにいたのだ.
時折,国王が気まぐれな愛情を注ぐだけで…….

「あなたを産んでよかった.」
産みたくないと泣き叫んだ夜もあったけれど,
「あなただけが私の光,いつもあなたのことを想っていたわ.」
暗い閉ざされた部屋の中で,
「だから私,この世界へと戻れたの.」
息子への愛だけが,リーリアを正気づかせる.

「母さん,……俺の,」
少年の声はかすかに震えていた.
少年が飲み込んだ言葉の続き,それはリーリアしか知らない答え.
明日にでも,自分は再び国王にとらわれるのかもしれない…….
そのような焦慮が,リーリアを決意させた.
「あなたの本当の父親は,シグニア王国元第二王子タウリ.」

金の髪の少年がこわばった顔を,母親に向ける.
「国王リフィールのたった一人の弟,そしてシグニア王国の裏切り者.」
リーリアはむしろ淡々と少年に父親の正体を告げる.
自分の情人の名前を…….
「ごめんなさい,ライゼリート.」
彼は自らの享楽,有能な兄への反発のためだけにリーリアを抱いた,ほんの少しの愛情もなかった.
「タウリは,……ティリア王国はきっとあなたを利用することを考えているわ.」
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